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神戸大NEWS NET 2005年1月後半のニュース




◎糖尿病を進行させるたんぱく質を発見 春日教授ら

 食べ過ぎや運動不足などの生活習慣が原因の2型糖尿病は、「P27」と呼ばれるたんぱく質の働きを抑えれば改善することを、神戸大大学院医学系研究科の春日雅人教授らがマウスを使った実験で突き止めた。毎日新聞ホームページが1月31日伝えた。【1月31日 UNN】

 糖尿病が進むと、インスリンを分泌する膵臓(すいぞう)のβ細胞が減少。P27がβ細胞の分裂にブレーキをかけているためとみられ、P27を抑える薬が開発されれば、β細胞の減少を食い止め、糖尿病を治療できる可能性があるという。遺伝子操作で糖尿病にしたマウスのβ細胞を調べ、細胞分裂を抑える働きをすることが知られているP27が異常にたまっていることを見つけた。この内容は1月31日の米医学誌「ネイチャー・メディスン」(電子版)に掲載される。

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◎下宿生、34%が奨学金 大学生協連が調査

 親元を離れて暮らす大学生の34%が奨学金を受け取っていることが、全国大学生活協同組合連合会が24日に発表した2004年の学生生活実態調査でわかった。1月28日付の朝日新聞HPが伝えた。【1月31日 UNN】

 1994年以降奨学生の割合は20%台で推移してきたが、2002年に3割を超え、2004年は2ポイント増加。
 2004年10月〜11月に40大学約9600人を調査し、その内下宿で暮らす大学生約4700人の回答を集計した。
 奨学金の月額は53%が5万円以上7万円未満で、11%が7万円以上10万円未満と10万円以上。
 10万円以上が増加傾向にあり、全体に高額化している。

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◎湯浅光朝さん死去 神戸大名誉教授

 神戸大名誉教授、科学史、元日本科学史学会会長の湯浅光朝氏が1月26日午後3時53分、肺炎により死去、95歳。福井県出身。1932年東大理学部卒。36年陸軍士官学校教授、38年陸軍気象部技師兼任を経て、1954(昭和29)年に神戸大教授。73年専修大教授。自宅は八王子市。葬儀・告別式は近親者だけで営んだ。日本科学史学会が3月にしのぶ会を開く予定。喪主は長男の光義氏。【1月31日 UNN】


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◎瀧上教授の最終講議 31日に国文で

 国際文化学部コミュニケーション学科の瀧上凱令(たきがみ・よしのり)教授が平成16年度末で退職する。最終講義は1月31日、午後3時半から午後5時まで国際文化学部F棟301教室で。テーマは「喜びの感情はスマイルとして表出されるか−誤った引用からの発想」。【1月30日 神戸大NEWS NET=UNN】

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◎18人が最終講義 今年度末退官の教官

 平成16年度末で退官する18人の教官が、最終講義を予定している。1月21日から1月28日までで既に6人が終了し、3月18日までに全員が講義を終える。【1月29日 神戸大NEWS NET=UNN】

▽最終講義を予定している教官(敬称略)

石川齊 (理事・副学長)  ●1月27日に終了
瀧上凱令 (国際文化学部)
森井俊行 (発達科学部)
阿部泰隆 (法学研究科)  ●1月28日に終了
中村道 (法学研究科)   ●1月28日に終了
三井誠 (法学研究科)
岡部孝好 (経営学研究科) ●1月26日に終了
奥林康司 (経営学研究科) ●1月26日に終了
松田吉弘 (理学部)
北村泰壽 (工学部)
藤井照重 (工学部)
王子善清 (農学部)
辻莊一 (農学部)
上野宏 (国際協力研究科)
松下洋 (国際協力研究科)
吉原英樹 (経済経営研究所) ●1月21日に終了
川谷健 (都市安全研究センター)
加藤肇 (分子フォトサイエンス研究センター)

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◎志願状況の中間まとめ 前期倍率は1.1倍

 国公立大2次試験志願状況の中間まとめが発表された。神戸大は、前期日程の11学部平均倍率は1.1倍(昨年度最終倍率は3.4倍)。後期日程は3.3倍(同9.1倍)となっている。【1月28日 神戸大NEWS NET=UNN】

 文部科学省は28日、国公立大2次試験志願状況の中間まとめを発表した。
 神戸大は1月28日午後5時現在受付完了分で、前期日程の11学部平均倍率は1.1倍(昨年度最終倍率は3.4倍)。後期日程は3.3倍(同9.1倍)となっている。
 ホームページhttp://www.kobe-u.ac.jp/nyushi/prompt-index.htm参照。次回更新予定は1月31日午前9時。

 全国の大学の志願者総数は10万530人で、募集人員に対する倍率は1・0倍と昨年同期を0・1ポイント下回った。2次試験出願期間は2月2日まで。
 志願者は28日午前10時時点で、国立(83大学374学部)が7万9969人、公立(71大学162学部)が2万561人。
 倍率としては国立は1・0倍、公立1・1倍。公立の国際教養大と宮城大食産業学部は、独自日程による試験のため含まない。
 2段階選抜の実施を予告していた国公立57大学177学部のうち、国立の5大学10学部は実施予定倍率を超えている。(記者=森田篤)


●倍率の高い国立大は
▽東京芸術(4.9倍)
▽旭川医科(3.3倍)
▽東京工業(2.2倍)

●倍率の低い国立大は
▽愛媛、大分(各0.3倍)
▽鳥取、岡山、九州工業、佐賀、長崎(各0.4倍)

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◎1限目 8時50分からに 新年度、10学部で

 神戸大では今年4月1日から、医学部を除いた全学部で、1限目の授業開始時刻が午前8時50分に統一される。これに伴い、1コマあたりの授業時間も全て90分となる。【1月28日 神戸大NEWSNET=UNN】

 医学部ではカリキュラムに大きな変更はない。これまで通り午前9時から1限目の授業が開始される。また、他の学部と違い、学生が授業毎にキャンパスを移動する必要がないため、通常の休み時間は10分間となっている。(記者=森田篤)
 来年度からの時間割は以下の通り。
●医学部(医学科)(※変更なし)
 1限9:00〜10:00 2限10:10〜11:10
 3限11:20〜12:20 4限13:20〜14:20 
 5限14:30〜15:30 6限15:40〜16:40

●医学部(保健学科)(※変更なし)
 1限9:00〜10:30 2限10:40〜12:10
 3限13:10〜14:40 4限14:50〜16:20
 5限16:30〜18:00
●その他(10学部)
 1限8:50〜10:20 2限10:40〜12:10 
 3限13:20〜14:50 4限15:10〜16:40
 5限17:00〜18:30

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◎補講期間 28日から

 1月28日から、神戸大は後期補講期間に入る。休講等で、開講回数が規定に足りない授業(一部例外あり)に関しては、1月28日から2月3日の1週間にわたり補講が行われる。なお、試験期間は、2月4日から10日。専門基礎科目の授業には、試験期間前に終了するものも。例外もあるため、詳細は各学部掲示板、および全学共通科目掲示板で確認を。【1月27日 神戸大NEWS NET=UNN】

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◎小野市と神戸大が協定 社会文化の連携推進へ

 神戸大は1月26日、兵庫県小野市と社会文化にかかわる連携事業を進めるための協定を結んだ。 神戸大にとっては自治体との包括協定の第1号。 今後、両者は生涯学習事業や文化遺産活用事業、学生のインターンシップなどで相互協力を進めていく。【1月26日 UNN】

 神戸大にとっては自治体との包括協定の第1号で、小野市にとっても大学との包括協定は初めて。神戸大が「小野市史」編さんに協力した事から2者の関係が成立。当面は、小野市・加西市にまたがる第一次世界大戦時の捕虜収容施設「青野ヶ原俘虜(ふりよ)収容所」跡を生かし地域の活性化を図る。その一環で、ドイツやオーストリアの捕虜が収容所で演奏していた曲を、同大の交響楽団が今年末、小野市で演奏する。
 他にも、同市にある歴史博物館「好古館」などで、生涯学習や学生のインターンシップなどで協力する体制をしく。同大教官が市民と共に古文書を読むといった活動も検討されている。
 神戸大は2003年10月に「地域連携推進室」を設け、地域とともに生きる大学として社会文化に関する連携事業を積極的に進めている。

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◎女性就職セミナー 28日アカデミア館で

 就職活動支援組織の神戸大学job-naviが主催する、女子学生キャリアアップセミナー「GIRLS BE AMBITIOUS」が1月28日、午後5時半から7時半まで六甲台キャンパスのアカデミア館501号室で行われる。対象は就職活動を控えた女子学生。定員50人。要予約。エントリー締め切りは1月27日午前0時。申込はjob-naviホームページエントリーフォーム(http://home.kobe-u.com/jn-web/event/050128/050128.html#entry)。問い合わせはjn_uketsuke@hotmail.co.jpまで。【1月26日 神戸大NEWS NET=UNN】

 セミナーでは、実際に働く女性が「過去、現在、未来の具体的なビジョン」をパネルディスカッション形式で語る。内容は、パネルディスカッション、質疑応答、パネラーフリートークと学生へのメッセージ、企業PR、エンディング。予め用意された質問の後には自由に質問ができる。(記者=杉浦加奈)

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◎医学部の医師ら 被災地インドネシアへ

 神戸大はスマトラ沖地震の被災地インドネシアに調査団を送った。提携するアイルランガ大学の医療チームに同行、被害の大きいバンダアチェを中心に医療活動や収集活動を行う。【1月25日 UNN】

 医学部附属「医学医療国際交流センター」の新福尚隆教授が20日に現地の情報収集のためスラバヤ入り。23日にインドネシア出身の研究者を含む医師ら6人を派遣した。帰国は31日。

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◎国公立大 二次試験出願開始

 国公立大が二次試験の出願受け付けを24日開始した。締め切りは2月2日。国立83校374学部、公立71校162学部の計154大学536学部が募集する。定員は計10万1382人で前年度比400人増となっている。【1月24日 UNN】

 国公立大と入試実施日程が同じである私立産業医科大学の2学部(募集人員121人)も受け付けを始めた。二次試験は前期日程が2月25日から、中期日程が3月8日以降、後期日程が同12日以降となる。

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◎ムスタファさんが行方不明 スマトラ沖地震

 スマトラ沖地震と津波による被害の安否確認で、留学生課は1月13日全員の無事を確認した。しかし、インドネシア人の ムスタファ(Mustafa)さん(2004年自然科学研究科卒)が家族とともに津波に襲われ、1月24日現在、未だ行方不明だ。【1月24日 神戸大NEWS NET=UNN】

 神戸大留学生課のまとめでは、インドネシア、マレーシア、タイ、スリランカ、 インドの5カ国からの留学生は98人。5人から地震発生当時、一時帰国の届けが出ている。
 現在シャクアラ(Syiah Kuala)大学の講師をしているムスタファさんは妻と子ども4人の6人家族で子ども2人は無事。残る4人が津波に流され、まだ行方が分からないという。ムスタファさんに関する情報は、同じ研究室に所属していたムルヨノさんが、ムスタファさんの兄と電話で話して得た情報を留学生課に届けた。兄は、無事だった子どもから話を聞いた。
 ムスタファさんは01年10月1日に入学、資源エネルギー科学を専攻し、博士号を取得。04年9月30日に卒業、インドネシアへ帰国した。(記者=椿一臣・杉浦加奈)

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◎国公立大2次試験 24日から願書受け付け

 国公立大2次試験の願書受け付けが1月24日から始まる。受験生は、15、16日に行われた大学入試センター試験の結果をもとに、2月2日までに志望大学に願書を提出することになっている。【1月23日 UNN】

 文科省によると、願書を受け付けるのは国立83校、公立72校で、募集人員は約10万人と、去年とほぼ同じ。2次試験の前期日程は2月25日から、後期日程は3月12日以降となっている。神戸大でも、前期、後期とも1月24日から2月2日まで願書を受け付ける。

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◎クラブ間で交流 リートレ行われる

 平成16年度リーダーズトレーニング(主催=神戸大学務部、文化総部、体育会、応援団総部)が1月22日に国際文化学部B110教室で行なわれた。今年は約180人の各クラブ代表者が参加。文化系、体育会系のリーダーが交流した。【1月22日 神戸大NEWS NET=UNN】
 
Photo  毎年1月に行なわれているリーダーズトレーニング(リートレ)。クラブのリーダーとしての資質の向上を図り、クラブ相互間の親睦、交流を通じて、各クラブ一層の発展を目指すことを目的としている。 
 リートレは他のクラブの活動状況を知る、数少ない場でもある。各クラブ活動状況の報告会では、部員数や試合結果が発表される度に、会場からは「あのクラブ、めっちゃ結果出してるわ」「そんなに部員おるんや」「外からは全然目立たんクラブでも意外とすごいことやってるなぁ」と感心する声が上がった。

Photo  全く面識のないクラブ部員同士で班を組み、キャンパス内に隠された昼食引換券を探す企画も催された。企画の中心は応援団。各班には応援団のメンバーが一人ずつ入り、キャンパスのチェックポイントまで皆をリードする。「普段のクラブ活動ではお互いを知るチャンスは少ないと思う。こういう機会にクラブ間で話をしてもらい、親睦を深めてほしい」(応援団・1年)と話していた通り、参加者は同じ班のメンバーと協力しながら、隠された引換券を目指して校舎内や前庭を探索した。「こういう交流の場を率先して作り、いろんなクラブの人を引っ張っていく応援団の人は、やっぱりすごい」(フットサル部・2年)「普段はこんなことできない。他クラブと関わる良い機会なのかも」(吹奏楽部・2年)と参加者の感想も上々だ。

 今年は講演講師としてOAA野外活動協会事務局次長の下前康夫さんをが、「グループ運営とリーダーシップ」をテーマに講演。グループのリーダーとして必要なもの、良いグループ作りの条件について話した。
 「雄弁な人よりも、話を聞いてくれる人に周りの人間は集まる。今は上の人にきついことを言われようとも、話を聞いていく姿勢が大切」と学生らに語った。(記者=森田篤)

【写真上】会場となった鶴甲キャンパスB110教室。(1月22日午前9時10分 撮影=森田篤)

【写真下】リーダーのあり方について講演する下前康夫さん。学生は真剣な様子で耳を傾けていた。(1月22日午前10時すぎ 鶴甲キャンパスB110教室で 撮影=森田篤)

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◎新理事が決定 任期は2月16日から

 野上智行学長が学長として2期目に入ることに伴い、新理事、新学長補佐 (併任) が決定した。新理事は3人が再任、5人が新任。学長補佐 (併任) は、1人が再任、2人が新任。任期は平成17年2月16日から平成19年2月15日までの2年間。神戸大が2月21日、発表した。【1月22日 神戸大NEWS NET=UNN】

▼新理事
 ○企画・広報・地域連携(副学長) 鈴木正幸(再任)
 ○財務・情報管理(副学長) 北村新三(再任)
 ○研究・産学連携(副学長) 眞山滋志(現農学部長)
 ○教育・入試・国際交流(副学長) 西島章次(現経済経営研究所教授)
 ○学生生活・同窓会(副学長)西田修身(現海事科学部長)
 ○病院経営・医療産学連携(副学長) 守殿貞夫(再任)
 ○総務・労務・施設環境(事務局長兼務) 坂本邦夫(現和歌山大学理事)
 ○経営(非常勤) 高崎正弘(現三井住友銀行特別顧問)

▼新学長補佐 (併任)
 ○学長渉外担当 川嶋太津夫(再任、大学教育センター教授)
 ○経営評価室長 中野常男(経営学研究科教授)
 ○情報管理室長 冨田佳宏(学術情報基盤センター長・工学部教授)
(記者=杉浦加奈)

《訂正》新理事の経営(非常勤)で高崎正弘氏とお伝えしましたが、高崎正弘氏の誤りでした。崎の字はつくりの上が「立」です。(2005年1月26日0時35分 編集部)

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◎森渉さんしのび ゼミやサークルの仲間集う

Photo  阪神大震災で亡くなった森渉さん(当時法学部4年)の追悼記念会が1月22日行なわれ、五百旗頭ゼミや軽音楽部の仲間らがジャズやスピーチで亡き友人をしのんだ。【1月22日 神戸大NEWS NET=UNN】

 森渉さんは、当時法学部4年。東灘区本山中町のアパート1階で被災。倒壊した建物の梁の直撃を受けて亡くなった。(震災1年追悼手記 http://home.kobe-u.com/top/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm、震災5年追悼手記 http://www.unn-news.com/sinsai/tokusyu2000/
Photo  会場のフロントリーブ本店は、チャペルを改装したレストラン(写真左)。正面の白い壁に、ほほ笑む森さんの写真が掛けられた。  森さんがサックスを担当していたという軽音楽部のバンド「chess(チェス)」の当時のメンバーが、リズム&ブルースなどのナンバーを演奏。厳かな建物に、ベースやピアノ、サックスが響いた。(写真右)
 メンバーの一人は、「演奏で悩んでいた時も、いつも君は『大丈夫。いけてる、いけてる』と励ましてくれた」とエピソードを語り、「私たちは、一生懸命生きます。いつか『おつかれ!』と言って、乾杯しましょう」とメッセージを読み上げた。
 
Photo  ゼミの指導教官だった五百旗頭眞教授も、マイクの前に立ち、「ゼミでは、けっこう(議論を)やりあっていた。この激動の冷戦後を一緒に生きたかった。でも彼は、『いいから行ってください』と言っているだろう」と、涙をこらえてスピーチ。(写真左)
 森さんが内定していた読売新聞大阪本社で当時、人事を担当していた福良純一さんは、「まだ、天国からは原稿は来ない。早く原稿書いてこいよと言いながら、これからも1.17を過ごすと思います」と、遺影に語りかけた。
 
Photo  当時の同級生もいまは30代前半。会場には、子どもを連れた夫婦もめだった。
 バンドの後輩の武藤恭子さん(96年経済卒)は、「震災から3日目に、森さんのことを聞いて(信じられず)被災地をくぐり抜けて商船大の遺体安置所に行きました。名簿には森さんの名前がありました。帰りは、西宮北口まで歩いて、電車にのったら泣けてきて、京都まで涙が止まりませんでした」と、目を潤ませながら当時を思い出した。
 
 最後に、姉のゴスペル歌手の森祐理さん(写真左、http://www.moriyuri.com/yuri/disco.php)が、 関東大震災の時に作られた賛美歌「とおきくにや」や、阪神大震災後に作られた「しあわせ運べるように」を歌い、「あなたしかできないこと、あなたしか会えない言葉、大切な役割があります。これが、弟の死を通して学んだことです」と結んだ。(記者、撮影=須田鉱太郎)

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◎国際インターン説明会 明日、三宮で開催

 アイセック神戸大学委員会主催の「国際インターンシップ説明会と体験談」が1月22日、午後2時から4時、神戸交通センタービル4階(各線三宮駅すぐ)で行われる。参加費は無料。参加方法・問い合わせは氏名・連絡先を明示の上kobe@aiesec.jpまで。【1月21日 神戸大NEWS NET=UNN】

 講演内容は、アイセックの説明、海外インターンシップ経験者による講演(社会 人の立場から振り返る海外インターンシップ、学生へのメッセージ)、海外イン ターンシップ経験者とイベント参加者との交流。講演者は田窪敬正さん(神戸大学法学部卒)。アイセックを通してカメルーンのNGOでのインターンを経験、インターン内容はマイクロファイナンスの導入を検討するための情報収集やレポート作成など。

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◎NHK朝ドラに 六甲台の震災慰霊碑

 NHKで放送中の朝の連続テレビ小説「わかば」に六甲台キャンパスの震災慰霊碑が登場した。慰霊碑は同番組の「緑のある風景」というコーナーで取り上げられた。【1月20日 神戸大NEWS NET=UNN】

 慰霊碑が登場したのは1月8日放送分。ドラマの舞台である宮崎、神戸から選ばれた緑に満ちた風景を、各回、エンドマークの背景に1か所ずつ紹介する「緑のある風景」というコーナーで取り上げられた。同番組HP(http://www3.nhk.or.jp/asadora/green/15/sat.html)は、写真とともに、「神戸大学では、阪神淡路大震災で学生39人と職員2人が犠牲となった。モニュメントには金箔の装飾で『鎮魂』と『慈』の文字が描かれ、41人の名前とともに『友よ、神戸大学を、そして世界を見続けてほしい』という碑文が刻まれている」と紹介。神戸大の慰霊碑以外では、宮崎の日南海岸や高千穂峡、神戸の市立王子動物園や風見鶏の館などが取り上げられている。
 「わかば」は「街と家族の再生」をテーマに、震災を経験したヒロインわかばが、様々な出来事を通して成長していく姿を描いたドラマ。毎週月曜日から土曜の午前8時15分から8時30分まで、総合テレビで放送中。(記者=中島仁志)

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◎竸さんの遺志継いで 救助ロボ賞創設

 ロボット研究に情熱を燃やしつつ、阪神大震災に遭い23歳で亡くなった神戸大大学院生の名を冠した賞が1月17日、創設された。「竸基弘(きそい・もとひろ)賞」で、救助技術の開発で成果をあげた40歳未満の研究者に贈られる。【1月17日 UNN】

 この賞は、救助ロボットの研究開発を進めるNPO法人・国際レスキューシステム研究機構(川崎市)が設けた。竸さんは、名古屋の高校から神戸大に進み、軟らかいものを上手に握れるロボットアームなどを研究。人間並みの五感を備えた「癒やしロボット」の実現を夢見ていたが、10年前の阪神大震災で、神戸市内の2階建て木造アパートの下敷きになり亡くなった。(震災1年追悼手記 http://home.kobe-u.com/top/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm、震災5年追悼手記 http://www.unn-news.com/sinsai/tokusyu2000/
 母の恵美子さんによると、基弘さんのロボットへの情熱の原点は、漫画のドラえもん。壊れた部屋には、ドラえもんの人形も残されていたという。  神戸大の助教授として指導していた松野文俊・電通大教授は、竸さんを悼みつつ、この賞が次世代の研究者を励ます力になることを願っている。


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◎震災を語り継ぐ 音楽演奏と交流講演会

 震災10周年の慰霊事業プログラムの音楽演奏と交流講演会が、慰霊祭に続いて百年記念館六甲ホールで午後1時40分から行われた。混声合唱団アポロン他の演奏のあと、震災を体験した人や、遺族の講演へと続いた。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

《亡くなった人たちへ 鎮魂の演奏会》

Photo  「神戸大学阪神・淡路大震災10周年事業委員会」の北村新三委員長のあいさつのあと、混声合唱団アポロン、交響楽団、混声合唱団エルデ、マンドリンクラブの4つの課外活動団体による鎮魂のための音楽演奏と歌唱が行われ、遺族も学生の演奏に耳を傾けた。
 中学、高校、大学と吹奏楽部に所属し、チューバやユーフォニウム、バスクラリネットといった低音の楽器を演奏していた故・工藤純さん(当時法・M1)の母・延子さんは「『低音の楽器の数で演奏の深みが違う』と話していた息子のことを思い出しました」。  また、「学生さんをみると、息子に似た顔の人がいないか探してしまうんです」と口を揃えたのは戸梶道夫さん(当時営・2年)の母・栄子さんと、藤原信宏さん(当時営・4年)の母・美佐子さん。

《生きることの大切さを伝える 交流講演会》

●「学生の救助活動すばらしかった」 六甲町で救援に携わった神谷正弘さん

 休憩をはさんだあと、交流講演会「震災を語り継ぐ」が行われた。
 まず最初に、神戸大生が被災した西尾荘のある六甲町に在住で、救援や町の復興に携わった神谷正弘さんが壇上に。震災当時、六甲町に住んでいたという神谷さんは、神戸大生が救助活動に活躍したことを紹介した。
 六甲町は神戸大生3人が犠牲となった西尾荘のある地区。神谷さんは震災に遭い、自宅から出た直後に西尾荘で被災した神戸大生に会った。「深刻そうな顔をしていた」という学生に理由を尋ねると「西尾荘で3人は救助できたけど、3人は救助できなかったんです」と答えたという。
 その後、学生たちは着の身着のまま、神谷さんとともに近所の人が行っていた救助活動に参加した。「学生さんたちの活躍はすばらしいものだった」と神谷さん。神戸大に知らせようかとも思ったともいうが、神戸大も被災直後で混乱の極致。タイミングが悪いと考えた神谷さんは、今回の講演会のコーディネーターでもある岩崎教授と親しくなった時に初めて伝えたのだという。
 この他、震災4日後に雨の中、牛乳を配って歩いていた家族、避難所に進んで手伝いをしにやってきた子供たち、震災をきっかけに生まれた神戸大学総合ボランティアセンターの活動などに触れ、「緊急時には、やはり個人が何をするかが重要。若い人、特に学生さんたちが力を尽くせるのはすごいことだ」と話した。

●「生きることの大切さ伝える使命がある」 故・白木健介さんの父、利周さん

 続いて、亡くなった経済学部生の故・白木健介さんの父、白木利周さんが講演した。「長男は即死で、このことで沈んでいました。しかし、周りの人々から思いやりを受け、少しずつ心を許していきました」。
 白木さんは、他の遺族らとともに慰霊碑のある地を示した地図の作成や、「1.17希望の灯り」の活動にも参加している。「同じ苦しみや悲しみを知った人が話すことで理解が得られると思います。震災のことが風化していかないように、次の世代、さらに次の世代に命の大切さ、生きることの大切さを伝える使命がある」という。
 また、「生き残ったと思わない。こう考えると片意地を張ってしんどくなってしまう。だから生かされると思えばいい。これは受け身な考えで、自分のできることしかやらなくてすむから、安心できる」と語った。
 白木利周さんの講演には遺族の工藤さん、戸梶さん、藤原さんも耳を傾けた。講演後には「すごく落ちついて話してらっしゃいましたね」(戸梶さん)、「震災の最初から順番に話してらして、分かりやすかったです」(藤原さん)と感想を話した。

●夜間宿直など体制づくり 農学部の避難所運営を支援した村上助教授

Photo  農学部の避難所の運営を支援した村上周一郎農学部助教授。「自分の受け持つ生徒たちの安否はすぐに分かり、全員無事でした。食料を持ち寄って、合宿みたいな気分で乗り切ろうとしたのですが、18日には下の小学校に1000人くらいの人々が避難するような状況になっていた。こうなると食料がなく持ちこたえられるかわからないため、苦渋の決断ではあったが学生を一時帰宅させることが決まった。19日朝から炊き出しで作られた握り飯を持たされた学生たちが、電車が動く西宮北口まで歩いて向かっていった」と当時の対応を話した。20日には大学本部に食料が集まり、これで避難してきた人々への支給は可能になった。21日には夜間宿直などのサポートの体制ができた。
 村上さんはポイントとして食料の確保を指摘する。「食料の安定した確保があれば最低限対応できるのに、これがいかに難しいのか痛感した。あの時は、対応する力がなかったために学生を帰すしかなかった。2日目に食料が用意できたらそんなことはなく、大学の復旧も早かったはず」。

●「学生には力が眠っていた」 総ボラ創設に参加した稲村和美さん

 最後に、当時法学部3年生で、震災時救援活動を行い、これを機に「神戸大学総合ボランティアセンター」創設に参加した稲村和美さんが、当時の活動の様子を語った。「震災から数日後、東灘区の小学校で泊り込みのボランティアを行っていた。物資や掃除のことを話し合い、避難所で何の仕事ができるのかを見つけて活動していると、普段は無気力かもしれない学生にはこんな力が眠っていたのだな、と感じた。そして私自身は被災しなかったが、ここで多くの人々と会い、多くのことを学んだ。」
 「『神戸大学総合ボランティアセンター』を創ったのは、このような救援活動を地元の学生で被災地のニーズにこ応えつつ継続することと、震災に限定されず元からあった問題にあたる拠点を、と考えたため」と「総ボラ」創設の経緯も語った。稲村さんは現在市民活動へ向かい、兵庫県議会議員だ。

●「次の10年をどうするか考えねば」 10周年事業の副委員長・岩崎教授

 10周年事業の副委員長の岩崎信彦文学部教授は「震災は10周年ではすまない。次の10年をどうするのか考えなければならない。今日は、様々なシンポジウムや今日の慰霊祭などを行ってきて成果が見られると思う。特に経営学部の学生が1つ1つ名前を書いた折り鶴を心をこめて作り、遺族の方々に渡していたことに感動しました。また、音楽の演奏も素晴らしかった」と語った。(記者=田中義久、中島仁志)

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◎現役学生から折り鶴 慰霊祭後の懇親会

 神戸大六甲台キャンパスでは、慰霊祭後に懇親会が開かれた。懇談会では、4人の遺族が子どもとの思い出や子どもへの思いを挨拶で話した。その後、現役の学生からの突然の折り鶴のプレゼントに、遺族は「子どもの写真の前に飾ります」と涙を流した。【1月17日 神戸大学NEWS NET=UNN】

Photo  故・高見秀樹さん(当時経済・3年)の父、高見俊雄さん=写真右=は震災当時、秀樹さんに恥じないように、という思いで頑張り、定年を迎え第2の人生を歩んでいる今も社会に貢献する活動をしている、と挨拶した。

Photo 故・工藤純さん(当時法・院1年)の母、延子さん=写真左=は挨拶で、「子どもたちはみんな頑張っていて、この10年もみんないろいろだったと思います。でも、子どもはたくさんある選択肢の中から神戸大を選んで神戸大に誇りを持っていました。私たちは神戸大生の親として誇りを持っていました。これを傷つけてはいけないと思います」と挨拶した。

Photo 故・神徳史朗さん(当時工・3年)の父、逸郎さん=写真右=は、震災当時友達が史朗さんを見つけてくれた時のことを話した後、「史朗の友達は、今でも3年おきに自宅のある長崎まできてくれます。今日も史朗の遺稿が神戸のアートビレッジセンターで上演されるんですよ。本当に良い友達をもちました」と話した。そして、長崎の原爆投下が風化されてしまったという例を出して「(阪神淡路大震災を)風化させないで下さい。今日はこれを伝えるためにこの場に立ちました」と強い思いを話した。

Photo 故・今英人さん(当時自然化学研究科博士前期課程・1年)の父・英男さん=写真左=は、「この10年が短かったのはみんな同じ気持ちだと思う」と10年の思いを話した後、「若い人には、社会のために生きてほしい」と挨拶した。

Photo  遺族のスピーチの後、的場尚歩さん(経営・3年=写真右)を代表する現役の学生から遺族の方へ、亡くなった学生の名前を刻んだ44束の折り鶴を贈呈した。プログラムにはなかったが的場さんが慰霊碑の捧げた折り鶴を見たある遺族の方が、「ぜひみんなに配りたい」と提案。大学側に掛け合った結果、急遽懇親会の挨拶の最後で遺族への贈呈式が実現した。  的場さんが「厚かましいかも知れませんが、神戸大の現役の学生からの遺族の方へこれを…」と挨拶を始めると、会場では啜り泣きが聞こえ、これまで気丈に挨拶文を読み上げていた野上学長も眼鏡を外し、目をハンカチで押さえた。
 折り鶴は的場さんの親しい友人数名で「10年の区切り」になればとの思いで作り上げた。これは的場さんが昨年春から白木利周さん(故・白木健介さんの父)との交流の中で「17日に折り鶴を飾りたいなあ」とぽつりと白木さんが話したことから思い付いたという。折り鶴を受け取った白木さんは「遺族はこういう気持ちが一番うれしいんだよ」と話した。(記者=杉浦加奈)

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◎中国人留学生遺族 慰霊碑に遺影捧げる

Photo 今月15日に阪神・淡路大震災で亡くなった中国人留学生・就学生の遺族が来日し、17日の神戸大慰霊祭に参列。その後の懇親会にも参加した。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

 神戸大を訪れた中国人留学生・就学生の遺族らは、初めて子息らの通った大学をみて、カメラのシャッターを切ったり、ガイドの神戸大学の中国人留学生の説明に耳を傾けていた。
 その後、慰霊祭が始まると神妙な面持ちで慰霊碑に目をやり、日本人の遺族と共に黙祷をささげた。その後、遺族の列に混ざって碑に花束を捧げた。呉ショウさん(営・2年)の両親、呉定安(父)、陳笑歓(母)は呉さんの名前が刻まれたプレートに花束と手紙と遺影を置いて、涙を流しながら手を合わせていた。
 懇親会に参加後、大学を出発し、長田区の中国人墓地、慰霊碑を訪ねた。(記者=吉永智哉)

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◎神戸大の責務果たす 学長が慰霊のことば

Photo  阪神・淡路大震災10周年慰霊祭が1月17日、午前11時45分頃から神戸大六甲台慰霊碑前で行なわれた。会場には、昨年よりも多くの遺族や大学関係者らが訪れ、黙祷や献花が行なわれた。野上学長が「神戸大としての責務を果たす」と述べた挨拶では、涙を流す人も見られた。【1月17日 神戸大学NEWS NET=UNN】

 学長は式典を終えて、「10年目を迎えて改めて神戸大としての責務を強く感じました。先輩達の句らしさをキャッチアップし、彼らの分も新しい時代を開けるように。そのために良い大学を作ろう」と感想を話した。

 10年目を迎える今年の1月17日は、例年よりも多くの人たちが慰霊碑を訪れた。

故・神徳史朗さん(当時工・3年)の同級生・湯本圭輔さん(33)
 午前9時頃、慰霊碑を訪れ「午後からの(神徳さんのシナリオ)演劇をみにきました」「キャンパスが移り変わるのをみると特に10年を感じますね」とコメントした。(記者=吉永智哉)

故・廣瀬由香さん(当時法・4年、24才)の母・政子さん
 毎年、慰霊碑、芦屋の自宅があった場所、東遊園地の順に回っていたが、今年は慰霊祭に合わせて最後に、花束を持って慰霊碑を訪れた。
 10年経ったが「あっという間、実感はない。1年目も10年目も気持ちは同じ。信じられないというのがまだある。でも、流れの中で生きていくしかないという気持ちも生まれた。元気を出して明るく生きていくしかないと思っている」
 「私は皆と話すことで、自分を取り戻そうとしてきた。だれかが語り継がないと(娘の死が)無駄になる」という思いから積極的に他の遺族の方とも話をする。
 「自分が動ける間はここに足を運びたい。いずれは孫も一緒に」(記者=椿一臣)

故・長尾信二さん(当時工・2年、20才)の親戚・釜野文男さん、多美子さん
 文男さんは震災当時、信二さんの遺体を地元の高松まで連れて返った。高松から神戸まで車で約20時間かかったという。「ニュースなどでは震災から10年ということが多く言われるが、昨日のことのように思える。10年経ったが、10年経っていない」と話す。
 「信ちゃんの名前はもう神戸大の慰霊碑にしか残っていない。これが信ちゃんが生きていた証のように思える」と多美子さんは慰霊碑への強い思いを話した。(記者=武井礼美)

故・藤原信宏さん(当時経営・4年、22才)の母・美佐子さん
 朝は東遊園地を訪れられてから慰霊祭に参加したという。「1年に一度しか会わないけど、遺族の方々のつながりがあるのがうれしい」。10年を迎えて「彼らの思いを遺族とかこうやって会う学生さんとかみんなで分かち合えるのが幸い」。「公認会計士目指して勉強ばっかしていた息子だった」「それが無念で無念で。もうちょっと遊んでくれたらよかったのかねえ」(記者=吉永智哉)

故・稲井健太郎さん(当時医・4年、22才)が主将を務めた医学部合気道部の後輩の女性2人
 稲井さんが4年の時1年だった。赤ちゃんをベビーカーで連れた女性は、「いい先輩で可愛がって下さったし」と10年目の今年、初めて1月17日慰霊碑を訪れた。「今でも生きてはる気がする。10年あっという間だった」と話す。キャンパスで場所を聞いても「わかりません」との答えが多く「さみしいねえ」と話していた。しかし、多数の花束の供えられた慰霊碑を見て、「来て良かったね。来年も来ようね」と2人で約束していた。(記者=吉永智哉)

Photo 故・白木健介さん(当時経済夜間・2年、21才)の父・利周さん
 神戸大慰霊碑前での震災語り継ぎ調査会による竹灯籠灯しが今年も行なわれたと聞いて「学生の方が忘れず覚えてくれているというのはうれしい」と話した。(記者=吉永智哉)

故・林宏典さん(当時=経済・2年、21才)の友人・瀧口一宗さん(経営・1997年卒)
 林さんとは大学生協でのバイト仲間だった。例年は夜中に大学慰霊碑を訪れるが、「今年は仕事を休んで昼間に来ました。会いたい人がいたので」。
 瀧口さんが再会を果たしたのは林さんの両親。10年前の震災後、瀧口さんは初めて林さんの実家を訪ね、バイト仲間たちとともに笑顔で写った宏典さんの写真を両親に渡した。「あの時は僕の方が動揺しちゃってて。ご両親は逆に励ましてくださいました」。今日、10年ぶりの挨拶を交わした。
 「大学の風景も変わったし、それだけの時間が経ったのですね。でも、今の学生にもずっと忘れないでほしいな」。帰り際、乾杯用の缶ビールを慰霊碑にささげた。(記者=岩崎昂志)

当時入試課の職員だったという男性(60)
 午前8時半頃、慰霊碑を訪れ「10年ぶりに訪れました。自分にとって節目の年ですし、次の10年わかりませんから。とりあえず、10年間生きましたって感じですかね」と感想を述べた。(記者=吉永智哉)

現役の学生らも…
 神戸育ちという男子1年生。慰霊碑の前で堅く手をあわせ、「地元やし、絶対に忘れたらあかんと思ってきました」と話してくれた。
 東北生まれという男子1年生。「全然神戸と関係ないけれど、10年の区切りに訪れたかった」。

 大学の講義が終わる時間帯、慰霊碑の前に立ち寄って手を合わせる学生がいた。「(慰霊碑を)普段は意識しないけど、今日は特別なので」。
 95年の震災当時は埼玉県の小学生。神戸の大学生となり、この日は夕方から三宮で開かれる震災追悼イベントのボランティアをしに行くところだという。「10年前は何もしなかったので。神戸に来たら震災のこと、何かしたいと思っていた」。(記者=岩崎昂志)

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◎下宿跡を訪ね黙祷 故・上野志乃さんの父

Photo  故・上野志乃さん(当時発達・2年)の父、政志さんが1月17日午前5時46分、志乃さんが亡くなったニュー六甲ビラの跡地横にある「箱」と呼ばれる慰霊碑の前で、静かに手を組み黙祷した。黙祷の後、政志さんは、毎回「箱」を訪れた時に記すノートに「みんなが会いにきてくれて嬉しいやろ。周りの気持ちや力はありがたいなぁ」と志乃さんへの思いを綴った。【1月17日 神戸大学NEWS NET=UNN】

 当日雨が降りしきる中、政志さんが自宅近くの山で切ってきた竹で作られた竹筒に3つに火が灯された。準備を終えた後、政志さんはじっと箱を見つめ、下を向き、前で手を組み、時計が5時46分を示すのを待つ。寺院や教会の鐘の音が聞こえる中、政志さんは「箱」を覗き込んだり、供えられた花を直したりしながら何度も見つめた。
 「箱」には同じ下宿で被災した学生の両親や友達からが花やケーキが供えられていた。政志さんは、今年も志乃さんがマンドリンクラブの冊子の表紙に描いた思い出の花「デンファレ」を持ってきた。
 政志さんは、「今日は残念だと思う気持ちと、”箱”をおかさせてもらっているという感謝の気持ちです」と思いを話した。また、「9年も、8年も変わらないが、娘の場合は(レポートで10年後の設計図を書いていたので)思いが強いです」と思いを話した。(震災1年追悼手記 http://home.kobe-u.com/top/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm、震災5年追悼手記 http://www.unn-news.com/sinsai/tokusyu2000/)(記者=杉浦加奈)

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◎「10年あっという間だった」 高見さん追悼の会

Photo  震災で亡くなった故・高見秀樹さん(当時経済・3年)を追悼するための、献花や黙祷が1月17日、高見さんが亡くなった盛華園跡で行われた。高見さんの両親や当時高見さんが団長を務めていた応援団のOBらが参加した。
   「10年間で初めて」という雨が降る中、参加者は午前5時半頃には全員、跡地の公園に集合。屋根がある休憩所の下で、身を寄せ合って、5時46分を待った。母親の初子さんは「その時(46分)だけやんでくれるかも」と呟いた。
 40分頃に花束や果物、高見さんが好きだったという日本酒などを供え、一人ずつ、線香をあげていった。そして、5時46分に全員で黙祷を捧げた。その後、供えた日本酒を飲み、最後に父親の俊雄さんが「皆さんの助けがあってがんばれる。今後ともよろしくお願いします。今日はありがとうございました」と挨拶した。
 初子さんは震災から10年が経ったことについて「あっという間だった。この10年、死んだら(息子に)会えるという気持ちから死は怖くなくなった。その一方で、残された者が頑張らなければ、と命の大切さを深く感じる」と思いを話した。
 12月25日に応援団を引退した大間匡浩さん(法・4年)は「ラジオに出た時、高見さん(初子さん)の話を伺ってから、思うところがあって今回参加した。それ以来、震災の報道に敏感になった。震災を経験していない人にとっては、来なければ分からないこともある」と語った。
 初子さんは最後に「10年間続けてくれたのがありがたい。体が元気なうちは続けていきたい」と話した。(記者=椿一臣)(震災1年追悼手記 http://home.kobe-u.com/top/newsnet/sinsai/tokusyu/tuit_top.htm、震災5年追悼手記 http://www.unn-news.com/sinsai/tokusyu2000/

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◎震災から10年 慰霊碑前で黙祷

 午前5時20分頃、六甲台キャンパス前庭の慰霊碑でろうそくが灯された。当初の予定通り、午前5時46分に聞き語り調査会のメンバーが黙祷。震災から10年目を迎えた。聞き語り調査会の森田安恒さんは活動に参加したことについて「数年前まで、震災のことは情報でしか知らなかったが、今回こういった取り組みに参加でき、たいへん良かったと思っている」とコメント。別のメンバーも「(火を)つけるときは風も強くてどうなるかと思ったが、結局30分以上ついていたのですごいもんだね」と感慨深げに話した。
 また、盛華園アパートで亡くなり、当時応援団長だった高見秀樹さん(当時経済学部3年)の遺族と応援団OBが下宿近くの公園で集まり、黙祷を捧げた。(記者=森田篤)【1月17日 神戸大学NEWS NET=UNN】

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◎阪神大震災1.17の集い 10年目の祈り

Photo  「阪神淡路大震災1.17のつどい」が三宮・東遊園地で午前4時から行われている。震災の起こった時間の午前5時46分には一斉に黙祷が行われ、震災で亡くなった犠牲者を悼んだ。【1月17日 神戸大学NEWS NET=UNN】

 早朝、会場にはおよそ千人が訪れ、雨足が時折強まる中、竹灯篭のロウソク「1.17 希望の灯り」への点灯や献花を行い、犠牲者の冥福を祈った。
 運営には立命、関学、関大など、多くの学生ボランティアやOBたちが携わっている。「阪神淡路大震災犠牲者聞き語り調査」を実施している自然科学研究科の塩Photo 崎研究室では、毎年、修士1年の学生が総出で各地で開催される行事にボランティアとして参加する。清水崇史さん(自然院・M1)は、「震災当時は中学2年生で東大阪で震災を体験した。知り合いや家に被害はなく、聞き語りの調査に携わるまでは、震災に向き合ったことはなかった」。「被災体験も直接ないけど、十年目の今日に神戸で震災に深く関わっているとは、当時の自分からは思いもよらないでしょうね」と、東遊園地でボランティアとして募金や参加者の誘導にあたっていた。

Photo  また関学で1996年から始まった「白いリボン運動」は、2003年から六十余りのNPOやボランティア団体が協賛して行う運動に発展している。東遊園地でも募金活動や白いリボンの配布が行われている。関学OBの清田仁之さん(1997年・社会卒)は、上ヶ原で震災を体験して、倒壊した家や多くの学生が亡くなる現状を目の当たりにした。現在は障害者などを支援するNPOに勤務するが「震災が今の仕事のきっかけになっているのかもしれない」と話す。
 今日、東遊園地では午後9時まで、「1.17希望の灯り」への点灯や、記帳、献花を行うことができる。(記者、撮影=栃谷亜紀子)

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◎予想外の雨 慰霊碑の灯り消える

 日付が変わる頃から雨が降り始めた。17日午前5時現在、大学では雨風ともに激しくなり、六甲台キャンパスの慰霊碑では、ろうそくの灯りが消えている。慰霊碑を見守る震災聞き語り調査会は「(1月17日にこれほど強い雨が降るのは)10年間でおそらく初めて。ろうそくの芯が湿ったらもう火がつかない」と不安な様子だった。気象庁によると、17日の神戸は曇り後雨。(記者=森田篤)【1月17日 神戸大学NEWS NET=UNN】

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◎10年照らす灯りともる 神戸大慰霊碑

Photo  1月16日午後7時45分、神戸大慰霊碑(六甲台キャンパス前庭)の並べた竹灯篭(ろう)の中のろうそくに灯がともされた。【1月17日 神戸大学NEWS NET=UNN】

 準備したのは震災聞き語り調査会の大学院生8人。震災犠牲者の鎮魂を願う神戸市中央区の「慰霊と復興のモニュメント」に灯されているガス灯「1・17希望の灯り」から火をもらい、点火するこの活動も今年で5回目を迎えた。午前5時46分まで火を灯す予定。メンバーは、風や雨でろうそくの火が消えないよう、交代で慰霊碑を一晩見守っている。深夜から雨風ともに強くなり、すべてのろうそくが消えてしまうこともしばしば。その度に種火からろうそくで火を移していた。メンバーの一人はは「5時46分の時点ですべてのろうそくに火を灯していたい」と話した。神戸大では44人の学生が亡くなっている(旧神戸商船大を含む)。(記者=森田篤)

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◎あす、震災から10年

 あす、阪神・淡路大震災から10年を迎える。ニュースネットでは、学内の震災慰霊事業の模様を16日深夜から17日夕方まで随時ホームページにアップしていく。今年は震災で犠牲となった中国人留学生・就学生の遺族をはじめ、関係者の遺族や当時の大学教職員が慰霊事業に参加する予定。大学全体としても、各部局で17日正午に黙祷が行なわれる。企画部は「(震災から)10年という節目に、今まで以上に多くのご遺族、大学OB、職員らに参加していただければと思う。学生も慰霊に目を向けてほしい」という。【1月17日 神戸大学NEWS NET=UNN】

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◎10年目の1.17 学長、関係者らの思い

 阪神淡路大震災から今年の1月17日で10年。この日を迎えるにあたり、野上学長や、学生団体代表者らが、震災当時や現在、そして未来を考える。【1月17日 神戸大NEWS NET=UNN】

▽掲載手記一覧(いずれも敬称略)
●未来を考える
野上智行(神戸大学長)
岩崎信彦(文学部教授)
●現在を見る
中田安俊(応援団総部第45代団長)
義井理(学生震災救援隊代表)
●当時を思う
稲村和美(総合ボランティアセンター初代代表)


▽阪神大震災から10年(神戸大学長 野上智行)

 1995年1月17日、神戸大学では全学教職員が参加する全国一斉のセンター試験を無事に終えて、受験生の全解答用紙をセンター本部に送り出し、関係者がほっとして眠りについて間もない時間であった。午前5時46分、あの巨大地震が兵庫県南部を襲った。

 あの時以来、私達は「もし、…だったら」という問いを何度繰り返しただろうか。

 昨年、何度も日本列島を舐めるように通過した台風、中越地方で発生した地震、そしてインドネシア沖の巨大津波。10年前の兵庫県南部に発生した地震も含めて、いずれも現象的には地球上の自然現象として説明されるものとなっている。それらが発生するメカニズムと発生の可能性は自然科学の成果として私たちはようやく認識することができるようになってきている。しかし、そのような現象が生じることを前提として人間は何をどのように為さねばならないかについて十分な英知を獲得してきているのだろうか。人類がこれまで獲得してきた知識を活かす手立てを確立できているのだろうか。社会システムのあり方も含めて私たちは未成熟であることを思い知らされる。

 大学は自然を理解し、社会を理解し、人間を理解しようとする人類の英知が結集する場である。自然の営みを理解し、自然の営みに起因する多くの困難を克服する英知が求められるが、その可能性は大学にある。大学の社会的責任は人類の未来への責任であり、大学で学び、研究する者の責任でもある。とりわけ、学生諸君にはこの機会に自分が大学で学ぶことの意味を考えてほしい。
 
 痛みは未だに残しながらも、10年前の震災から復興することができたのも私たちの力である。そうであるなら、私達の未来は私達の手で構築できるはずである。


▽阪神大震災は何であったのだろうか(文学部教授 岩崎信彦)

 1995年1月17日に兵庫県南部地震が発生してから、早10年がたった。町並みはきれいになり、被災の痕跡は見つけにくくなっている。しかし、神戸大学と読売新聞社の共同調査によると、「震災を乗り越えたと思う」と答えた人は55%、「そうは思わない」という人が13%であり、全体としては乗り越えつつあるといえるが、遺族は「乗り越えたと思う」が46%、家族に大けが・病気をした人がいる人は26%、とまだまだ震災との苦闘が続いている。

 一方、被災者は、「国内の災害に支援した」が52%(大阪や横浜の非被災者は44%)と当時の支援に対するお返しを行っている。また、多くのボランティア団体はNGO、NPOとして活動を発展させている。新潟地震、台風被害、インド洋大津波などへの支援活動、地域の仕事作り、高齢者、障害者のサポートなどなど。そしてこの1年、市民の立場から「大震災10年市民検証」を進めてきた。その成果は、柳田邦男編『阪神・淡路大震災10年―新しい市民社会のために―』(岩波新書)にまとめられ刊行されたところである。  1995年という年は、バブル経済が崩壊したあと、日本社会が進む道を見失い、精神的混迷が「オーム真理教」事件となって起きた年でもあった。この10年を振り返ると、「震災を乗り越える」ということが、単に震災だけのことにとどまらず、人間らしい生活が送れる社会とはどんな社会なのかという問いかけが行われてきた10年であった、と言えよう。それを「人間再生」と言うこともできるであろうし、「新しい市民社会の形成」と言うこともできるであろう。

 これからまた、次の10年、国家行政の行き詰まり、競争的市場社会の「不調」を目の当たりにしながら、それを乗り越えていく「人間再生」「新しい市民社会」を進めていくことが、「阪神・淡路大震災は何であったのだろうか」に答えていく道であろう。


▽応援団のあり方(応援団総部第45代団長 中田安俊)
Photo
 私が、阪神大震災を被災(被災といっても奈良県民の私は、本棚から落ちてきた本に頭をぶつけた程度だが…)した当時私は小学5年生で、テレビで見る風景は現実に信じられるものでなく、同級生がやたら募金をしたことを自慢げに話していることが偽善たらしくて不快だった記憶が強い。それから何の縁があったのか、神戸大学に入学することになり、応援団に入り、親を説得して、六甲の街に住むことになった。

 暮らし始めた当時、六甲の街は、私から見れば震災の傷跡は感じられず、ただの坂の多い街でしかなかった。しかし、生活と人生勉強のため先輩から紹介された居酒屋で働き始めた時、そこで始めて震災の傷跡を見た気がした。店主や客の方が震災について語る目は、私の祖父や祖母が戦争を語る時と同じく、心の傷を感じさせ、それを復興させたことに対する誇りを感じさせる人の目だった。六甲にもまだ、震災の傷跡は十分に残っていると痛感したと同時に、実際に体験してみないとわからない部分があるのも事実だと感じた。そして程なく我々の団体のOBに当たる35代団長の高見さんという方が学生時代に下宿でなくなられたという話を伺い、応援団と震災も当然ながら無縁ではないことを知り、自分の無学を恥じた。

 我々応援団は、ただ大きな声を出して、スポーツの応援をするだけの団体ではない。学生が学生として皆で力をあわせ、母校をよくしようという思いの先頭に立とうとしている団体である。この思いを持っている我々は、ただ今ある神戸大学を見ればよいわけでは当然ない。神戸大学が今の状態に至るまでの歴史、そして存在しているこの街の歴史を学ばねばならないだろう。『神戸大学生が神戸大学生として』という言葉の中には震災と向きあうという意味も含まれているのではないだろうか。そのような思いを胸に神戸大学そしてこの町に向けて「フレーフレー神戸!」


▽10年目の取り組み(学生震災救援隊代表 義井理)

Photo  救援隊は現在、2つの活動を中心に活動を展開しています。1つは、地域問題に取り組む上で基本となる知識を身につけるための活動。もう1つは、地域型仮設住宅での取り組みから派生した先進的な高齢者ケアのあり方を追及する活動です。

 まず1つ目について。年に一度連続講演会を企画し、地域で活動されている方々をお呼びしてお話を聞きます。また、神戸大学ボランティア講座の運営協力も行っています。活動と関係が深い本を扱っての読書会も行っています。次に2つ目について。震災を機に誕生した地域型仮設住宅、その後に生まれた多様な小規模ケアに注目し、高齢者ケアのあり方を追求し、学生のフットワークの軽さを生かした取り組みを行います。高齢者施設への調査、実践者の方々が開いている会議への参加、各地で行われる研修会への参加など行っています。また、基本的な知識と感覚を身に付けるために、読書会や学習会を行ったりしています。そして今後は、自分たちの普段の活動から事例を挙げてのケース検討など、理論と実践をつなぐ努力もしていきます。

 さて、救援隊の周りでも様々な活動が展開されています。復興住宅でのお茶会活動、地域の方と共に行うお祭り、学童保育所での活動、地域のいろいろな場所での賑やかし。これらの活動のフィールドも地域の中にあり、幅広く関係を築いています。

 各活動は一見ばらばらなようですが、さまざまな背景を持った人たちが互いに助け合える社会を目指すという点では同じです。しかし、自分の携わっている活動の現場だけを見ていては、本来の問題を見失ってしまう恐れがあります。そのような現場主義を防ぐために活動単位同士が連帯関係を築く必要があります。救援隊ではこれらの活動団体を集めてミーティングを行うなど、お互いの状況を確認しあうよう努めています。


▽地域の一員として(総合ボランティアセンター初代代表 稲村和美)

 阪神・淡路大震災では全国からたくさんの人が被災地に駆けつけ、「ボランティア元年」と言われた。私も震災で初めてボランティア活動なるものを経験した一人で、避難所になっていた東灘区の小学校に泊り込んで活動した。

 避難所の運営は、そこに暮らすことになった人々が生活空間を作り上げていく作業だった。避難住民の代表の方、学校の先生、そしてボランティアで毎晩ミーティングをした。ルールができ、仕組みができ、問題が生じたら改善する。立場を超えて多くの人が能動的に、まさしくボランタリーに課題解決に取り組んでいくということの手応えが私を夢中にさせた。それは、震災前にボランティアに対して抱いていた「誰かを助けてあげる」というイメージとは全く違う、ダイナミックな学びの連続だった。

 春休みになると続々と活動希望の連絡が入り、ボランティアのコーディネートが仕事になった。一人でも多くの人に活動機会を提供したいという思いから、自立を妨げないよう避難所の外にも活動を拡大した。介助者を捜していた脳性マヒの男性、情報が伝わらず不安を抱えている高齢者など、さまざまな出会いの中から、震災で見えた問題の多くが、実は震災の前から地域にある問題だということも実感した。

 避難所が解消に近付く頃には、なんとかこういった活動の拠点を維持し、この震災で生じた「ボランタリーな活動機会の提供」を仕組みとして残せないかと考えるようになった。そして同じ思いの神大生が集まって企画を練り、1995年5月、「神戸大学総合ボランティアセンター」が設立された。震災限定ではないセンター、学生に活動機会を提供し、学びあうセンターとして、総ボラも10年目を迎える。

 「わたし」が「あなた」を助けるのではなく、地域の問題を「私たち」の問題として捉えていく視野、そしてその「私たち」の一員としてボランタリーに活動してみることの手応えを今後ともぜひ引き継いでいって欲しい。




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◎自劇OBの遺稿 舞台上演へ

Photo   阪神・淡路大震災で亡くなった、神戸大自由劇場の神徳史朗さん(当時工学部3年)の遺稿を基にした舞台が、新開地の神戸アートビレッジセンターで初日を迎えた。上演は17日までの3日間。【1月15日 神戸大NEWSNET=UNN】

 神戸大自由劇場のOB・OG有志で結成される「神戸『ホン(脚本)のかけら』プロジェクト」が今回の舞台を企画。神徳さんが残した脚本の断片に基づく作品を全国から募集した。東京、大阪の三劇団から応募があり、04年9月20日、大阪の劇団アトリエサンクスの「のぶちゃん」が選ばれた。ダムの底に沈む運命にある母校に集まった、同級生たちの友情を描いた作品。前売り券は既に完売している。舞台での売り上げの一部は、阪神・淡路大震災で被災した障害者や新潟県中越地震などの災害に役立てる基金「ゆめ・風十億円基金」に寄付される。

 自由劇場の仲間が、神徳さんのために何かできないかと考えたことが、同プロジェクト結成のきっかけ。10年前、倒壊した神徳さんの下宿から一冊のノートが出てきた。中には脚本の書き残しがあった。同プロジェクトの前田敦司さんは「彼が残した台詞一つでもいいから(このノートを利用して)何か訴えるものを作りたかった」と話す。「たくさんの方のご好意で、今回の舞台発表ができたので大変感謝している。(3日間の舞台は)ご好意を裏切らないものにしたい」(記者=森田篤)

【写真】開演1時間前。入り口には既に行列ができていた。(1月15日午後5時58分頃 神戸アートビレッジセンターで 撮影=森田篤)

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◎受験の季節到来 センター試験始まる

Photo   2005年度大学入試センター試験が1月15日、16日の2日間行われる。初日の今日、神戸大ではあいにくの小雨が降る中、約3500人が試験に臨んだ。【1月15日 神戸大NEWS NET=UNN】

 一日目の今日は外国語、地理歴史、理科の3教科が行われた。1時間目の外国語は予定通りの午前9時半から開始された。
 大学入試センターの発表によると、今年の全国での志願者数は2年連続で前年を下回り、56万9950人。神戸大の志願者数は3499人だった。

 今日最後の理科の試験終了後、兵庫県出市から来た、近畿大を志望しているという女子高校生は「生物が難しかったけど、英語は簡単だった」と今日の手応えを話した。(椿一臣)



【写真】緊張した様子で試験に臨む受験生ら(1月15日農学部試験場第一試験室で 撮影=大西智道)

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