大震災から20年 振り返る大惨禍

◎遺族の「1.17」 それぞれの思いを胸に

今年も16日に「現吉」で 競さんを偲ぶ集まり

 

 今年も阪神御影駅近くの居酒屋「現吉」で16日夜、競基弘さん(当時=自然科学研究科博士課程・1年)を偲ぶ会が行われた。「現吉」は、亡くなった基弘さんのアルバイト先。基弘さんの家族、友人、「現吉」のオーナー夫妻が集まり、20回目の再会を喜んだ。

 

 「1年ぶりの再会を喜んで。ありがとうございます」と母・恵美子さんの乾杯の挨拶で始まった集まり。揚げ物やビールが並ぶテーブルの上には、基弘さんと、3年前に亡くなった父・和己さんの写真も置かれた。故人の写真も交えて、近況報告に華が咲いた。

【写真】現吉で歓談をする競さんの家族、友人ら

 「現吉」オーナーの広瀬浩三さんの妻・洋子さんは「基弘さんは本当にまっすぐな性格の人だった。あの人のおかげでこの場がある。神戸大での友達、仲間がこうやって集まるのは、基弘さんの人柄があってこそ」と懐かしむ。また、基弘さんの妹の夫・岩瀬録央さんは、12年前から集まりに参加。基弘さんとは面識がなかったが、「この日、この場所の同窓会のような場所にいて感じるのは、(基弘さん)の人を引きつける人間性。面識がなくても、ここに来るのが1年の中の行事になっている」と話す。2人の言葉を裏付けるように、乾杯から笑顔と笑い声が途絶えることはなかった。

 

 20年目も変わらず、同じ場所同じ時間に「現吉」の夜はふけていった。

母・競恵美子さん(中央)

現吉概観

震災を語り継ぐ 学生震災救援隊「のんびり過ごす会」

献杯の瞬間

阪神・淡路大震災を機に結成されたボランティアサークル、学生震災救援隊(以下、救援隊)。結成から20年となる今年も、16日夜から17日の朝まで、サポートステーション灘・つどいの家で「1.17をのんびり過ごす会」を開催した。現役メンバー、OB、地域の関係者が鍋を囲んで、震災について思い思いに語り合った。

 

 16日午後7時15分。代表の戸田周作さん(国文・3年)の「献杯」の掛け声により、静かに会は始まった。戸田さんは「救援隊に深く関わる地域の人々やOBの皆様のおかげで『のんびり過ごす会』を今年も開くことができます」とお礼の言葉を述べた。

 救援隊OBの碓井和貴さんは「被災者として、生き残った者として、震災の体験を語り続けることが重要だ」と語る。碓井さんは20年前の震災で生き埋めになり、奇跡的に救助された。その経験から震災の語り部として活動している。「生き残ったからこそ感じる責任がある。震災に興味のない人たちに震災を教えるのは自分の役目」と熱い気持ちを述べた。

 

 藤室玲治さん(東北大ボランティア支援室准教授)は東日本大震災の現場に携わる元救援隊OB。学生たちに「震災は人ごとではない。自分の身に関係ないなどと思うな」と注意を促した。東日本の被災地でボランティア活動をしている藤室さん。「被災者に直接会って話をすれば、自分たちが今何をしたらいいかが見えてくる。ボランティア活動を一度してみなさい」とメッセージを送った。

 

 

20年目の使命 森祐理さん

献歌する森祐理さん

 神戸市などが主催する「1・17のつどい」の会場、神戸・三宮の東遊園地で、神戸市震災20年追悼の集いが行われた。森渉さん(当時=法・4年)の姉、祐理さんが献歌するなど、追悼のつどいはしめやかにとりおこなわれた。

 

 阪神淡路大震災は20年目の区切りを迎えた。遺族でもある歌手の森祐理さん。過去最高の参加者数を前に「しあわせ運べるように」を披露した。「20年という月日の重さを感じた。渉の死があるからこそ今の自分がいる」。苦しみは苦しみで終わらず、周囲の人に大きな影響を与えると森さんは感じている。

 

 

壇上に立ったのは遺族代表と新成人代表。阪神淡路大震災経験者と記憶のない者それぞれの立場から、震災への思いや、今後について口にした。

 

 「20年は区切り。これからも天に行く時まで、歌い続けるのが自分の使命だと思う」と森さん。震災の記憶のほとんどない世代が成人になり、知らない世代へ伝えることが重要になる。森さんは明日も自らの使命を全うする。

【写真右・左】「つどい」に出席した新成人代表

記憶つなぐ5時46分 上野政志さん

 

 JR六甲道駅にほど近い灘区琵琶町の閑静な住宅街。20年前この場所で、上野政志さんは奈落の底を見た。娘の志乃さん(当時=発達・2年)の亡骸をがれきから掘り出した時の気持ちには、変化も区切りもつけられない。1月17日午前5時過ぎ、変化しきった街を隠す暗闇のなかに、上野さんは鎮魂の灯をともそうとしていた。

 

 未明の雨はいつの間にか止んでいた。灯のともったろうそくと手作りの竹灯篭が、志乃さんの遺影を明るく照らす。すぐ後ろには、震災の年に作った弔いの木地蔵。そばにたむけた「デンファレ」の花は、マンドリンクラブに所属していた志乃さんが演奏会のパンフレットに描いたものだ。

 

 「まだ誰も起きていないから大丈夫」。上野さんは住宅街の住民の目を気にしていた。宅地開発で震災後の更地はすっかり無くなった。住民が震災の記憶まで消そうとしているように上野さんの目には映る。「娘の死について刻んだ石碑をここに置いとったんです。住んでる人にも不動産屋にも『縁起でもないことやめてくれ』って言われてね」。数年前石碑は何者かによって持ち去られた。

黙祷する父・上野政志さん

 周囲の冷たい変化ばかりを感じてきたわけではない。自らの震災への思いを伝えるメディアや、講演先での人々との出会いもあった。この日の現場にも学生や記者など6人が同席し、それぞれ線香をあげた。「娘の存在は人々の記憶の中で生き続ける。興味を持ってくれる人がい てくれてありがたい」 。

 

 「おや、もう5時46分か」。上野さんは木地蔵に向かって合掌した。「やっぱり20年目も21年目も変わらないね。私にとっちゃ」。年を刻む度同じことを考える。志乃さんの成長、大学での奮闘、そして何よりも死に対する後悔だ。「6万円のマンションに住ませてあげていたら、こんなことにはならなかったのに」。

 

 その横には上野さんの記憶のバトンを受け取ろうとする学生の姿があった。5年前から毎年現場に同席している末安和樹さん(発達・4年)。大学で上野さんの講演を聴き「震災が現実だったことを確かめるため」に足を運ぶようになった。「僕にとっての阪神・淡路大震災はまだ6年目。14年後もどれだけ意識ができているか」と話す。

 

 26日には大学で講演を行う上野さん。20年目も変わることなく、記憶を語り続けていく。

手作りの慰霊碑

純さんの名、しかるべき場所へ 工藤延子さん

 

 工藤延子さんは昨年の12月、息子の純さん(当時=法学研究科修士課程)が愛用していたワープロを、人と防災未来センター(神戸市中央区)に寄贈した。純さんの下宿跡に残っていた唯一の遺品で、遺族仲間に郵送するミニコミ紙「THE 17TH(ザ・セブンティーン)」の作成にも使い続けてきた。純さんの名前を世に残すための寄贈だった。

 

 

遺族仲間と再会し笑顔の工藤さん(右から1人目)

 17日、6年ぶりに神戸大の鎮魂碑を訪れた工藤さん。足が不自由になり車椅子生活を余儀無くされてからは、遺族仲間とも顔を合わせることができなかった。道中はJRの車椅子補助サービスを利用し、駅から直結のホテルを押さえやっとの思いでたどりついた神戸。久しぶりの再会を喜びながら手渡したのが、「THE 17TH」の最新号。第168号で発行日は1月17日だ。自らや遺族仲間の近況などを載せた。編集はパソコンで行うが、表題の「THE 17TH」の字だけはワープロ時代のものを切り抜きのり付けしている。「スキャンとか分からないからいつも手作業でね。でも純の痕跡を留めておきたいから」。毎月発行していた時期もあったが、体調の影響もあり今は年2回だ。

 

 数年前純さんのワープロが動かなくなってしまってから、寄贈を考えるようになった。唯一の遺品だけにしばらく踏ん切りがつかなかった。しかし持ち運ぶことも厳しい今の体の状態に「私が死んだらただの粗大ゴミになってしまう。だからしかるべき場所に」と決心。昨年の夏、人と防災未来センターに連絡した。同センターの貯蔵資料はインターネットからも検索できるため、純さんの名前が記録として残っていることを確認できる。発送直前の3日間はワープロを 抱えて寝た。息子の記憶を継承できることへの安堵と、形見を手放す喪失感のせめぎ合い。「がれきから出した物だから神戸の泥がずっとついてたんです。最後はそれも出なくなって、使命を終えたと思ってね」。内部に残っていた最後のものが輸送中に出てきたのか、センターに届いたワープロの端から、わずかな泥がこぼれ落ちていた。

 

 20年目の瞬間を神戸で迎えたい、みんなと会いたいと「THE 17TH」に思いをつづった。「神戸であの日を迎えることは、私にとっては聖地巡礼のようなもの。単なる希望や願いではなく、果たさなければならない使命のような気がするのです」。

工藤さんが寄贈した純さんのワープロと、ミニコミ誌「THE 17TH」。題字だけワープロで打った字を使い続けている。

いつまでも変わらない思い 白木利周さん

16日の慰霊祭(神戸大)にも参加した利周さん

 

 東遊園地で行われた「1.17のつどい」にて、白木利周さんは実行委員として、忙しく歩き回りながらも、祈りをささげた。息子の健介さん(当時=経済・3年)を亡くして20年。思いは変わらないままだ。

 

 「『来てくれてありがとうございます』というような気持ち。つどいはお互いに感謝し合える場」。白木さんは思いをはせる。近しい人を亡くした、同じ思いを持つ人が1月17日に同じ場所に集まれること、多くの方が訪れることに「感謝の思いが込み上げてくる」という。

 

 しかし、取り巻く状況は変わりつつある。交流テントでは学生の姿が増え、被災者よりも震災を知らない世代が多くなった。高齢化する被災者が隅に追いやられることも。白木さんは学生の考え方に疑問を感じることがある。「学生は結論を求めがち。結論じゃなくて、100人いれば100通りの思いがある。一回だけ話をして結論を出そうとしてもどこかで無理が起きる。いくつもの見方がある、ということを知ってあとは個々人で考えてほしい」。

 

 この日を迎えるまで、ずっと同じことを考えながら活動を続けてきた。「息子は何を考えて、何をしようとしていたのか」だ。「20年、息子のことを中心に考えて悩み迷いながら活動を続けてきた。子が親に出した宿題のようなもの。でも10%もできていない」と白木さん。思いが活動の原動力になっているかもしれない、と穏やかに話した。

◎遺族の方のコメント

 

【1.17を迎えて】

 センター試験が行われるなかも、慰霊目的でキャンパスの鎮魂碑を訪れる遺族や関係者の姿があった。

 

◎故・磯部純子さん(当時=教育・4年)

 

【父・滋さん、母・洋子さん、叔父・松澤武、叔母・紀江(としえ)さん】

毎年来ている、と一言。

◎故・坂本竜一さん(当時=工・3年)

 

【妹・志穂さん】

これからという時に死んでしまった。神戸大に憧れてやっと入ったのに色んな我慢をしたのにかわいそうだ。

 

◎故・神徳史朗さん(当時=工・3年)

 

【友人・徳田尚器さん】

毎年来ている。当時、普通に人が死んでいるという状況が衝撃的だった。一瞬で神戸だけが社会から取り残された感じだった。毎年のように友人と話をして振り返ります。

 

◎故・競基弘さん(当時=自然科学研究科博士課程・1年)

 

【妹・岩瀬朗子さん】

胸が痛い、1番悲しい日。今年は(今住んでいる)名古屋でも記事やテレビで阪神・淡路についてよく目にする。それが20年前を思い出させて、いつもよりつらく感じる。神戸大は兄との思い出が残るとても大事な場所。

 

◎故・高見秀樹さん(当時=経済・3年)

 

【友人・藤原一弘さん】

20年は早かったような長かったような感じ。今は小中学校の教師をしていて、阪神・淡路のことも授業で教えている。今の学生にはつながりを大事にしてほしい。そういう縁は続いていくものだから。

 

◎故・上野志乃さん(当時=発達・2年)

 

【父・政志さん】

メディアは節目と伝えるだろうが、遺族にとっては19年目だろうと20年目だろうと特に区切りは無い。娘は大人しいのに友達を引き寄せるところがあって、風変りだった。アルバイトを2つもして忙しく、悩みもあったんだな。6万円出してマンションに住ませてあげれば、こんなことにはね。

 

◎工藤純さん(当時=法学研究科修士課程・1年)

 

【母・延子さん】

神戸も大学も6年ぶりに来た。車椅子生活なってしまったが、夫がクリスマスに「神戸に行くか」と言ってくれた。10年ぶりに会う遺族の方もいる。(遺族向けミニコミ誌の)「THE 17TH」の最新号を1月17日付で作った。遺族の皆さんに聞いた17日の予定も書いておいたのに、事前に郵送できず残念。

 

◎故・中村公治さん(当時=経営・3年)

 

【母・房江さん】

工藤さんをはじめ、遺族のみなさんに会えてよかった。息子のアパート跡にも立ち寄った。

 

◎故・鈴木伸弘さん(当時=工・3年)

 

【母・綾子さん】

工藤さんに会えてよかった。みなさんと東遊園地に行きます。

 

◎故・篠塚 真さん(当時=理・2年)

 

【友人・中森賢士さん】

震災直後篠塚君のおじいちゃんから、「うちの孫は死んだが君は生きている。何かなすべきことがあるから生き残ったんだ」と言われた。1月17日が来るたび、何をなすべきなのか未だに答えを見つけきれない自分のことを情けないと思ってしまう。

 

●地域の方

 

古山広子さん…3人の学生が亡くなった灘区六甲町西尾荘の向かいに居住

 

(大学の鎮魂碑を訪れたのは)震災3年後の時以来。今回は20年目という節目なので献花に来た。当時のことは忘れもしない。(亡くなったうちの一人だった)鈴木伸弘さんとは震災前日にゴミ出しで顔を合わせていた。それが翌日には……。自分の身を守れるのは自分だけだと、被災経験の無い人には伝えたい。

 

●卒業生

 

・角田悦秀さん、芦原伸浩さん、山岡陽介さん

 

今回、区切りの年ということで初めて3人で来た。運よく友人全員があのとき無傷だった。あそこを乗り切ったという思いをみんなで共有している。

 

・佐藤英明さん

 

鎮魂碑に来るのは初めて。命のことを考えたいと訪れた。(震災)はいつ起こるか分からない。他人事じゃないと思っている。学生には命ある限り思うように生きてほしい。

 

●教職員

 

・多田幸生さん(神戸大大学院システム情報学研究科教授)

 

毎年訪れる。時間を無駄にしてはいけないと感じる日でもある。20年はあっという間だった。(学生に)毎日を無駄に生きてはいけない。充実して過ごしてほしい。

神戸大学ニュースネット委員会