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神戸大学東京六甲クラブ
〒100-0005
東京都千代田区丸の内3-1-1
帝劇(帝国劇場)ビル
地下2階
(地下鉄日比谷駅・
有楽町駅B3出口すぐ、
JR有楽町駅西側5分)
TEL 03-3211-2916
FAX 03-3211-3147
e-mail tokyo@kobe-u.com
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リレー随筆(2)


| リレー随筆のルート2の内容です。最新の方が最初になります。 |
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第7走者 増原 浩二(H元年 農学部卒業) |
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「数多くの人の縁により生かされている」
27年前、6月にサッカー部を引退した私は、知り合いの広島大医学部の学生から、これからは、バイオテクノロジーの時代だと言われ、九州大学農学部を目指して、勉強していました。
年が明け、共通一次試験を受けたところ、今まで取ったことのないような良い点数が取れたため、急遽、志望校を神戸大に変更し、二次試験を受け、合格することが出来ました。
それまで、修学旅行以外ではほとんど広島から出たことのなかった私は、直前まで、全く想像もしていなかった、神戸大、神戸の街、人とこうして出会うことが出来ました。
初めての三宮には強烈な印象が残っています。
大学から紹介され、灘区大石に四畳半と二畳、風呂無し、家賃2万円の文化住宅を借りて、初めての日曜日、テレビもなく、することもないので、とりあえず、三宮に行ってみようと思い、どきどきしながら阪神電車に乗りました。
三宮に着くと想像を絶する世界が待っていました。
物凄い人だかりで押しつぶされそうになり、パトカーがサイレンを鳴らしながら走り回り、おまわりさんが狂ったように笛を吹いていました。
映画でみた、ニューヨークやロサンゼルスのような光景に「田舎者の来るところじゃないなぁ、やっぱり都会は違うのー」と逃げ帰ったのですが、テレビも新聞もない私に、あの日、三宮で暴力団同士の銃撃戦があったことがわかったのはだいぶん経ってからでした。
そんな偶然の出会いやとんちんかんな始まりの神戸は、今では、本当に第二の故郷と思っています。
今では、人生の10分の1にも満たない4年間ですが、かけがえのない経験や大切な人達との出会いをすることが出来ました。
大学時代、これからはバイオテクノロジーの時代だと言ったこともすっかり忘れ、サッカーと麻雀、パチンコに明け暮れた私は、ぎりぎりで卒業し、バブルの波に乗り、さしたる努力もせず、やりたいこともなく、なんとなく給料が良さそうだからという理由で銀行に就職しました。
神戸大学ということもほとんど意識することもなく、15年を過ごしましたが、縁があり、8年前に外資系生保の営業に転職してからは、心から、神戸大学で良かったと思っています。
ノルマに追われる日々や中間管理職としての矛盾に我慢が出来なくなり、自分の力が試せると思って飛び込んだ世界でしたが、世の中、そんなに甘くはありませんでした。
会社の商品、サービスにも自信があり、何より、自分は出来ると思って転職しましたが、それまで、毎日、顔を合わせていた先輩、後輩からは断られ、親しかった取引先にも相手にされない日々が続きました。
銀行で表彰されたり、お客様から、感謝されたりしていたのは、自分の力ではなく、銀行の看板で仕事をしていたおかげであり、お客様は銀行に感謝していたのだということを痛感しました。
そんな時、破れかぶれで20年振りに掛けた一本の電話が転機になりました。
その電話の相手は大学1年の時の4年のサッカー部の先輩です。
体育会の4年と1年の関係というものは、極端に言えば、王様と奴隷のようなもので、直立不動で話を聞き、絶対服従でほとんど口も聞けないという関係です。
20年前、1年間一緒にいただけで、ほとんど口もきいたこともない先輩なので、自分の名前を覚えているかどうかさえわからないという状況だったのですが、本当に切羽詰っていましたので、清水の舞台から飛び降りるつもりで電話しました。
泣きそうになりながら電話したのですが、覚えていて頂いただけでなく、快く会って頂き、ご契約をお預かりするだけでなく、今まで、知らなかったサッカー部OB戦や東京六甲クラブにも誘って頂き、行けるようになりました。
さきほど、いい加減な大学生活と書きましたが、サッカーだけは、真剣に取り組み、頑張っていたことを、覚えていて頂き、信頼される結果になったのかもしれません。
その後は、神戸大学の先輩にかわいがって頂けるだけでなく、同期、後輩とのつながりも出来、さらに、大学を超えた色々な人達の縁により、家族共々、本当に幸せな人生となっています。
銀行という狭い世界だけで、生きていた時には、神戸大学出身ということを特に意識することもなく、人との縁に感謝するということもなかったのですが、会社という看板を外した時、人とのつながり、縁というものが非常に大事だと気づきました。
がむしゃらに働いている若い時は、一日の大部分が職場であり、仕事をするにも、出世するにも職場でのつながりが一番重要と思ってしまいます。
もちろん、その縁も重要ですが、その縁だけにたよっていれば、私のようなに転職や、定年退職などで、突然、縁が切れるかもしれません。
地縁、血縁、同じ趣味、お子様つながり、もちろん、職場のつながりなど、人は、数多くの人の縁により生かされているし、その縁が多いほど、豊かな生活になると思います。
その中の重要な縁の一つが大学であることは間違いないと思います。
中国に「小人は縁に気づかず、中人は縁を生かせず、大人は袖すり合う縁も縁とする」ということわざがあります。
縁をつないでくれる場所として、先輩方がつないでくれた東京六甲クラブを我々、中堅、若手も次世代につないで行ければと思います。
次回は、西野 努さん(H5年 経営学部卒)にバトンタッチします。
以上(2012.05.08)
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第6走者 辻村 悠(H19年経済学部卒業) |
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「神戸っ子 冥利に尽きる」
神戸生まれ、神戸育ち。しかも灘区。神戸高校に通いだした頃から、神戸大学に入る気満々だった。私にとって、神戸大学は家から一番近い地元の大学であり、だからこそ神戸市民としてとても誇らしい憧れの対象だった。
いろいろあったが神戸大学になんとか入学し、私は大学生活を目いっぱい謳歌した。部活に没頭したり、友達と遊び明かしたり、試験前に焦ったり。それはまさに私の「青春」だった。
しかし、ここで転機を迎える。就職し、東京本社への配属が決まったのだ。今まで神戸市灘区から出たことが無かった私が、突然単身上京することになった。地元の友達はもちろん、大学の友達もほとんど関西圏に残ることになったので、一気に友達が周りから居なくなった。初めての一人暮らしということもあり、一人ぼっちを痛感した。1人では何をしていいか分からず、休日にも外出せず家に引きこもっていた。
そんな中、神戸大学の学友でもある兼光里江さんに誘われて、東京六甲クラブに通うようになった。いろんな業種、いろんな世代、いろんな立場の神戸大学卒業生であふれた、新しくも安心する世界がそこにあった。
私のような一般社員の方々から、大企業の役員さんや起業した若手実業家の方まで、普通に生きていれば集まることは叶わないくらい様々な人々が、神戸大学卒業という一つの共通点だけで一堂に会している。神戸大学卒業生として、とても誇らしいことである。また、いろんな方とお話することで、自分の幅が広がった気がする。
皆さんすべていい人で、会社とは違う空気に触れて気分もリフレッシュできる。私は時々しか参加できなかったが、顔を覚えていてくださることも多く、素直に嬉しかった。
この東京六甲クラブを築き、そして守ってきた諸先輩方にはどれだけ感謝しても足りない。本当にありがとうございます。これからは、私もそれを守る仲間に入りたい。微力ながら、お手伝いさせていただきたいと思う。
次回は、増原浩二さん(H元年農学部卒業)にバトンタッチします。
以上(2012.03.08)
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第5走者 吉田 雄一(H10発達科学部卒業) |
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「微力ながら何かできれば」
昨年末、久しぶりに六甲山に登ってきた。
登山の起点となる六甲ケーブルの駅は、私の通った発達科学部のすぐ近く。
とはいえケーブルは使わずに歩いて、最高地点までは約2時間。
山頂からは瀬戸内海の絶景が広がっていた。
今思えばもっと学生時代に登っておけばよかったと思う。
卒業以来、東京に住んで10年になるが、帰省するたびに海と山の両方が
楽しめて風光明媚、100万ドルの夜景と衣食住のすばらしい店がコンパクト
にまとまった町、神戸のよさをあらためて実感する。
話題を転じて、東京にある「六甲クラブ」にはかれこれ3年くらいお世話に
なっている。
きっかけは、有楽町界隈を歩いていた時に偶然目にした看板である。
しかし、会員制の怪しげな店を思わせる重厚なドアを目の前にして、
一度は撤退。その後ホームページで確認して、素性を確認した後、思い
切って中に入らせていただいた。
それからは、講演会に参加したりして、交流と勉強の場として使わせて
いただいている。
関東の人と話をしていると、最悪の場合、神戸大のことを知らなかったり
して、首都圏でのブランド力はそれほど強くないことを実感することがある。
それほど愛校心は強くない私でも悔しく感じることだ。
今後、六甲クラブからも神戸大のよさを発信していけるよう、微力ながら
何かできればと思っている。
次回は、経済学部平成19年卒業の辻村 悠さんにバトンタッチします。
以上(2012.01.14)
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第4走者 六十谷 知里(H11国際文化学部卒業) |
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「東京オフィス・リニューアルオープン」
「神戸大学の東京オフィスで働いてみない?」昨年末、そう声をかけてくれたのは、大学時代からの大親友で、このリレー随筆(2)のスタートを飾った第一走者でもある五十嵐さんでした。
神戸からこんなに離れた東京で、しかもこんなに年月が流れてしまったのに再び母校と関わるチャンスが巡ってくるなんて…本当に不思議な「縁」というものを感じました。
結婚を機に上京してからというもの、すっかり「神戸大学」とは疎遠になってしまっていました。大学の現状も知らないし、今どきの大学生なんてもっとわからないのに大丈夫かな、と躊躇する気持ちもありましたが、「私も卒業生の一人、大学に少しでも恩返しできれば」という思いで、東京オフィスで働き始めました。
年も明けてH23年、いよいよ新生神戸大学東京オフィスが活動を開始し、小西所長をはじめ、スタッフみんなで頑張ろうと意気込んでみたものの、来訪者もほとんどなく閑古鳥が鳴く有り様・・・このままだったらどうしよう・・・とすごく不安でした。
ところが大学HPにオフィスのことが載ったり、学生へオフィスのチラシが配布されたり、もちろん六甲クラブの皆さんのネットワークのおかげもあって、利用者数はどんどん増え、多い日には座る場所もないくらいになりました。
インターネット時代に乗り遅れている私でも、オフィスのことをひとりでも多くの方に知ってもらおうと、毎日ツイッターでつぶやくようになりました。
休憩ができて、PC・インターネット・プリンター・コピー利用・荷物預けもでき、フリードリンクで、キャリアアドバイザーという強い味方もいて、ほとんどが夜行バスで上京する学生さんには、とても便利だと好評で口コミで広まっていきました。「また来ます!」と言って笑顔で帰って行っては、「またお世話になります」と何度も来てくれるリピーターも続出。
ところがせっかく順調な滑り出しを見せた東京オフィスも3月11日、東日本大震災で状況は一変しました。あの日、外で地震に遭った学生が行く当てもなく、オフィスに来て所長はじめ、スタッフと一緒に六甲クラブに避難して、数名のOBの方と一緒に過ごしました。神戸から土地勘もなく東京に就職活動に来て地震に遭い、本当に心細かったと思います。一人でも二人でもこのオフィスを東京での拠り所に思ってくれる学生がいる、それだけでも嬉しいことです。
その後、企業の採用日程が延期となり、またしばらく学生の姿はまばらになったのですが、徐々に就職活動の波も戻り6月16日には来訪者1000人を早々と達成できました。これもOB/OGの皆さまのご協力があってこそ成し得た記録で、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
東京オフィスを見つけて飛び込みで入って来られるOB/OGの方、卒業してまだ数年の人たちが、「ホームページで見て一度訪ねてみたかったので、会社帰りに寄ってみました・・・」とわざわざ寄って下さる方、みなさん、懐かしさと驚きの表情で「ここにオフィスがあったんですね!」と声を弾ませて入って来てくださいます。そこから、卒業生のつながりで六甲クラブに入会されたり、就活中の後輩のためにOB/OG訪問を快く受けてくださったり、大学のつながりは本当に目には見えないけれど温かくて心強いものだな、とつくづく感じました。
学生さんたちが、そんなOB/OGの方々の気持ち・アドバイスを本当に素直に受け入れて、心から感謝する姿を見て微笑ましくなります。何より、学生さんたちはOB/OGの方と話す事を本当に楽しんでいますし、これからもっと東京オフィスが卒業生と現役学生とのつながりの場になればいいなと思います。
――― ベルト忘れてきました。アイロンありませんか。近くに本屋は?銀行は?電車の乗継がわからない。安く泊まれるホテルは?おすすめの観光地は?―――
ネット社会の申し子といってもいいくらい情報に溢れた中で暮らす今どきの大学生でも、東京ではわからないことだらけのようです。
面接で落とされては一緒に落胆し、エントリーシートが上手く書けないと言っては一緒に悩み、部活の話、ゼミの話、関西の地元の話、東京での生活の話や仕事の話をしたり・・・「東京オフィスはアットホームな雰囲気だから利用しやすい」なんて言葉を聞くと嬉しくなります。学年、現役・卒業、学生・教員などの垣根を越えて交流できて、リラックスできる場所・また来たくなる場所であったらいいな、と思います。
学生さんが、卒業しても神戸にだけでなく東京にもいつでも戻る場所がある、学生として利用できる場、社会人として貢献できる場、卒業生として語り継ぐ場、神戸大学の輪を広げる場にしていけたらと思います。
とはいえ、東京オフィスはまだまだ船出したばかり、今後とも応援よろしくお願いいたします!
次回は、発達科学部10年卒業、修士課程平成12年修了の吉田雄一さんにバトンタッチします。
以上(2011.08.27)
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第3走者 兼光 里江(H19経済学部卒業) |
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レッツ 若手メンバー強化
縁あって、私が神戸大学東京六甲クラブに足を運ぶようになったのは、就職・上京してまもない頃でした。「重厚な扉をよく開けて入ってきた!」と、諸先輩方にたいへん温かく迎えていただき、うれしかったことを覚えています。平成になって約20年経っていたにも関わらず「平成卒業」ということをとても喜んでくださり、そのプレミア感に驚きました。
神戸大学東京六甲クラブでは、たくさんのイベントが開催されておりますが、若年層が参加しやすい会といえば「若手の会」です。ここでは、平成卒業の先輩方とも多くお目にかかることができました。しかし、なかなか平成卒業の「若手」が増えない・・・。
今までは受け身で、このクラブのイベントに参加してきた私でした。でも、この“若手が増えない”ことがずっと気になっていました。
そんな時、クラブの名称が変わること、それに伴って設立された準備委員会メンバーへのお声掛けをいただきました。
月例のミーティングを重ねる中で、クラブに対する先輩方の熱い思いや、深い歴史、内装や備品の裏話まで、たくさんの貴重なお話を聞かせていただきました。クラブが永く続いていくためにも、偉大な先輩方の思いを受け継ぎ、微力ながらも東京六甲クラブ発展の一助を担えたらと思っております。
ちなみに、ここでは高校の大先輩にも出会うことができました。祖父と孫のような年齢差ですが、クラブがなければ出会うことのなかった縁です。ありがとうございます。
大(?)先輩の皆様には、いつもお世話になりっぱなしの私ですが(まだこれからもお世話になりますが)、一緒に少しずつ少しずつ、若手の会員を増やしていきたいと思っております!
東京にいる、たくさんの神大卒業生に出逢えることが楽しみです。
次回は、東京オフィスの六十谷知里さん(平成11年国際文化学部卒業)にお願いします。
以上(2011.06.30)
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第2走者 小村 由美子(H10国際文化学部卒業) |
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神戸大学との絆
このリレー随筆の前走者五十嵐順子さんは、神戸大学国際文化学部時代からずっと仲良くしている同級生で、縁あって、東京オフィスの行事でもたびたびご一緒している。私がこの東京オフィスの行事にたびたび参加するようになったきっかけが、五十嵐順子さんが講師をつとめた平成20年9月の若手の会であった。それ以来私は、神戸大学東京オフィスの行事にはよく参加している。行事に参加するようになったきっかけは若手の会への参加だが、それまでも東京オフィスの存在は大学の広報などで知っていた。今まで参加した行事を挙げると、新年互礼会、忘年会、オータムコンサート、木曜会、若手の会、ミドル会などわりと多い。他にも、学友会東京支部役員会に、五十嵐順子さんと共に国際文化学部卒業の代表として出席している。
この神戸大学東京六甲クラブの良いところは、やはり神戸大学全学の卒業生が利用することができるところだろう。国際文化学部では平成10年3月卒業の私が2期生なので、神戸大学全体の卒業生と交流できるこの東京六甲クラブの行事に参加することにより、私はより多くの先輩を得たことになる。国際文化学部が設立される前の卒業生の方の中には国際文化学部に興味を持たれる方も多く、学部について尋ねられることもよくある。「国際文化は、外国の文化を勉強するところなのか」とか「教養部のようなところなのか」など。学部についての話をしているうちに人の和もひろがる。よい学部である。
神戸大学では年に1度、大学全体の大きな同窓会、ホームカミングデイが開催される。午前に大学全体の企画が催され、午後に各学部の学部企画が催される。今年もつい先日10月30日に神戸大学で開催された。平成18年に第1回が開催され、今年が第5回であった。私は第1回から第5回まで皆勤している。日々忙しくしていてなかなか神戸大学に立ち返ることのできない卒業生などにとっては、このホームカミングデイは大学に立ち返ることのできる絶好の機会である。お世話になった先生や友人などとの再会を果たし、精一杯交流を楽しんでいただきたい。
神戸といえば、夜景の美しい街として全国的に有名である。神戸大学の構内には、神戸の街が一望できる絶景スポットがいくつもある。実は、大学構内いたるところ絶景スポットと言ってよいくらいである。大学が六甲の山の山腹にあるので、授業や課外活動などがおわり、夕方大学から最寄りの駅に行くために山を下るあいだ、実に見事な夜景を一望することになる。先日のホームカミングデイが終わった後も、最寄駅に着くまでの間、先生や友人たちと共に歩いて山を下りながら、実に見事な夜景を見ることができた。
今年度5月に東京六甲クラブがスタートするのにあたり、クラブ改革プロジェクトチームが発足し、クラブ発足に伴うそれぞれの分野の仕事をしている。私は改革プロジェクトチームの中の「会員増強の具体策」チームで勧誘チラシ作りなどにかかわっている。
次は、クラブ改革プロジェクトチーム「会員増強の具体策」チームの兼光里江さん(H19経)にお願いします。
以上(2010.11.30)
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第1走者 五十嵐 順子(H10国際文化学部卒業) |
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東京にある神戸の縁(えにし)
大学卒業を機に、就職で上京してきて10年余りが過ぎた頃、ひょんなことから神戸大学の同窓クラブが東京にあるということを知りました。場所を聞くと、銀座界隈の一等地、帝国劇場の地下。重厚な外観に少々気後れしながら扉を開けると、クラブの受付の方がにっこりと温かく迎えてくださったことが印象的でした。
それからは、仕事で近くまで来たときには立ち寄ったり、「若手の会」などのイベントに参加したり、会場を使わせて頂くことも。そのときには、皆さん、口々に「神戸大学はすごいね、東京にも同窓クラブがあるなんて」「とっても便利な場所だね」「食事もできるんだね」と感動されます。この恵まれた環境も、様々な先輩方のご尽力があって実現されたことだと知ったのは、クラブ運営の委員会でその長い歴史を知ってからでした。
私自身は、今でこそ、東京の生活には慣れたものの、上京してきたころは、職場にも関西出身の人がおらず、友達や知り合いもほとんどいなかったため、とても心細かった社会人一年目でした。仕事や生活の不安があっても、誰にも悩みを打ち明けられず、入社後たった3ヶ月で鬱状態になり休職。あの頃、このクラブの存在を知っていたら、きっとどんなに励まされたか。神戸大学を卒業して上京する在校生のみなさんには、ぜひ、クラブの存在を知ってほしいと思います。
関西弁で心ゆくまで話す、同じ母校をもつ先輩達と神戸という共通のテーマで楽しいひとときを過ごす。それに加えて、私自身がすごく嬉しかったのは、世代の異なる方々と交流できること。歴史をその目で見て、体験してこられた方の価値観に触れることができる。戦後の日本経済を支えてこられた方々の生き様を知ることができる。ものが溢れ、物質的には豊かになったけれど、人と人とのつながりが希薄になってしまった現在の成熟社会に生きる今の私達が忘れてしまったことを、思いださせてくれる。そんな温かみがこのクラブにはあるのです。
今年は阪神大震災が発生して丸15年が経った節目の年でもありました。当時、灘区で一人暮らしをしていた1年生の私ですが、安否を確認して助けに来てくれたのは、神戸大学の仲間でした。学生の一人暮らしゆえ、ご近所づきあいもなく、地元の情報も分からない。そんな中、大学つながりという縁がどれほど心強かったことか・・・
今は人と人とのつながりが希薄になってきた、無縁社会の到来だとも言われるようになりました。こんなに多くの人達が住まう大都会で、孤独な気持ちを抱えながら生きている人もいるかもしれません。東京になじめない人もいるかもしれません。かつての私のように。そんな今だからこそ、コミュニティが大切だと言われています。
このクラブを長きにわたって維持してくださった先輩方に心から感謝します。私には、神戸大学OGであるというおかげで、このクラブがあるのですから。願わくば、私がおばあさんになったときにも、ふらっと立ち寄って若き日の仲間と話ができるようなクラブであってほしい。後に続く世代の方との交流から、新しい価値観にも触れてみたい。そんなことを思いつつ、「今日はどんな出逢いがあるかな?」と楽しみに、またクラブへ足を運ぶのです。
次回は、鳥取在住にも関わらず、クラブのイベントにもよく参加してくれる同窓生の小村由美子さん(H10国)にお願いします。
以上(2010.09.27)
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