NEWS NET

神戸大NEWS NET 2008年1月後半のニュース



◎願書受付を開始 神戸大入試

 神戸大は1月28日から平成20年度入学者一般選抜前期日程・後期日程の出願受付を開始した。締め切りは2月6日午後5時。出願書類の受付は郵送のみ。【1月29日 神戸大NEWS NET=UNN】

 出願状況は2月12日まで、神戸大ホームページ内の「学部入学案内」(http://www.kobe-u.ac.jp/admission/index2.htm)の「入試状況速報」で見ることができる。

INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎高橋教授の最終講義 29日に保健学科で

 医学部保健学科の高橋十郎教授が平成19年度末で退官する。最終講義は1月29日、午後3時から。場所は医学部保健学科D201教室で。テーマは「思いのままに」。【1月28日 神戸大NEWS NET=UNN】


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎求められる人物像とは 平成19年度リートレ

課外活動団体の次世代の指導者を養成する「リーダーズトレーニング」が1月26日、国際文化学部キャンパス内で行われた。文化総部、体育会などから合わせて84の団体が参加し、講義やグループ討議に熱心に取り組んだ。【1月26日 神戸大NEWSNET=UNN】

Photo   グループリーダーに必要なものは何か。財団法人OAA(野外活動協会)事務局長の清水勲夫さんは、自身の経験を交えてリーダーの在り方について講義した。清水さんは学生時代は応援団に所属。厳しい練習や上下関係での実体験に基づいた話に学生らが聞き入っていた。

昼食前には文化総部、体育会の幹部交代式が催され、新旧の役員らが壇上で挨拶。午後からは部員の健康管理をテーマに保健センターの藤平和弘講師が睡眠の必要性を説いた。

文化総部、体育会などが9つのセクションに分かれて行ったグループ討議では、リーダーの役割や理想像について議論。部員の温度差や新入生の扱いなど、各部が抱える問題についても意見を交わした。

応援団による学歌指導の後の閉会式で学生生活課の池ノ上課外活動企画係長は、「いつでも(学生を)支援するので相談してほしい」と締めくくった。(記者=伊崎春樹)

【写真】応援団の吉松孝浩団長の指揮で行われた学歌指導の様子。(1月26日・国際文化学部キャンパスで 撮影=濱田直毅)


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎医工連携一周年シンポ 2月28日百年記念館で

 経済産業省中核人材育成制度の成果として4月より開講した「工学研究科博士課程前期課程医工連携コース」の設立一周年を記念する、神戸大学大学院工学研究科シンポジウム「医工連携の今後を探る」が2月28日、神戸大学百年記念館六甲ホールで開催される。時間は午後1時から5時半。参加費は無料(午後5時半からの交流会に参加する人は参加費1000円が必要)。定員は200名。【1月24日 神戸大NEWS NET=UNN】

 シンポジウムでは医工連携コースについてその経緯や現状について説明するとともに、医工連携分野の教育や研究の在り方について産官学にてパネルディスカッションを行うことで今後の方向性についても検討する予定。また、工学研究科における医工関連研究や医工連携コースの内容、現学生の取り組み状況なども紹介する。

●概要
日時 2008年2月28日(木)13:00〜17:30
場所 神戸大学百年記念館(神大会館)六甲ホール
定員 200名
交流会 17:30より滝川記念学術交流会館で
特別講演 「ライフサイエンス分野への期待と課題」近畿経済産業局地域経済部 尾沢潤一氏
特別講義 「医療用デバイス開発研究の現状〜私が人工臓器研究をやめた理由〜」産業技術総合研究所バイオニクス研究センター 金森敏幸氏

●参加方法
社名または団体名・住所・連絡先・氏名・役職・交流会の参加または不参加を明記し、2月18日までに電子メールもしくはファックスにて下記まで連絡する。

申込および問合せ先
電子メール:sympo-entry@kaede.cs.kobe-u.ac.jp
ファックス:078-803-6391(「神戸大学医工連携シンポジウム」事務局宛て)

INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎医工農連携フォーラム 2月6日に開催

 医・食・産業の未来を展望し、医工農連携研究や産業のあり方について考える、神戸大医工農連携オープンフォーラム「医工農連携と医、食、産業の未来」が2月6日、神戸市中央区の神戸市産業振興センターで開催される。時間は午後1時から午後5時半。料金は無料(ただし、午後5時半からの交流会に参加する人は3000円が必要)。【1月23日 神戸大NEWS NET=UNN】

●医工農連携オープンフォーラムのプログラム(2月6日・神戸市産業振興センター)
午後12時半 受付開始

午後1時 開催挨拶 神戸大 野上智行学長

午後1時10分 第1部 パネルディスカッション「21世紀の医療、産業、食の展望−研究と教育の地域貢献」
(パネリスト) フジッコ株式会社 代表取締役社長 福井正一氏
        神戸大医学系研究科 春日雅人教授
        神戸大工学研究科 多田幸生教授
        神戸大農学研究科 金沢和樹教授
        神戸大連携創造本部 出来成人部長
(デモレーター) 神戸大経営学研究科 原拓志教授

午後3時10分「医工連携コース(中核人材育成)」の紹介
       神戸大工学研究科 田浦俊春教授

午後3時30分 休憩

午後3時50分 第2部 医工農技術シーズ講演「神戸大の医工農連携研究の紹介」
       神戸大医学系研究科 東建教授
       神戸大学術情報基盤センター(工学研究科) 熊本悦子准教授
       神戸大農学研究科 大澤朗教授

午後4時50分 パネル展示と発表者による説明(9階901号室)

午後5時半 交流会(10階レセプションルーム)

INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎原教授の最終講義 25日に第二学舎で

 経済学部の原正行教授が平成19年度末で退官する。最終講義は1月25日、午後1時20分から午後2時50分まで。場所は六甲台第二学舎263教室で。テーマは「国際投資論: 直接投資の理論・政策の課題」。【1月21日 神戸大NEWS NET=UNN】


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎負けても「残った」 関西フットサルリーグ

 関西フットサルリーグ第10節が1月20日、滋賀県立体育館で行われた。リーグ6位の神戸大フォルサは4位のK’ntetsuと対戦し2−4で敗れるも、他試合の関係で1部リーグ残留を決めた。【1月20日 神戸大NEWS NET=UNN】

Photo  守備を基本とした試合展開の中で、チャンスを確実にものにすることでリーグ2連勝中だったフォルサ。しかし、今試合では持ち味を生かせなかった。

 2−2で迎えた後半14分。フォルサは守備が整わないうちに自陣中央のスペースを相手に与え、ゴールを許す。続く17分。サイドに流れたボールを相手が逃さず、そのままシュート。またも相手をフリーにさせて追加点を奪われた。

 何度も相手をフリーにさせ、失点を許す。「自分たちがやるべきことができていない」。今試合、足首を痛め出場できなかった主将の赤本(経済・3年)は、チームのふがいない内容に唇をかんだ。「課題ばかりです」と赤本主将はうつむき加減で話した。

 フォルサは試合には負けるも、今試合の前に行われた試合で11位のSUPREMEが敗れたため、勝ち点差で1部リーグ残留を決めた。
 次節はリーグ最終戦。相手は同じ地元でフォルサがライバルとしているAFC神戸。リーグ2位の相手にとって、次節は優勝がかかっている大事な試合。全力でフォルサに向かってくることは間違いない。だからこそ、「絶対に負けたくない」(赤本)。(記者=西田健悟)

●関西フットサルリーグ第10節(1月20日・滋賀県立体育館)

神戸大フォルサ 2 1−1 4 K'ntetsu

         1−3

【写真】3失点目の様子。呆然とするフォルサ選手(写真左)(1月20日・滋賀県立体育館で 撮影=西田健悟)


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎フォルサ、ついに敗退 全日関西選手権

 第13回全日本フットサル選手権関西大会が1月14日、大阪市中央体育館で行われた。兵庫県代表として同大会に挑んだ神戸大フォルサは、グループリーグで最下位に終わり、選手権敗退が決まった。1試合目はJOYに1−2で敗れ、2試合目はCROTALO奈良に1−1で引き分け、1敗1分で勝ち点1だった。【1月20日 神戸大NEWS NET=UNN】

 ボールがクロスバーに跳ね返る。ゴール前の密度が急上昇する。ネットが、揺れた。

 試合終了まで残り7秒のことだった。JOY戦を落とし、GL通過のためには勝つしかないCROTALO戦。ゴール前の混戦から痛恨の同点弾を食らい、GL最下位が決まった。

 後半11分にカウンターから、A東中(発達・2年)が先制ゴールを奪った。「点が取れない感じは無かったし、自分たちのしたいことの8割は出来ていた」が、「最後の場面で押し切られたかな、運も無かったかもしれませんね」。先制点をアシストした赤本主将(経済・3年)は力なく笑った。

 創部史上、初めて掴んだ兵庫県代表の座。そこまでの道のりの厳しさとは裏腹に、突然の幕引きがフォルサに訪れた。だが、関西リーグの試合をが目前に控えた今、落ち込んでばかりもいられない。「(次のリーグ戦まで)あと1週間無いですけど、切り替えるしかない」。主将は下など向いていない。(記者=深江友樹)

●第13回全日本フットサル選手権関西大会GL第2試合

神戸大フォルサ 1 0−0 1 CROTALO奈良

         1−1


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎来月17日から開講 ボランティア講座

 平成19年度ボランティア講座(協力・神戸大学学生震災救援隊、神戸大学総合ボランティアセンター)が2月17日から3月17日にわたり、開講される。同講座は学生ボランティア活動の推進を目的として始まり、今年で11回目を迎える。テーマは「社会的排除と市民活動」。【1月19日 神戸大NEWS NET=UNN】

 教授らによる講義だけでなく、実際に地域でボランティア体験実習を受けることができる。受講料は無料。定員は45人。申し込み、問い合わせは学生センター (学務課) または各学部・研究科の教務学生担当係まで。


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎母への思い、歌に 六甲台に響き渡る

 阪神・淡路大震災で犠牲となった加藤貴光さん(当時法・2年)が生前に母の律子さんに送った手紙が歌となった。母への感謝や大学生活を送る上での決心をつづった文章は「親愛なる母上様」と題され、1月18日に六甲台の慰霊碑前で作曲した音楽家の奥野勝利さんによって熱唱された。コンサートには律子さんも出席。学生や大学関係者などが集まった。【1月18日 神戸大NEWS NET=UNN】

Photo  夢は国連職員。戦争に憤りを感じ、世界平和の実現を望んでいた貴光さんは志半ばで亡くなった。震災で西宮市のマンションが全壊。律子さんが到着したときはすでに息を引き取っていたという。

 貴光さんは大学の入学式直前、式に主席できない律子さんに手紙を渡していた。下宿先の見学を終え、新大阪駅から広島へ戻るときだった。息子との別れに涙を流す母に、車窓越しに貴光さんは律子さんのポケットを指さした。そこには1通の手紙が入っていた。

 「私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること……。この二十年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。そして今、私はこの翼で大空へ翔び立とうとしています。誰よりも高く、強く自在に飛べるこの翼で」。

Photo  感動のあまり、広島に到着するまで列車の中でずっと涙を流していたという律子さん。貴光さんは丑年生まれなので、友人からは「うし君」と呼ばれていた。手紙はこう締めくくられている。「翼のはえた“うし”より」。

 昨年の1月17日、奥野さんはインターネットで偶然その手紙を見つけ、胸を打たれた。衝撃的な出会いに、「いつの間にか曲ができあがっていた」。完成した曲を、自身のブログに掲載。昨年11月、律子さんもまた偶然その曲を知った。「自分の息子の手紙に勝手に曲をつけられていたから、怒りがこみ上げてきてもおかしくないのに、不思議とそんな感情は起こらなかった」。律子さんはその曲に感動。すぐに奥野さんの連絡先を探し出し、2人は何度もメールを交換した。ちょうどメールが100通目に達した今年1月2日、広島の律子さん宅で初めて対面。奥野さんは六甲台の慰霊碑前を最初とし、自身の音楽を見つめ直す旅に出ることを、律子さんはその手伝いをすることを決めた。

 13年前、貴光さんが過ごした六甲台キャンパス。この日、「うし君」の思いをのせた曲が響き渡った。律子さんがマイクを持ち、奥野さんが電子ピアノを弾きながら熱唱。集まった観客は、そっと歌に耳を傾けた。「(亡くなって)口のない人の話を伝えるのが使命」と奥野さん。律子さんは「今の私にとっては命にも等しいほど大事な彼からの手紙。今は普遍性のあるメッセージのような気がします」と話した。次のコンサートは未定だが、2人は最初の一歩を神戸大から歩み始めた。

《コンサート参加者のコメント》
●野上学長:「奥野さんの曲をインターネットで一度聴いたことがあったが、ぜひ生で聴いてみたく出席した。亡くなった学生へのご遺族の思いをもう一度確認しておきたかったのも(出席理由に)ある。いざ曲を聴いてみて、言葉では伝えきれないものがあった。歌詞がいいとかそういう問題ではない。ただ、ただ、言葉で表すことができないものがこの曲にはある」。

●震災で亡くなった競基弘さん(当時自然科学研究科博士課程・1年)の両親:「手紙は、震災の後、新聞に載っていてずっと知っていました。律子さんはとっても生き生きとしておられた。(歌を聴いて)私たちは涙を流すことしかできないので」。

●神戸大職員の瀬崎優子さん:「とても感動しています。自分に何かできることはないかと思って参加したが、今は胸がいっぱいです。お母さんとなくなった息子さんとの親子の絆の強さを知って、自分の母親を思い浮かべたし、生きる力をもらった。生き残ったお母さんにはこれからもがんばって欲しいと思う」。

(記者=濱田直毅)

【写真上】慰霊碑の前で熱唱する奥野さん(右)とマイクを持つ律子さん。
【写真下】コンサート終了後、野上学長(左)と握手をする律子さん。(いずれも1月18日・六甲台キャンパス慰霊碑前で 撮影=濱田直毅)

INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎個性が生み出す可能性 第11回KUBC番組発表会

 KUBC神戸大学放送委員会の第11回番組発表会〜ウイニングイレブン〜が1月17日、国際文化学部B109で行われた。部員が制作した独創的な番組が、集まった観客たちを大いに楽しませた。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

Photo  3年生が引退して3ヶ月。新体制のKUBCが初めて行う番組発表会に、教室には40人を超える観客が集まった。この日に行われたプログラムは全員出演の大作『バトルロワイヤル in KUBC』を含む13作品。映像作品だけでなくナレーションや朗読が、掛け合い漫才形式での司会のもとテンポよく進行された。

 時に観客から起こる苦笑、失笑、大爆笑。「今年のKUBCはいい意味で統一感が無い。笑いに対する感性がそれぞれ違うので新たな可能性が生まれる」と新委員長の田島真さん(文・2年)も話すよう、昨年までとも一味違う個性豊かな番組が観客を魅了した。

 「一番大変だったのは(工事でスタジオのある)学館が使えなかったこと」と田島さん。新体制で最上級生となる2年生はわずか3人。予期せぬ事故にも見舞われたが、スーパールーキー「林君」をはじめとする多くの1年生と力を合わせ発表会を行えたことに満足感を見せていた。

 次の舞台は4月。新生KUBCの未知なる可能性、「林君」の更なる成長に期待だ。(記者=塚本京平)

【写真】個性豊かな番組が放映された。中央は「林君」。(1月17日・国際文化学部B109で 撮影=塚本京平)


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎震災への想い、潰えず 学内合同慰霊祭

 小雪が舞い、凍えるような寒さの中で行われた今年の慰霊祭。犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑を前に、訪れた遺族は震災からの13年を回顧する。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

◎故・森渉さんの母・尚子さんと渉さんの下宿先の大家さんの末吉種子さん
 「傷はかさぶたにはなるけれど、やっぱり傷は傷です。どれだけ時間がたってもやはり悲しいです。ゴスペル歌手のお姉さんと一緒にこれからも震災を語り継ぐ活動を続けたい。(尚子さん)」「お母さんの尚子さんと13年間も交流が続いたのはひとえに渉さんの人格が優れていたからです。本当に模範生で、行儀のよい学生さんでした。私もシャンソンを歌うので、歌の中に渉さんの思い出を込めながら歌いたい(種子さん)」。

◎故・森渉さん(当時法・4年)の父・茂隆さん
 「(13年は)あっという間だった。いつまでたっても昨日のように感じる。震災当初は後ろ向きだった気持ちが、年を経るにつれて少しずつ前向きになってきた。(自分が)元気に生きていくことを(渉さん)本人も望んでいるのではないか」。

◎故・戸梶道夫さん(当時経営・2年)の父・幸夫さん
 「学生時代、息子も私も同じバドミントン部に入り、公認会計士を目指していました。自分の経験から、勉強とスポーツを両立するようにと、よく言っていました。今でも毎晩、仏壇の前で息子に話しかけています」。

◎故・今英人さん(当時自然科学研究科博士課程・1年)の父・英男さん
 「今でも震災当時に(避難所となっていた)神戸大に泊まっていたことを思い出す。(KOBE中越)足湯隊などで学生が活動しているのを聞くとうれしい」。

◎亡くなった神戸大職員と同僚だった女性職員
 「(震災の)あのこわさは忘れない。何年経とうが関係ない。(震災当時は)本当になにもなかった。まわりもペシャンコになって。慰霊祭は毎年行っています。明日(18日)のコンサートも行きます」。

◎故・櫻井英二さん(法・4年)のお姉さん
 「なかなか時間が合わなくて(慰霊祭に)来れなかったが、やっと来れた。時間があれば他の遺族の方ともお話ししいたいんですが。13年は本当に早かった」。

◎故・坂本竜一さん(工・3年)の父・秀男さんと母・要子さん
 「楽しい思い出だけを思い出すようにしている。帰らへんことだから。あの子が下宿していたところを通って、『今から大学に行ってくるね』と。生きてたら、36歳です。13年はあっという間に過ぎた。最初の5年はものすごいしんどかった」。


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎学長「減災行っていく」 神戸大で献花式

 神戸大は1月17日正午、六甲台キャンパスの兵庫県南部地震神戸大学犠牲者慰霊碑前で献花式を行った。式には野上智行・神戸大学長や遺族らの他に、現役学生も参列し、犠牲者を追悼した。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

 正午過ぎ、慰霊碑を前に参列者は黙とうした後、献花を行い、犠牲者の冥福を祈った。

 阪神・淡路大震災から13年。野上学長が学長に就任して今年で7年になる。「亡くなった方々は本当に無念だと思う。今頃家庭を持っていたのかもしれないのに」と野上学長は震災で犠牲となった学生らの早すぎた死を悔やんだ。

 震災は野上学長にも大きな影響を与えた。当時、野上学長は発達科学部に勤務していた。教え子が住んでいた下宿先が地震の被害を受けたが、教え子は偶然別の場所にいたため免れた。もしも、下宿先にいれば「圧死は免れなかっただろう」と振り返る。そのような厳しい状況を体験してから、災害による被害を最小限に抑える「減災」の意識をより強く持つようになったという。

 神戸大が犠牲者に対して行えること。それは、「減災に関する取り組みを行っていき、神戸大が様々な研究にチャレンジし、発展すること」と野上学長は話した。(記者=西田健悟)


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎「現吉は癒しの場」 競さんの遺族話す

 阪神・淡路大震災の犠牲となった競基弘さん(神戸大大学院自然科学研究科博士前期課程・1年)の遺族は1月16日、居酒屋「現吉」で基弘さんの仲間と集まり、久々の再会を祝った。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

Photo  集会は当時基弘さんがアルバイトしていた「現吉」で、震災が発生した翌年から毎年行われている。街が復興しても、10年以上経っても変わらない店内。「現吉は、私にとって癒しの場。基弘のいない辛さや寂しさを忘れさせてくれる」と話すのは基弘さんの父、和巳さん。  和巳さんは基弘さんの仲間と思い出話に花を咲かせていた。1年ぶりの再会で、笑いが絶えない部屋。「また1年頑張れる」。和巳さんは笑顔で話した。

 昨年、基弘さんのロボットにかける思いが英語教科書に掲載されることが決まった。基弘さんの思いが若い世代に伝わる。また、近年レスキューロボットに関する研究を行う若手研究者が増えている。
 レスキューロボットの認知度が上がっている現状に「天国で自慢していると思う」と思う一方で、和巳さんは「基弘は気恥ずかしがっていると思う」と推測する。「自分は何の功績も残せていないのに、名前だけが世間に広がっているから」。しかし、基弘さんの思いが世間に伝わることにより、レスキューロボットの存在が知られるだけでなく、震災の風化を防ぐこともできる。それが残された者として、何よりもありがたい。「基弘のおかげで生かされている」と和巳さんは話した。(記者=西田健悟)

【写真】集会の様子。写真手前左は競基弘さんの父、和巳さん。(1月16日・居酒屋「現吉」で 撮影=仲田一平)

●好青年だった 「現吉」店長が話す競さん
Photo  阪神淡路大震災で亡くなった競基弘さん(当時=自然科学研究科博士前期課程・1年)が当時アルバイトしていた居酒屋「現吉」の店長である廣瀬浩三さんが、当時の競さんの様子を振り返って話した。
 競さんが現吉でアルバイトを始めたのは大学に入学してすぐのこと。亡くなるまでの約5年間競さんはこのアルバイトを続けた。「クラブ・バイト・勉強・交友関係すべてにおいて一生懸命取り組む好青年だった」と廣瀬さんは話す。当時は現吉のメンバーでヨットやキャンプに行くことがあり、自然と2人の間柄も親しくなっていった。廣瀬さんの娘の家庭教師を競さんが務めたこともあるという。
 そんなときに起こった悲劇。競さんが亡くなる3日前に2人は偶然神戸大学近くの交差点で出会っていた。「マスター!」。競さんの叫んだこの一言が最期のあいさつになろうとは。「今となってはもっと話したかった」と廣瀬さんは本音を漏らした。(記者=仲田一平)

【写真】現吉店長の廣瀬浩三さん。(1月16日・居酒屋「現吉」で 撮影=仲田一平)

INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎特別賞に田所教授 競基弘賞授賞式

 レスキューロボット、システムの研究開発に顕著な貢献のあった40才未満の研究者を表彰する「第3回競基弘賞」(主催・国際レスキューシステム研究機構)の授賞式が1月16日、神戸国際会議場で行われた。特別賞(学術貢献賞)には、競基弘さんと当時交流があった田所諭・東北大教授が選ばれた。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

Photo  「競基弘賞」は、阪神・淡路大震災で亡くなった競基弘さん(きそい・もとひろ=当時神戸大大学院自然科学研究科博士前期課程・1年)の「人を救うロボットを作りたい」という遺志を継いで震災から10年の平成17年1月17日に作られた。レスキューロボット、システムの研究開発に顕著な貢献のあった40才未満の研究者を表彰している。今回、学術業績賞に大野和則・東北大大学院情報科学研究科助教、技術業績賞に目黒淳一さん(早大大学院理工学研究科機械工学専攻博士後期過程)、特別賞(学術貢献賞)には田所教授が選ばれた。

 田所教授は、文部科学省が展開する「大都市大震災軽減化特別プロジェクトレスキューロボット等次世代防災基盤技術」の開発研究代表者。プロジェクトを通して、レスキューロボット、レスキュー工学分野の存在を世間に広めたことが選考委員会に評価され、受賞に至った。「私がやったことじゃなくて皆の成果。ロボットでは人一人助けたことがなく、研究成果は出ていないけれど、出つつある」と田所教授は話した。

 震災当時、神戸大工学部情報工学科の助教授だった田所教授。研究室は異なるが、ロボットの研究開発に関することなどで競さんと意見を交わすことがあったという。「(競さんが)着ていたTシャツが、ロボットコンテストで着ていたTシャツだった」と震災直後を振り返る。自身の研究室の生徒も4時間ガレキの下で取り残され、足に重傷を負った。学生生活を一瞬にして奪い去る震災。「二度と起こってほしくない」と田所教授は話した。

●競基弘さんの父、和巳さんの話
 「ロボット技術の進歩は目覚ましいものがある。優れた研究者が続いて生まれていってくれたら、こんなに嬉しいことはない」と和巳さんは声を詰まらせながら話した。

●震災当時など語る 競基弘賞選考委員長を務めた松野文俊・電気通信大教授
 松野教授は当時、競さんの指導教官だった。地震発生後、生徒の安否確認の為に、大学に向けて歩いていると、ある学生に出会い、声をかけた。「競くんは無事か」。「救援活動をしていたのを見かけたで、彼なら無事です」との声に安心し、全員の安否確認後、自宅へ引き返した。
 翌日、松野教授のもとに競さんが亡くなったと連絡が入った。「そんな馬鹿な」と信じられない気持ちになったが、「ご両親の確認が取れた」の声に納得せざるを得なかった。競さんは当時住んでいた神戸市内の2階建て木造アパートの下敷きになり、就寝中に圧死したことが後からわかった。
 涙を流しながら、競さんの部屋で遺品の回収を行っていると、テープを見つけた。テープの中身はサザン・オールスターズの「YaYaあの時代を忘れない」を競さん自身が歌ったものだった。「本当に忘れられない」と松野教授。
 あれから13年。ロボットに関する技術は劇的に進化したという。「若い世代が技術に広がりをもっと持たせていってほしい」と発展に期待を込めた。(記者=西田健悟)


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎汽笛、13年を告げる 旧商船大慰霊碑に献花

 1月17日、海事科学部の深江キャンパスで阪神・淡路大震災で犠牲になった旧神戸商船大生6人の慰霊セレモニーが行われた。訪れた人々は深江丸の汽笛に合わせ黙とう。慰霊碑に献花した。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

Photo  昨年完成した「神戸商船大学犠牲者慰霊碑」。震災により亡くなった当時旧商船大の6人の名前が、「青春の限りない想いを永久に留めるためにこの碑を建立する」という文とともに刻まれている。

 慰霊碑の前に人々が集まり、12時。練習船「深江丸」からの汽笛が、震災から13年が経過したことを告げる。海事科学部長の石田廣史教授をはじめ、参加者は慰霊碑に黙とうを捧げ、白菊を献花した。

 今年は大学見学に訪れていた韓国港湾物流高校の学生たちの姿もあった。1年生のリ・ワンジェさん(17)も代表して献花。「震災はテレビで知りました。その被害もです」と、重々しい顔つきで話した。

 「学生は当時のことを覚えていない。今日も授業の中で震災の話をし、黙とうするように伝えました」と石田教授。震災の記憶は、このような形でも語り継がれている。(記者=塚本京平)

《船長、深江丸で追悼の汽笛鳴らす》

Photo  海事科学部の練習船「深江丸」船長である矢野吉治さんは、今年も正午になると汽笛を30秒間鳴らし、1分間黙とうした。11年前、船長に就任。毎年1月17日になると、船上で犠牲者を追悼してきた。

 「学生が大勢亡くなっている。冥福を祈る気持ちです」。矢野さんは胸の内を明かした。(記者=濱田直毅)

  【写真上】慰霊碑を前に人々は黙とうを捧げた。(1月17日・海事科学部深江キャンパスで 撮影=塚本京平)

【写真下】正午、深江丸で黙とうの汽笛を鳴らす船長の矢野吉治さん。(1月17日・海事科学部深江キャンパスで 撮影=濱田直毅)


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎今年も下宿跡で 上野さん、黙とう

 震災から13年。故・上野志乃さん(当時発達・2年)の父・政志さんが1月17日午前5時46分前に小雪が舞う中、志乃さんが亡くなった下宿跡を訪れた。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

Photo  政志さんは志乃さんの鎮魂を祈る「箱」と呼ばれる慰霊碑に入ったろうそくに灯をともし、黙とうを捧げた。「にぎやかな場所は嫌でここが一番落ち着く」。毎年、大規模な慰霊祭には参加せず、娘と2人だけで会話を楽しむことを決めている。

 クリスマスなどで街がにぎやかになる一方で、1月17日に近づくと政志さんの気持ちは落ち込んでいくという。被災者や遺族にとっては忘れられない日。亡くなった娘のことを話すのは政志さんにとっても当初は容易なものでは決してなかった。

 だが、ある親身な記者に初めて打ち明けて「話すことで気が軽くなることに気づいた」。このことをきっかけに、震災を知らない若い世代に自身の思いを伝えていこうと講演を続けている。「皆に知ってもらうことは志乃が生きているということ、また志乃に友達を作るのと同じ」だと話す。

 「逆縁(=親が子を供養すること)がどんなに辛いか若者に分かって欲しい」。政志さんは子を亡くす悲しみを話した。(記者=大喜多理沙)

【写真】慰霊碑「箱」の前で黙祷する上野政志さん。(1月17日・ニュー六甲ビラ跡地で 撮影=上村絵里)



INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎「酒を交わしたかった」 東遊園地で白木さん

 阪神・淡路大震災から13年。神戸市中央区にある東遊園地では、遺族らが竹灯篭で1.17を形どった鎮魂の灯りを前に午前5時46分、黙祷を捧げた。NPO法人「1.17希望の灯り」理事長で、震災で神戸大生の息子を亡くした白木利周さんも会場スタッフとして参加した。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

Photo  息子の健介さんは、当時、神戸大経済二部の3年生だった。だが、震災でその短い人生は絶たれた。自宅で眠っていたところ、隣家の蔵が倒れてきて下敷きとなり、帰らぬ人となった。

  「じっくり子どもと酒を酌み交わしたかった」。白木さんは時間が来ると、静かに目を閉じて健介さんに思いを馳せた。13年前の1月17日を思うといつも心に思うことがある。「どうして息子じゃないと駄目なのか。私じゃ駄目なのか」。できることなら自分が身代わりとなり、息子の命を助けたかった。後悔の念に駆られるという。

 親に迷惑をかけたくない気持ちが強く、自分の道を自らの手で切り開いてきたという健介さん。旅行主任者や公務員の資格などを取得し、司法書士の資格取得も目指していた最中だった。「将来何になるのか聞けないまま。少なくとも大きな視野を持っていたのは確か」と白木さんは寂しそうに話した。

 白木さんは午前10時ごろに、健介さんの名前が刻まれてある、神戸大六甲台キャンパスの慰霊碑へ向かうという。(記者=濱田直毅)


【写真】「希望の灯り」を横に笑顔の白木さん(1月17日・東遊園地で 撮影=濱田直毅)


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎13年、「あっという間」 元応援団長高見さん

 阪神・淡路大震災から13回目の「1月17日」。今年も震災の犠牲となった元35代応援団長、高見秀樹さん(当時経済・3年)を弔うため、盛華園アパート跡地のともだ公園で遺族らが黙とうをささげた。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

Photo
 小雪まじりの寒風が吹きすさぶ中、静かに午前5時46分を迎える。父親の俊雄さんが一礼したあと、約1分間黙とう。秀樹さんを弔った。

 この日は母親の初子さんとともに深夜鳥取を出発、神戸に入った。初子さんは「(13年は)あっという間だった」と振り返る。「(1月17日は)神戸に足が向いちゃうんですね。来ずにはいられません」。

 昨年に引き続き、第36代応援団長の国司和丸さんも東京から駆けつけ参加した。「ここは自分の原点。自分のために毎年来ています」。この場所、この時間にかける思いは何年経っても変わらない。(記者=伊崎春樹、大野将寛、塚本京平)


【写真】5時46分、亡くなった高見さんへの黙祷を捧げる遺族ら。(1月17日・ともだ公園で 撮影=伊崎春樹)


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎六甲台で黙とう捧げる 神戸大学生救援隊

 六甲台キャンパス慰霊碑前で、1月17日、神戸大学生震災救援隊が震災犠牲者への黙祷を行った。例年、震災救援隊は国際文化学部キャンパス前の橋で黙とうを行っているが、六甲台キャンパスで行うのは今年が初めてとなる。【1月17日 神戸大NEWSNET=UNN】

Photo  午前5時46分の時報と共に、慰霊碑前の1.17の灯を囲んで黙とうを捧げた。

 「13年も前のことかもしれない。けど、初心を忘れずやっていくのは変わらない」。救援隊代表、羽尻皓一さん(工・3年)は話す。

 阪神・淡路大震災による被害を前にして、「何か学生の僕らにできることは無いか」(羽尻さん)という思いから生まれたのが救援隊だ。しかし、ある程度の復興が進み、全国各地からのボランティア団体が地元に帰っていくにつれ、救援隊が直接に被災者救援を行えることは少なくなってきた。だからこそ、加えて「学生として、この町のために何ができるか」という思いで活動するようになったという。
 震災から13年が経ち、救援隊メンバーの中で震災の記憶が薄れつつあるのは否めない。それでも「神戸大に入ったからには、震災を忘れずにいて欲しい」。羽尻さんは、救援隊1年生メンバーを見やった。

 今年から、「国文橋」から慰霊碑前へと場所を変えて犠牲者を追悼していく救援隊。5時46分に皆が目を閉じた。「1分経ちましたよ」という他の参列者からの声が聞こえても、誰も目を開けなかった。時が経ち、メンバーも変わり、場所も変わった。それでも、震災への思いは変わることは無い。(記者=深江友樹)


【写真】5時46分、時報とともに黙とうを捧げる救援隊。(1月17日・六甲台キャンパスで 撮影=松本航)


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。


◎絶やさぬ1.17の灯 震災聞き語り会

 阪神・淡路大震災から13年が経とうとしている。1月16日午後9時、六甲台キャンパス慰霊碑前で、震災聞き語り調査会が1.17の灯に黙とうを捧げた。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

Photo  「風がきつかったんで、火が全部ついたときはほっとしましたね」。聞き語り調査会代表の原田曜輔さん(工学研究科修士・1年)が愛おしそうに灯を見つめた。
  遺族の話を残し伝える、聞き語り調査会の活動は今年で11年目を迎えた。それに伴い、調査会のスタンスも変わってきたと原田さんは話す。当初は体験談が多かった遺族の話だが、最近は震災からの教訓や後悔の念が中心になりつつある。「やっぱり、僕らもマニュアルを変えたり、後世にどう生かすかってことを考えなきゃいけませんよね」。
 実際に震災を経験したわけではない原田さん。「遺族の方から『あなたは震災を本当の意味では知らない』と言われることもあります。でもそこで諦めるのではなく、震災をわかろうと努力することで誠意は見せられると思う」。そんな思いから、今年度は6件の聞き語りを行った。この春には、2組の遺族が聞き語り会を待っている。今までに、359組の遺族を訪問した。震災による犠牲者数「6434」には遠く及ばないが、これからも活動を続けていくという。
 聞き語り会の活動のシンボルが、今回の「1.17の灯」だ。神戸大の学生、職員の犠牲者は44人。44本のろうそく一本一本が、彼ら一人一人を追悼している。「僕らが今も聞き語り活動を続けているというアピールでもあります。これを見た遺族の方が、僕らの活動に興味を持ってくれたら」(原田さん)。1月17日5時46分まで、聞き語り会は夜通しで、44本の灯を絶やさぬよう見守り続ける。(記者=深江友樹)

【写真】慰霊碑を前に黙とうする聞き語り調査会(1月16日・慰霊碑前で 撮影=濱田直毅)


INDEXに戻る。

NEWSNETホームページに戻る。