NEWS NET 編集室から2000

阪神大震災関連
みなさんからの「声」


 このページには、NHKテレビ『新日本探訪〜いのち語り継いで 神戸・学生新聞の震災5年』(2000年1月16日放映)をご覧になった皆さんや、震災特集紙面『被災学生 5年目の追悼手記』(2000年1月17日付 神戸大、関学、神女院大、関大、阪大各紙共同取材)を読んだ読者の皆さんからの反響を掲載します。
 関西学生報道連盟共同編集室や神戸大学学生課など各大学あてに、郵便やファクス、メールで届いた反響は三十通を超えました。「震災特集紙面を送付してほしい」というお問い合わせをいただき、紙面をお送りしたところ、その感想もたくさんいただきました。
 一部、各大学編集部のホームページとの重複がありますが、ここに掲載させていただきます。みなさんからの声を忘れずに、私たちは取材・編集活動を続けて行きたいと思います。

   みなさんからのご意見、ご要望をお待ちしています
     newsnet@std.kobe-u.ac.jp

UNN関西学生報道連盟http://www.unn-news.com/
 《共同編集》
  神戸大学ニュースネット委員会http://www.std.kobe-u.ac.jp/newsnet/
  同志社大学PRSS編集部http://www.unn-news.com/doshisha-p/
  NEWS立命通信社http://www.unn-news.com/news-ritsumei/
  関学新月トリビューンhttp://chu-shiba.kwansei.ac.jp/tribune/
  阪大POST通信社http://www.unn-news.com/handai-post/
  関西大学タイムスhttp://www.unn-news.com/ku-times/
  奈良女子大学新聞はいんずhttp://www.unn-news.com/narawu-p/
  神戸女学院大学K.C.Presshttp://www.unn-news.com/kcpress/
  大阪外大新聞http://www.unn-news.com/gaidai-shimbun/


NHKテレビ『新日本探訪』をみて
社会人になっても忘れないで 香川県坂出市 女性
後輩の世代に語り、書き伝えて 島根県益田市 女性
前向きに生きていきます神戸市 女性(亡くなった神戸大生の母)
ボランティア仲間と読みたい 福島県郡山市 女性

被災地をより近くに感じたいのです 愛知県春日井市 男性
放映の奥まったところにあるもの 岡山県苫田郡 男性(75歳)
無事だった娘 被災地を思い出す 宮崎県都城市 女性
遺族の方々の気持ちを大切に 新潟県 男性(元中学教員)
命とは… 心を合わせて取り組んでほしい 四国 女性

伝える使命感に遥かなるエール 愛媛県宇和島市 男性(元教諭)
忘れたい 忘れちゃいけない 兵庫県 男性(高校3年生)
友の眠る慰霊碑を訪ねて 神戸大卒業生 男性
命の重さを感じて… 東京都 女性(会社員)
胸が締め付けられる思い 神戸市 女性(神戸大生)

震災特集号(2000年1月17日付)を読んで
一人息子を亡くして 枚方市 女性
語り、次の世代に理解してもらいたい 吹田市 女性

いつの日か静かに読みます 神戸市 女性
学生のみなさん「人の死」を考えて… 大阪市鶴見区 男性
いとこの死と重ねて 東灘区御影本町 男性
子を持つ親の気持ちに涙した 兵庫県氷上郡 女性
地震で傷を負った人を思いながら 神戸市長田区 女性

あふれる無念さが込み上げ 大阪市此花区 男性
友人と、親子で読んでいます 神戸市西区 女性
被災した会社 回覧して読みたい 神戸市中央区 会社員(女性)
教え子の中三生に考えてもらいたい 新潟県 中学校 教諭
他人事とは思えず、涙 富田林市 女性




■社会人になっても忘れないで
香川県坂出市 女性


NHKテレビで、震災特集のことを拝見し、
とても感激いたしました。
特に責任者の方が、震災のときは高校生でいらしたのに
亡くなった先輩方の追悼集を出されたこと、本当にうれしく思いました。

私宅の息子も平成元年卒業(神戸大・法学部)です。
震災当時は新聞記者として四十日ほど神戸で取材しました。
現在、東京在住ですので、ぜひ読ませてやりたく思います。
私も三月、ボランティアで一日ですが神戸へ参りました。
息子の下宿していた所は六甲道(JR)駅の近くでした。
本当に他人事とは思えず、息を呑む思いでした。

亡くなった若い方たちのことを思うと、
残念で残念で、もう、何ともいえない気持ちです。
何のお役にもたてない私たちですが、一人でも多くの人に伝え、
忘れないでいたいと心から思います。

皆様、どうぞ頑張って、また、社会人になられても
忘れることなく次代の人に引き継がれるよう活動されますよう、
お願いいたします。
<2000年1月17日/手紙で>



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■ 後輩の世代に語り、書き伝えて
島根県益田市 女性


あの当時、長男は神戸大学一回生で
灘区の木造の古いアパートに居を構えていました。
一応、全壊扱いになったため帰省させたものの、
二ヶ月の内、数回は神戸を往復していました。
春四月からは大阪・東淀川へ引越し、
三回生のころにはまた灘に戻ってきたりと
彼なりに大変な日々だったと思います。

こちらでニュースを見聞きする度に目頭が熱くなり、
今回もお電話したときについ涙声になってしまう位です。

いま、長男は大阪・池田市に住んで今年は社会人三年目です。
ほとんど震災の話はしませんが、
六甲祭には実行委員として頑張っていた姿が
はっきりと思い出されます。

私も兵庫県出身です。
神大は遠くにいてもとても身近な気がします。
あの日…長男が命を落としていたら…。
きっと私は立ち直れず、いまだに引きずって生きてきたことでしょう。
話をしたくないというご父兄の気持ちはよくわかります。

是非、後輩の方々で次の世代に語り、書き伝えて欲しいと願っています。
<2000年1月16日/手紙で>



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■前向きに生きていきます
神戸市西区 女性(亡くなった神戸大生の母)


NHKの「新日本探訪・いのち語り継いで」を拝見いたしました。
部員の皆様のご努力の様子が伺えました。
私たちも何とか前向きに生きていきたいと思っています。
<2000年1月/手紙で>



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■ボランティア仲間と読みたい
福島県郡山市 女性


先日のテレビで皆様のご活動を知り、大変感銘を受けました。

私は、ほんの十日間のボランティアだったのですが
高齢者の方々の安否の確認と支援活動をしました。
いまでも、ちょっとしたことでも
お会いした方々の不安な表情を想い出します。

さて、大変お手数ですが、この度発行された遺族の方々から
寄せられた追悼文特集の新聞を是非分けて頂きたいのです。
ボランティア仲間と読み、話し合いたいと思っております。
<2000年1月21日/手紙で>



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■被災地をより近くに感じたい
愛知県春日井市 男性


NHK「新日本探訪」で貴団体のご活躍を拝見し、
痛く感銘を受けこの手紙を書きました。
この間、テレビなどの報道で
五年前の阪神・淡路大震災が起ったときのことを
思い出しているところです。

半年後ではありますが神戸に立ち寄る機会があり、
そのとき電車の窓から見える傾いたマンションやテントや仮設住宅、
ビニールシートがかぶせられた家々など今も記憶に強く残っています。
半年経っても傷跡が多く残る光景に地震のすさまじさを改めて感じました。

結局は当事者でしか解らないことなのかもしれませんが、
しかし私なりに、どんな風にこの五年間が過ぎてきたのか、
どんなふうに乗り越えてこられたのか
より近くに感じたいと思っておりました。
貴団体のご活躍を拝見した時
紹介されていた学内新聞に大変関心をもち、
ぜひこれからの参考にさせて頂きたいと思っているところです。

貴団体があの震災の継承者の一人として、
また、寄り多くの人達に勇気を与えるよう、
更なるご活躍を心から願っております。
<2000年1月18日/手紙で>



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■放映の奥まったところにあるもの
岡山県苫田郡 男性(行政書士 75歳)


一月十六日(日)NHKの新日本探訪で放映されました、
震災で散った若き学生諸君の
震災五年にあたって特集される苦労を受賜りました。
ニュースネットの運営のご苦労が
放映の奥まったところにあることを聞きながら
私ももらい泣きを致しました。
あなたの努力は
これからの人生の節々で役立つものと信じてやみません。
<2000年1月16日/手紙で>



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■無事だった娘 被災地を思い出す
宮崎県都城市 女性


私の娘も五年前、神大に在学しており、成人式を終え、
一月十六日に下宿先に戻り、その翌朝、被災しました。
幸い、鉄筋建てのアパートだったため、
一命は取りとめたものの、「赤紙」がはられ、住めなくなりました。
三十九名の学生の中に、何かのゼミで一緒だった方の名前もあり、
ご両親のお心を思うと、本当に何と申し上げていいのか言葉もありません。

この離れた土地で、もし、娘がそこにいなかったら、
私も多分、記憶にとどめてはいなかっただろうと思います。
娘は地震についてあまり語ろうとしませんが、
私は後片付けに行った時に見た家屋、
電車が通じなくてずっと歩いた線路、
小学校の中庭に張られたテントの青い色等々、
今でもしっかり覚えています。

物的再建は出来ても、心的再建はまだまだ難しいですね。
それでも、若い方々が懸命に努力して下さって
特集号を出して下さるというのは有難いことです。
向寒の折、お体お大事に、ご活躍お祈り申し上げます。
<2000年1月16日/手紙で>



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■遺族の方々の気持ちを大切に
新潟県 元中学教員(男性)


NHK新日本探訪「震災を語り継ぐ」の放映で、
神戸大学ニュースネット委員会の活動を知りました。
遺族の方々の気持ちを大切にして
取材を丁寧に続ける栃谷さんをはじめ、
メンバーの方々の真摯な姿に私は感動しました。

私は新潟県で中学の教員を三十八年間やって、
三年前に定年退職し、今は若干のボランティア生活をするものです。
私は昭和十一年生まれですが、十六年に家族で満州に渡り、
終戦の翌年に引揚げてきました。
終戦から帰国までは筆舌に尽くせない苦しい生活をしました。
教員生活も中学校の荒れと管理体制の中で、
それでも奮闘してきました。
ですから、「平和」と「教育」については人一倍、敏感になっています。
従って、最近の政治、教育状況については言いたいことが山ほどあります。

あの放送は、全国でたくさんの人々が視聴し、
心ある多くの方々が励まされたことと思います。

今後とも、貴ネットワークの活動がうまくゆき、
その中で皆さんが素敵な若者になってくださるよう、
新潟の地から念じております。
ありがとうございました。
二◯◯◯年のはじめに、勇気の出るプレゼントをいただきました。
<2000年1月16日/手紙で>



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■命とは… 心を合わせて取り組んでほしい
四国 女性


新日本探訪“いのち語り継いで”をみせていただきました。
若い学生の皆様が、三十九名の尊い命をむだにしないようにと
取り組まれている姿に感銘を受け、手を合わせました。

私方の息子は今、大阪に居ますが、あの年、
仕事があるからと一週間早く帰ったのです。
四国高松から夜、ジャンボフェリーに乗ると
明け方青木港に着きます。
自分で車を運転すると
五時四十五分ごろにはちょうど高速の下を走るのです。

卒論の予定がなければ、あの地震の日に帰省するはずだったので、
今日、放映されたことは他人事ではなく、
身につまされるものがありました。
親御さんのお気持ちは…と思いながら。
本当に悲しいです。

神戸大学の学生さん達のお力によって、
形あるものにして語り継がれることは、
「命とは…」
「生きるとは…」
「人生において大切にしなければならないものは…」
などを、皆で考えましょう、と訴えられているように思いました。

心を合わせて取り組んでほしいものです。
ご活躍を期待しております。
<2000年1月/手紙で>



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■伝える使命感に遥かなるエール
愛媛県宇和島市 元教諭 男性


去る一月十六日朝、貴女(栃谷亜紀子編集長)の活動を
テレビでみせてもらいました。
とかく悪く言われる若い人達の中にも貴女のように
こんなにも素晴らしく頑張っている人がいるんだなと
感動させられました。
あき子さんといより、あきちゃんありがとう!
教育歴35年の長きにわたり、
心の教育一筋に歩んできた甲斐がやっと報われた想いです。

二度とこんな不幸(震災)が起こらぬよう、
しっかり後世に伝えて行かなくてはならない使命感に燃える
心優しいあきちゃんに遥かなるエールを送ります。
古稀を迎えた正月の最良の心の贈り物。
もう一度、ありがとう!!
<2000年1月/手紙で>



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■忘れたい 忘れちゃいけない
兵庫県 高校3年生


僕は今高校の3年で地震のときは中学1年でした。
その時に同じ部活の友達が亡くなってしまいました。
本当に仲が良かった友達なので本当に悲しかったのですが、
こんな悲しいことは忘れたいという気持ちがあって
今年の1月17日は普段どうりの生活をしていました。
テレビは一切見ませんでした。
でも1月の19日にNHKの番組の再放送がやっていて
つい最後まで見て涙も流していました。
本当は忘れちゃいけないことなんだけど
思い出すと辛くて辛くて仕方なかったけど、
こういうことをやっている人もいるのだから少し考えてみようと思います。

P,S,追悼手記すごく良かったです。これを読んでまた泣いてしまいました。
<2000年1月19日 メールで>



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■友の眠る慰霊碑を訪ねて
神戸大卒業生(1997年卒)


昨日の番組、拝見させていただきました。
皆様方のお取り組みに対して、深い感激また感謝の念でいっぱいです。
つい先ほど、なつかしの六甲台を訪れてまいりました。
毎年感じることですが、変わりゆく風景とあの頃と変わらないものとが共存する
その場所は私にとって特別な存在です。
また、個人的に親しくさせて頂いていた
(亡くなった)林宏典君との思い出が
存在し続ける場所です。
書きたいこと、何かを伝えたいという気持ちは強いのですが
一言お礼と感謝を申し上げたく送らせていただきました。
ほんとうに、ありがとうございます。
拙文、失礼いたします。
<2000年1月17日 メールで>



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■命の重さを感じて…
東京都 会社員


東京に住む会社員です。
さきほど、偶然つけていたテレビで「新日本探訪」を拝見しました。
私も震災の時は大学四年生でしたが、
亡くなった五千数百人の方を数字でしか実感していなかった自分に
番組を見て気づきました。
その中に神戸大学の学生さんや留学生の方39人が含まれていて
一人一人に将来や夢があったこと。
その重さをはじめて感じて愕然としました。
私も大学生の時は名古屋で「グランドネットワーク」という 学生雑誌を作っていました。
その時は取材するときの緊張や
まったく初対面の人から心の内面を引き出すことにとてもストレスを感じ
ほとんど人の役に立つような仕事ができていなかったと思います。
その自分とくらべても、
遺族の方のつらい思いを聞く怖さを乗り越えて、
思いを文字にしてたくさんの方に伝えようとされた
編集部のみなさんの勇気と実行力はすごいと思います。
あの新聞は明日配られるそうですね。
まだホームページをよく読んでいないのですが
記事はホームページ上で読めるのでしょうか。
ぜひ、読ませていただきたいと思います。
突然メールを書きまして失礼しました。
これからも皆さんが人を励まし勇気を与える仕事を続けられることを
応援しています。
がんばってください。
<2000年1月16日 メールで>



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■胸が締め付けられる思い
神戸市 神戸大生(経営学部2年)


突然のE‐MAILをお許し下さい。
「新日本探訪」を拝見いたしました。
恐怖の震災の日から5年の月日が経ったといえど、
やはり考えるといつ何時でも心に蘇える、
あの悲しみに胸が締め付けられる思いがいたしました。
月日が癒すものは何なのであろうか、
そして、月日も決して癒し得ぬものは何なのであろうか。
5年と言う歳月の経過を迎えた被災者の方々の表情を見、
私の中に何か複雑な思いが浮かんできました。

被災者にとって、その歳月は当時の悲しみをまた
違った形でより強く呼び起こさせるものとなるかもしれません。
例えば、15歳の子を失った両親は、
その子が生きていれば成人を迎えるであろうことを考え、
震災で我が子を失った悲しみをより強く思い出されると思います。
それは、その両親にとって、
5年と言う歳月がもたらした新たな悲しみなのではないでしょうか。
被災者の悲しみが少しでも小さくなることを願い、
そのために出来る事が何かを考え、
また、実際に行う事が出来るのは、私達人間です。
そんな、人間の持つ本当の、人間らしい優しさが、
真の意味で人々を救ってゆくと私は考えます。

5年と言う歳月が、被災者を癒しこそすれ、
決して、人々の中での震災の記憶を
薄くしてしまう様なことがない事を願います。
これからやはり、止まることなく流れて行く歳月が、
被災者にとっても、又、それ以外の人々にとっても、
大切な意味を持つものとなってゆくことを願います。
住田アナウンサーのナレーションが本当に心に沁みるものでした。
長い長いメールをお許し下さい。
<2000年1月16日 メールで>



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■一人息子を亡くして
枚方市 女性


この度はお忙しいところ早速「追悼の手記」を
お送り下さいましてありがとうございました。
私事で申し訳ありませんが、
昨年八月に25歳の一人息子を
急性心機能不全という病名で失ったものでございます。
会社の寮で亡くなっていました。

もうすぐ六ヶ月が経とうとしていますが、
立ち直ることが出来ずにいます。

それまで震災でなくなられた方のことは
気の毒にとずっと思ってはきましたが、
今年は一月十七日前後のTVや新聞、
自分の身に起こったことと併せて
いろいろ考えながら見ていたことでございます。
震災で子供を亡くされた方は私より、
もっともっと残念無念であったろうと思います。
ただ、子供を先に失うという親の気持ちは
通じるものがあると思うのです。

私はこの五年、どういう風に過ごして来られたのか、
今の自分をもし助けて下さるような手記があればと、
そんな思いで申し込みさせて頂きました。
ありがとうございました。
私も何年かかるかわかりませんが、
いつか悲しみを乗り越えて
生きていきたいと思っています。
主人もボロボロになった息子の自転車を
駅まで乗っていきます。

切手が少しありましたので余分に送らせて頂きます。
お役に立てればうれしいのですが…。
活動されている皆様のご健康と、
より一層のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
<2000年1月22日/手紙で>



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■語り、次の世代に理解してもらいたい
吹田市 女性


震災の日は私たちの住んでいる吹田の千里地域も
震度6という今までに体験したことのない経験をしました。

東灘から引っ越してきた友人も
神戸に残っていた友人が被災し、
ここまで二重ローンを抱えながらも
元気にやっていたのに
突然の肝臓ガンで亡くなり、
なんとも辛い、せつないと言っていました。

大学生の皆様が、志なかばで神に召されたことの悔しさなど
私たちがわかるとはいえませんが、
これを語り、次の世代に理解してもらえるよう
皆様も努力して下さい。
<2000年1月30日/手紙で>



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■いつの日か静かに読みます
神戸市 女性


早速、新聞を送って下さいましてありがとうございました。
今はまだまだ読むことが、
何だか一生懸命落ち着かせている気持ちが、こわれそうなので、
読むことができませんが、
いつの日か静かに見せて頂きます。
寒い折、くれぐれもお体に気をつけて下さい。
<2000年1月/手紙で>



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■学生のみなさん「人の死」を考えて…
大阪市鶴見区 男性


早速「追悼手記」を送って下さりありがとうございます。
同じ年頃の娘(神戸大二年)や息子(高二)を持つ親として
とても他人事とは思えませんでした。
大災害だけが理不尽に人の命を奪うのではありません。
貴女たちもどうかご自愛なさって、元気でご活躍下さい。
尚、「人の死」を考える上で、学生さん達に読んで欲しい本があります。
気が向いたら手にとってみてください。
 岩波新書「交通死」(二木雄)
 講談社現代新書「愛する家族を喪うとき」(保阪正康)
<2000年1月/手紙で>



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■いとこの死と重ねて
東灘区御影本町 男性


震災の次の年の成人の日に、
いとこの大学二年生が交通事故で即死しました。
よくテレビのニュースで見る光景ですが、
まさか親戚がテレビに出るとは…。
お葬式の出棺のとき、合掌してふと時計を見ると
一月十七日正午。
ちょうど、合同一周忌の黙とうと同じ時間でした。
<2000年1月/手紙で>



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■子を持つ親の気持ちに涙した
兵庫県氷上郡 女性


すぐ目を通させて頂き、どの追悼手記にも子を持つ親の気持ち、
肉親への想い、涙なしには読めませんでした。
この手記を書くことにより、当時の悲しい出来事を、
昨日のことのように思い起こされた方もあっただろうとお察し致します。
月日の経過とともに少しづつではあっても
明日への希望につなげ、前進されている様子が
文の中にも読み取れ、ホッと致しました。

私がこの記事に深い思いを抱いたのは
息子が神戸大の2回生か3回生の時と思いますが、
応援団に所属していて当時の応援団長だった
高見秀樹さんのことをよく話していたからなのです。

私たちも震災の翌日、息子が元気かどうか、
確かめる為に長い時間をかけ、神戸にたどり着き、
東灘あたりを
バイクで友人を探していた息子の姿を見たときは
涙があふれ、どうすることもできませんでした。
本人は友人たちのことが気がかりで
私たちは元気な姿を確認して帰宅しました。

高見さんのお葬式には団員が参列し、
また、一周忌にもお参りをさせて頂いたみたいです。
お母様の手記が掲載されておりましたが、
一度私からも励ましの手紙を書きたいと考えております。

この手記の発行にご尽力されましたことを感謝し、
皆様の今後の若い力のご活躍を心からお祈りし、ペンを置きます。

追伸 一部は息子の寮へ転送しました。
<2000年1月/手紙で>



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■地震で傷を負った人を思いながら
神戸市長田区 女性


この度は「追悼手記」早速お送り下さいまして
ありがとうございました。
皆様のお気持ちをくり返し読ませて頂きました。
私も身近に地震の傷を負った者がおりまして、
どう慰めてよいか迷っていました。

皆様方の手記を心の糧として、
心の杖となってやらねばと、心を新たに致しました。
<2000年1月25日/手紙で>



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■あふれる無念さが込み上げ
大阪市此花区 男性


震災特集5年目の追悼手記を読ませてもらいましたが、
我が子を偲ぶ親として、一行ずつの字句の中に
あふれる無念さが込み上げてきます。
そして若い学生さん達の取材と
写真入手、紙面構成、印刷、等々の
努力奮闘ぶりもうかがえました。
特に甲南大学に学ぶ子供の親として、
今でも図書館で震災書物を読み続けています。
<2000年1月/手紙で>



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■友人と、親子で読んでいます
神戸市西区 女性


突然の震災で
大切に育てた子供の命を奪われてしまったご両親のお気持ちは、
私も同じ年頃の子供を持つ親として
察するにあまりあるものがあります。
この新聞を一人でも多くの若い方々に読んでいただき、
生きたくても生きられなかった若者のことを考え
大事に自分の人生を歩むよう考えてもらいたいと思います。
私も送っていただいた新聞を何人かの友人に差し上げて、
親子で読んでもらっています。
本当にご苦労様でした。
そしてありがとうございました。
震災関連の写真集や本と一緒に大切に保管させていただきます。
<2000年1月27日/手紙で>



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■被災した会社 回覧して読みたい
神戸市中央区 会社員(女性)


私共も五年前の阪神・淡路大震災に遭い、
本社事務所が全壊となり、
必死で事業再建に取り組んで参りました。
番組の中で震災の「特集号」を発行された様子を拝見し、
是非、私共社員もその新聞を読み、回覧したいと思った次第です。
<2000年1月18日/手紙で>



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■教え子の中三生に考えてもらいたい
新潟県中頚城郡板倉町 中学校 教諭


これだけの特集、大変だったですね。
頑張りに拍手します。
涙涙で読ませていただきました。
高校受験真っただ中の
中学三年生に考えてもらいたいと思っています。
<2000年2月3日/FAXで>



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■他人事とは思えず、涙
富田林市 女性


送っていただいた新聞を読ませていただいていると、
あの日の様子が目に浮かぶようで涙が止まりませんでした。
私事ですが息子が当時、
神戸大学経営学部(田村ゼミ)の三回生でしたので、
とても他人事とは思えません。
これからも皆様のご活躍を願っています。
<2000年1月25日/手紙で>

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