神戸大学在職中に、6度にわたり海外で仕事をする機会に恵まれた。 最長は1年間、短くて2ヶ月間の出張であったが、その期間は日常の雑務から全く開放されて、それまでとは違う立場で日本を見直し、世界を見たりすることができた。
特に、最初に出張したマレーシアでの1年間は、国際機関であったので職場は多人種、多文化、多際な英語と、私にとっても、家族にとってもかけがえの無い経験になった。 その時ドイツ、オーストラリア、フィリピン、タイ、マレーシアから派遣されていた同僚は、20年近く過ぎた今も相互に行き来きする仲間となった。
1. <東南アジア諸国連合理数研修センタ> (RECSAM、1984〜1年間、1989〜2ヶ月間の派遣 2回)
JICAの派遣専門家としてマレーシアに1年間出張し、東南アジア諸国から集まる理数科の現職教員に、情報教育を教える事になった。 NECのPC-8801という、8
ビットのパソコン約30台を導入し、パソコン机の設計図を描いたり、電圧変動を押さえる自動電圧調整装置の設置までしました。 ワープロソフト、表計算ソフト、描画ソフトとともに、コンピュータによる機器制御の教育もしたいと考えてI/Oボードも揃え、レゴを使ったロボット<YOKO-san>を製作し、注目を浴びました。
2.<国立マヒドン大学 公衆衛生研究所> (AIHD、1989、1990、1991 各2ヶ月間 3回)
JICAの医療協力プログラムの一環として3回派遣されました。 AIHDはバンコクの西の外れにあるマヒドン大学医学部の研究所で、JICA
や WHO それにタイ政府が経済的、人的な援助をしてアジア地域各地の公衆衛生専門家を呼び寄せ、1年間の教育を課して最終的にはプライマリヘルスケアの修士号を与える機関です。 ここには、公衆衛生における医療情報の専門家として派遣された。滞在中、様々な地域や国から訪れた研修生やスタッフたちの話を通じて、「富める国の贅沢や無駄遣いが、貧しい国の人々の生活を益々追い詰めている構図」や公衆衛生・母子衛生の問題を知りました。
3. <カーティン工科大学> (Curtin University of Techonlogy 1995年 3ヶ月間 )
文部省の在外研究員として「各人が望む地域に出張して自由な研究をして良い」という、恵まれた出張でした。 かつてマレーシアで一緒に仕事をしたオーストラリア人の本務校に世話になることにし、生活までホームステイさせてもらい、同僚の息子が使っていた古い車まで貸してもらって、西オーストラリア・パースで情報教育の仕方を学びつつ、彼らの余暇活動にも入れてもらい、在外生活を満喫しました。 その後、国際文化学部とカーティン工科大学とが学部間協定を結び、学生が相互に留学して単位互換をすることになった。 また、末息子が高校卒業後、同じ家庭にホームステイさせてもらい語学学校、職業訓練校を経てパースの大学に通い在外生活を満喫しつつ、もうすぐ卒業。