談話室(2011年)

 

 2011.12.01 竹本 鉄三 「月光とピエロ」について


清水脩の不朽の名曲「月光とピエロ」を演奏するにあたって、私なりに解説を試みました。

1.「月光とピエロ」の魅力

男声合唱組曲「月光とピエロ」は、清水脩がみずから組織した「東京男声合唱団」のために、1949年に作曲。男声合唱の特徴をよく生かし、美しい日本語による洗練されたロマンティシズムが共感を呼んで、60年を経た今日でも各地の大学をはじめとする男声合唱団の屈指のレパートリーとして歌い継がれている。

詩は堀口大学(1892〜1981)がリオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)滞在中に出版した同名の詩集「月光とピエロ」の11の章のうち、第一の章が「月光とピエロ」と題されて、@「月光」・B「ピエロ」・A「秋のピエロ」・D「月光とピエロとピエレットの唐草模様」の4曲を、この順で収めている。残りの1曲C「ピエロの嘆き」は、詩集「EX−VOTO(ささげ物)」に収められている。

−曲目解説−
(1) 月夜
月夜に一人寂しくたたずむピエロ。いつも滑稽な仕事で人々の笑いを誘うピエロが、ひとりぽっちになって、ひしひしと感じる孤独感。待てども待てどもコロンビーヌは現れない。信じられないという憤りから悲しみへ・・・。ピエロは思わず涙する。

(2) 秋のピエロ
生業としてピエロを強いられる悲しさと憤り。生活のためとはわかっていながら、常にやりきれない気持ちに苛まれる。心からの涙。

(3) ピエロ
おしろいで真っ白な顔は、月の光に照らされ明るく見える。しかし、なんとつらく、悲しげな顔をしていることだろうか。

(4) ピエロの嘆き
ピエロの深い嘆きをいったい誰が知ってくれるというのだろう。

(5) 月光とピエロとピエレットの唐草模様
月の光の下で歌い踊る、ピエロ(道化師)とピエレット(女道化師)。日々の生活の悲しさやつらさ、やりきれなさを胸の中に押し込んでしまい、そんな自分に居直る形で、彼は踊り続けるのだろうか。

(ワグネルソサエティ第123回定期演奏会解説ほかを参照)

2.「月光とピエロ」を歌う

 月の光を浴びながら、ひと一人いない寂しい街の辻に佇むピエロ。これはサーカス小屋から逃れ出た街角の情景のようであり、これがそのままサーカスの舞台の上の姿のようでもある。現実の世界と演技の世界が混然一体となってピエロの心象風景が描かれる。

用心深く心の奥底に隠していた思い・悲しみが、思わず一粒の涙となって真っ白なピエロの顔の大きな目からあふれ出す。月の光の優しさと残酷さ、いつも悲しみを押し隠して無理やり笑い顔を作り、人々の笑いを誘うピエロの嘆きと深い孤独感を表現したいものです。

第1曲 「月夜」
第1曲は、この合唱組曲全体のイメージが凝縮されているといっても過言ではない。和声が長調であるのに、Andannte doloroso(緩やかに、悲しげに)との指定がある通り、何やら悲しげな旋律が、ピエロの性(さが)を表現している。この悲しげな旋律に影響されて、ややもすると声の質が暗く重くなり、音も下がり勝ちになる。ここは逆に明るく優しい声色により、「心の中に悲しさを押し込めて、表面的には明るく」振る舞うピエロの心象風景を歌い出したい。

出だしは p で優しく冷たい月の光のイメージ。
5小節目 ピエロ・・・・・・ ピエロ登場。街角に佇むピエロに雲間から現れた月の光がさあ
っと当たるイメージと、舞台の上のピエロにスポットライトがあて
られるイメージが重なる。ピエロの白い衣装姿がくっきりと浮かび
上がるように、澄みきった f で出て、 dim. を効かせて。
ここは「つかみ」。聴衆に「ウンッ?何だこれは?」と思わせ、
「月ピエ」の世界に引き込みたい。
7小節目 ピーエロさびしく・・  pp 。ピーンと張りつめた澄んだ音で。
11小節目 ピエロのすがた・・ dolce(柔らかに、優しく)で。ピエロを優しく包み込むような気
持で。cresc. で気持ちを盛り上げて「しろければ」につなげる。
22小節目 コロンビーヌの・・ 恋しいコロンビーヌの姿を探す。右?左?キョロキョロと見ま
わす感じを、各パート毎の「コロンビーヌの」で表したい。
29小節目 あまりにことの・・ 情感を込めて、抑制的に、しかし澄んだ声色で。
35小節目 ピエロはなみだ・・ 万感の思いを込めて歌い上げる (田中信昭先生いわく、
「皆さんは舞台で演奏するんですよ。「演奏」とは「演じて奏でる」
と書きます。演じてください」)

第2曲 「秋のピエロ」
最もポピュラーな合唱曲のひとつである「秋のピエロ」。この曲に少々食傷気味の聴衆に「ウンッ?これは違うぞ」と聞き耳を立てて貰えるような、年輪を感じさせる大人の演奏をしたい。何で聞かせるか?やはり我々の長い人生経験で培われた「音の深さ」だと思います。私たちが長年経験してきた「泣き笑い」の世界。憤りをぐっと腹に収め笑顔で応対してきた、あの頃の自分の姿を「わがピエロ」に投影して「大人の秋ピエ」を歌いあげましょう。

第1曲の澄んだ声色と打って変わって、深い声色で「泣き笑い」の世界を表現したい。
1小節目 泣き笑いして・・ 符点8分と16分音符のリズムは、弾まないようテヌート気味に
「泣き笑い」して。3連符は遅くならないように。
4小節目 我がピエロ・・  p からcresc. して次の「あきじゃ」につなぐ。T1はノンブレスで。
これは15〜16小節目も同じ。T2、B1、B2の「あきじゃあきじ
ゃ」は弾まないように。「あきじゃ」の「あ」は喉ではなく腹から出
す。
11小節目 Oのかたちの・・ 全員で「O」のかたちの口を作る。「ロウロウロウ」を思い出し 
て。
18小節目 うとうなり・・・  mp からcresc. で f に。そのまま f で3拍伸ばして。
20小節目 つきのようなる・・ Molto piu lento e legato(もっと極端に遅く、レガートで)との指
示に従い、ゆっくりとしたテンポで。「レガート」はこの部分だけで
はなく、最初から最後までレガートで。
この2小節は長調になっている。第1曲と同様、ピーンと張りつめ
た澄んだ音で、月の光の清澄さを表現して。
22小節目 顔がなみだを・・ 前の小節からノンブレスで入る。短調に転調、 pp でグッと抑
制して感傷的な雰囲気が醸し出される。ここもピーンとした緊張
感が要求される。一番の聴かせどころ。
24小節目 みすぎよすぎの・・ 気持ちの高揚感を cresc. で表現し、 ff の「おどけたれども」
に。ここもノンブレスで。25小節3拍目のB1「おー」吼えないで。
腹の底から出る深い声色で。他パートはそれを受けて1拍遅れ
で、やはり深い声色で腹から出して。
29小節目 秋はしみじみ・・ p で入る。徐々に cresc. し、32小節3、4拍目でグーッと強
め、ノンブレスで ff の「しんじつ」に入ってゆく。最高潮の気持ち
の高ぶり。
34小節目 ながすなり・・・・ キュッと音をひそめて p で。気持ちを抑えて。
B2の「ながすなり」はしっかり抑えて、深い声で。
38小節目 ながすなり・・・・ 舞台の上のつくり涙ではなく、悲しい気持ちを抑えきれずに思
わず流れ出る「真実の涙」。深い悲しみを mf ⇒ f ⇒ dim. ⇒ p 
で表現。最後の聴かせどころ。

3.作詞者・作曲者について

作詞者堀口大學は明治25年に東京で生まれたが、生後まもなく新潟県に移り、長岡中学を卒業するまでこの地に住んだ。旧制第一高等学校を2回受験したが失敗、慶應義塾に入学した。このころ、大學は佐藤春夫と親しくつきあい、又与謝野鉄幹・晶子のグループに加わって万葉集、和泉式部、源氏物語などを読んだが、特に恋愛中心的な王朝文学の影響を大きく受けたといわれる。その後外交官であった父に伴われて欧米に約9年間生活し、フランス語を習得し、フランス象徴詩の影響も受けた。南弘明作曲の男声合唱曲集『月下の一群』は、恋の喜びやはかなさをうたったフランス語の大學による訳詞である。

一見当時の良俗に反抗し、背徳的な詩作を発表した大學であったが、フランス近代詩の翻訳と紹介を通じて、昭和詩の発展に大きな啓発を与えた彼の功績は見逃せないといわれる。堀口詩の独自性は、日本近代の個性主義的深刻好みからも陰湿な感傷主義からも自由で、いかにも軽やかな小唄ぶりを身の上としたところである。ウィットにみちたスタイルのくだけたしかしさっぱりとした口語調。三好達治は「エロチシズムとウィチシズムは、堀口さんの詩に於いて、この仕立屋が巧みに探る、切れ味のいい鋏みの二つの刃であらう。」といったが、このエロチシズムもまた、近代詩のなかで大學の独壇場だったといってよい。

しかし、なににもましての独自性は、古代歌謡以来近世まで広く用いられてきた日本語の特徴的修辞であるにもかかわらず、近代日本の抒情詩からは締め出された語呂合わせ、掛詞、洒落、あるいは頭韻・畳韻・頬音反復を、おのれの詩法として終始実行したことである。その後あらゆる詩人のなかで見られるようになるわけだが、数十年前から先取りしている。

後年の大學の詩には、自らの人生を見つめてつぶやくような作品が見受けられるようになった。

清水脩の合唱作品は400を越えるが、そのうちの約半分が男声合唱曲である。清水作品の素晴らしさについては、福永陽一郎氏の言葉をここに引用する。

<男声合唱のスペシャリスト・多田武彦を除くと、清水脩ほど男声合唱のよい響きを自由に使いこなした作曲家は、日本ではほかにいない。清水脩の作品なしで、日本の男声合唱の世界を想定することは不可能であるといってよい。男声合唱の唱法のすべては彼の手の内におさまっており、それは必要に応じて実に適切に使用され、効力を発揮している。それは、比較的初期の作品である男声合唱組曲『月光とピエロ』のときから確立していた作曲家・清水脩の群を抜いた特性である>

ヤマハや山野楽器の楽譜コーナーに行くと、楽譜には混声合唱組曲とか女声合唱曲集など、この漢字6字は当たり前のように書かれているが、この「合唱組曲」という形式は、清水脩氏が『月光とピエロ』で世界で初めて使った手法である。「合唱組曲」というのは、いくつかの小品を組み合わせてひとつの組曲となっているものであり、1ステージで1組曲を演奏するという今日では一般的な形である。そして、この形式が今日でも多く利用されている。日本のさまざまな合唱団で歌われる『月光とピエロ』。名曲であるばかりか、『月光とピエロ』はまさに日本の合唱曲の原点である。

男声合唱組曲『月光とピエロ』は堀口大學の詞に曲をつけたものであるが4曲目の「ピエロの嘆き」は詩集「EX−VOTO(ささげ物)」の7編のうちの1つであり、他の4曲は処女詩集「月光とピエロ」の6編の中の4編であり順序も異なる。つまり、この組曲の構成は清水脩のオリジナルのものである。

“ピエロ”とは、本来イタリア古典演劇に登場する、いわゆる“下男”のことであり、尻軽女のコロンビィヌに恋するがいつも振られ役を演じる。心の中は悲しみに咽びつつも、道化をしなくてはならないピエロ。この心境は誰にも経験のあることだろう。そして、それ故、ピエロの「身のつらさ」は我々自身にもあまりに痛切に感じられる。

そして、これらの詩はそのような舞台上のピエロに託して、恋や孤独の悲しみ、あるいはそれでもなお人生という舞台で生き続けている喜びを表しているのではないだろうか。

(ワグネルソサエティ第123回定期演奏会解説より抜粋)

4.ピエロと道化師たち

「ピエロ」は皆さんよくご存じの、サーカスにでてくる道化役だが、原型はルネサンス期のイタリアの即興喜劇コメディア・デラルテの、のろまでずうずうしい居候の道化役ペドロリーノ。17世紀後半にパリのイタリア人劇団によってフランス化され、白いだぶだぶの衣装を着て顔を白塗りにし、男子名ピエールの愛称を名のってボードビルやバレエで活躍した。19世紀にはパントマイムの名優ドビュローがこの役柄をさらに洗練して、まぬけだが繊細なロマンチストで恋に悩み哀愁に満ちたピエロ像を完成する。またサーカスでは、より活動的な役柄であるプルチネッラやアルレッキーノの要素が加えられ、イギリスのクラウンとも混ざり合って、ひだ付きの襟飾りと目や口の周りの赤い化粧が強調された道化となる。そのいずれもが多くの作家や画家の題材にもなり、典型として定着し、その伝統はジャン・ルイ・バローやマルセル・マルソーによって現代に伝えられている。

道化師とは、サーカスなどに派手な衣装と化粧をして登場し、滑稽な行動、言動などをして、他人を楽しませる者のこと。日本では、ピエロはイコール道化師と思われているが、道化師にはピエロのほかにもクラウンやジョーカーなどがいる。

道化師の歴史は古代エジプトまで遡ることができる。中世のヨーロッパなどでは、特権階級にある人物が城内に道化としての従者を雇っていたことが確認されており、「宮廷道化師」と呼ばれている。宮廷道化師達の肖像は犬と一緒に描かれることが多く、彼らが犬と同様に王の持ち物とされていたことを裏付けている。シェイクスピアの戯曲などにもしばしば登場し、重要な役を担う。日本では明治時代に初めて曲芸を行った。

ジョーカー
トランプでよく登場するジョーカーはジャック、クィーン、キングが宮廷の王族を意味する絵柄から関連して宮廷道化師が描かれることが多い。

クラウン
現在では、曲芸と曲芸の間の「間(ま)」を埋めて観客の曲芸への余韻を冷めさせない役目として作られた、曲芸もでき司会(日本的な視点では客いじりも行う)もするおどけ役の役者である。18世紀頃イギリスのサーカス(サーカスの前身である円形の劇場での曲馬ショー)の中で「おどけ役」を演じていた役者が自らのことを「クラウン」と名乗ったのがクラウンの始まりだとされている。クラウンの意味にはのろま、ばか、おどけ者、おどける,ふざける、田舎ものなどの意味を含む。18世紀当時は曲馬ショーと曲馬ショーとの間に曲馬乗りを下手に演じたり、パロディをしたりいていた。

ピエロ
クラウンの一種であるが、その中でも通常のクラウンよりもさらに馬鹿にされる芸風(日本的な視点ではツッコミが無いボケ役)を行う。クラウンとピエロの細かい違いはメイクに涙マークが付くとピエロになる。涙のマークは馬鹿にされながら観客を笑わせているがそこには悲しみを持つという意味を表現したものであるとされる。またピエロはフランスの喜劇芝居の中に登場する事が多い。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか)

6.月とピエロとコロンビーヌの物語

アンデルセンの「絵のない絵本」は、月が空の上から見たいろいろなでき事を、絵本作家に毎晩物語るという形の童話です。そのなかに、ピエロとコロンビーヌの物語があります。前回の「ピエロあるいは夜の秘密」には「月」が登場しませんが、この物語には月も登場し、こちらのほうが「月光とピエロ」の雰囲気を醸し出しているかもしれません。この物語では、「ピエロ」は「プルチネッラ」、「コロンビーヌ」は「コロンビーナ」、「アルルカン」は「アルレッキーノ」という名で登場します。

「わたしは一人のプルチネッラを知っています」と月が言いました。「見物人はこの男の姿を見ると、大声にはやし立てます。この男の動作は一つ一つがこっけいで、小屋中をわあわあと笑わせるのです。けれどもそれは、わざと笑わせようとしているわけではなく、この男の生れつきによるのです。この男は、他の男の子たちといっしょに駆けまわっていた小さいころから、もうプルチネッラでした。自然がこの男をそういうふうに造っていたのです。つまり背中に一つと胸に一つ、こぶをしょわされていたのです。ところが内面的なもの、精神的なものとなると、実に豊かな天分を与えられていました。だれひとり、この男のように深い感情と精神のしなやかな弾力性を持っている者はありませんでした。

劇場がこの男の理想の世界でした。もしもすらりとした美しい姿をしていたなら、この男はどのような舞台に立っても一流の悲劇役者になっていたことでしょう。英雄的なもの、偉大なものが、この男の魂にはみちみちていたのでした。でもそれにもかかわらず、プルチネッラにならなければならなかったのです。苦痛や憂鬱さえもがこの男の深刻な顔にこっけいな生真面目さを加えて、お気に入りの役者に手をたたく大勢の見物人の笑いを引き起こすのです。

美しいコロンビーナはこの男に対して優しく親切でした。でもアルレッキーノと結婚したいと思っていました。もしもこの『美女と野獣』とが結婚したとすれば、実際、あまりにもこっけいなことになったでしょう。プルチネッラがすっかり不機嫌になっているときでも、コロンビーナだけはこの男をほほえませることのできる、いや大笑いをさせることのできる、ただひとりの人でした。最初のうちはコロンビーナもこの男と一緒に憂鬱になっていましたが、やがていくらか落ちつき、最後には冗談ばかりを言いました。

『あたし、あんたに何が欠けているか知ってるわ』と、コロンビーナは言いました。『それは恋愛なのよ』
それを聞くと、プルチネッラは笑いださずにはいられませんでした。 
『ぼくと恋愛だって!』と、この男は叫びました。『そいつはさぞかし愉快だろうな!見物人は夢中になって騒ぎ立てるだろうよ!』
『そうよ、恋愛よ!』と、コロンビーナはつづけて言いました。そしてふざけた情熱をこめて、つけ加えました。『あんたが恋しているのは、この私よ!』

そうです。恋愛と関係のないことがわかっているときには、こんなことが言えるものなのです。すると、プルチネッラは笑いころげて飛び上りました。こうして憂鬱もふっとんでしまいました。けれども、コロンビーナは真実のことを言ったのです。プルチネッラはコロンビーナを愛していました。しかも、芸術における崇高なもの、偉大なものを愛するのと同じように、コロンビーナを高く愛していたのです。コロンビーナの婚礼の日には、プルチネッラは一番楽しそうな人物でした。 
しかし夜になると、プルチネッラは泣きました。もしも見物人がそのゆがんだ顔を見たならば、手をたたいて喜んだことでしょう。

ついこのあいだ、コロンビーナが死にました。葬式の日には、アルレッキーノは舞台に出なくてもいいことになりました。この男は悲しみに打ち沈んだやもめ男なんですから。そこで監督は、美しいコロンビーナと陽気なアルレッキーノが出なくても見物人を失望させないように、何かほんとうに愉快なものを上演しなければなりませんでした。そのため、プルチネッラは心に絶望を感じながらも、踊ったり跳ねたりしました。そして拍手喝采を受けました。
『すばらしいぞ!じつにすばらしい!』
プルチネッラはふたたび呼び出されました。ああ、プルチネッラは、ほんとうに測り知れない価値のある男でした!

ゆうべ芝居が終わってから、この小さな化け物はただひとり町を出て、さびしい墓地のほうへさまよって行きました。コロンビーナの墓の上の花輪は、もうすっかりしおれていました。プルチネッラはそこに腰をおろしました。そのありさまは絵になるものでした。手はあごの下にあて、眼はわたし(お月さま)のほうに向けていました。まるで一つの記念像のようでした。墓の上のプルチネッラ、それはまことに珍しい滑稽なものです。もしも見物人がこのお気に入り役者を見たならば、きっとさわぎたてたことでしょう。『すばらしいぞプルチネッラ、すばらしいぞ、じつにすばらしい!』

アンデルセン「絵のない絵本」より

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 2011.10.15 静川 靖敏 男声合唱組曲「富士山」を仕上げるにあたって


男声合唱組曲「富士山」は1956(昭和31)年に多田武彦(当時26歳)が草野心平の詩集「富士山」から5つの詩を選んで作曲したものですが、この曲は銀行マンの傍ら「日曜作曲家」としてスタートした多田が、1954年の男声合唱組曲「柳河風俗詩」に続いて作曲した第2作で、前作「柳河風俗詩」が師の清水脩に「概ね良く出来ているが、歌い手の声域を気にし過ぎている。男声合唱曲はもっとスケールの大きいダイナミックなものにしなければいけない」と評されたので「富士山」では「声域を気にしすぎずに力強くスケールの大きい曲」に仕上げました。そのせいもあって、高音部の展開や器楽的な音の動きで皆さんにはご負担を強いることになりますが、ご辛抱をお願いします。俗に「多田節」とか「タダタケ節」と言われる日本的叙情溢れるメロディーと和声の特色を大いに楽しんで頂きたいと思います。

ご承知のように多田武彦作品は「詩」の選択眼の優秀さに定評があり、選び出した詩に逆らわず寄り添うようにその「詩」がもつ韻律を引き出して、豊かな叙情性を持った優美な旋律と男声合唱特有の機能を最高度に生かした独特の世界を形づくっています。この「富士山」も草野心平の代表作であり、一通り音取りを終えて仕上げに入る前に、今一度巻末に収録された詩をじっくり鑑賞して下さい。そして色とりどりの色彩と情景を頭に思い描いて下さい。優れた詩を歌うだけに、一層「言葉の美しさ−日本語の発音」を大切にすることを心がけたいと思います。

次回から各曲ごとに発信しますが、各曲の小節番号を示して記載することが多くなると思います。この曲に取組む最初の時点で小節番号の確認を済ませていますが、未だ楽譜に小節番号を記入しておられない方は次回発信までに記入をお忘れなく。

以上(第1号)

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