神戸大学師範学校・教育学部・発達科学部・国際人間科学部同窓会
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会誌紹介
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 会誌について

本会の会誌は、昭和40年7月15日に、神戸大学教育学部同窓会会誌「会誌」第1号として
初めて発行されている。(鈴木正二郎会長・楠道隆学部長時代)
第2号が発行されたのは、第1号発行以来5年目の昭和45年11月1日のことであった。
(小山・時雄会長・高木太郎学部長時代)
以後、昭和47年7月15日に第3号(小山会長・高橋省己学部長時代)、昭和50年2月20日に
第4号(田中啓三会長・津留宏学部長時代)、昭和54年9月20日第5号(内山弘会長・杉山明男
学部長時代)昭和57年1月31日に第6号(内山会長・中西哲学部長時代)、
昭和59年9月15日に第7号(内山会長・富本学部長時代)と、とぴとぴに発行され、
昭和63年3月20日第8号(難波昭会長・斎藤学部長時代)からは、毎年の発行となり、現在までに第21号までが発行されている。つい最近、第22号が「教育学部創設50年記念特集号」の体裁をもって発行されたぱかりである。
その間、平成3年1月発行の第10号(この年には10月にも発行)から、会誌の名称を「教友会」に改称し、さらに、平成4年12月発行の第12号からは、「紫陽会」に改称して現在に至っている。
また、この間に、学部長も平原春好・松島健・奥山晃弘・土屋基規・野上智行各教授と次々
と変わられ、現在は卒業生の小石寛弘教授に引き継がれ、前野上学部長は神戸大学学長に就任されている。
会誌は、将来バックナンバーとして、主要部分の収録をする準備をしているのでご期待いただきたい。まず、創刊号の第1面を掲載する。



 発刊の言葉

同窓会長 鈴木正二郎

神戸大学教育学部同窓会会員の皆様には、それぞれの地、それぞれの勤務先において、日夜ご精励のことと、お喜ぴ申しあげます。本同窓会も、発足以来12年を経ました。
その間、歴代会長をはじめ、役員の方々のご努力にもかかわらず、大きな組織を、十分掌握しきれないまま、現在に至っております。
同窓会員名簿の発行もしぱらく途絶え、総会の開催も困難なほど、同窓会活動が停滞してしまったことを、まことに遺憾に存じます。
しかし、去る5月9日(日)塩尻公明先生ご退官記念の講演会と合わせて、40年度総会が開かれ、ひきつづき、本会誌創刊の運びとなったことをうれしく存じます。
今まで、会員の皆様との連絡が十分でなく、神戸大学教育学部同窓会員としての意識を十分お持ち願えない方も、おおかったのではないかと考えております。
本会誌は、最低年1回の発行を目標にしておりますので、会員の皆様のご意見を、会誌に発表していただくことをお願いすると同時に、本会誌を通じて、同窓会の動きや、大学の近況などを知っていただきたいと存じます。
本会誌発刊につづいて、同窓会員名簿の作製・組織づくりなど、少しずつ活動を再開することになりましたので、ここで今後の方針をお知らせし、併せて会員の皆様のご協力をお願い致します。
〈同窓会員名簿〉
しぱらく発行が途絶えており、その上、会員の皆様と十分な連絡がとれていむいため、不備な名簿になることが予想されますが、まず、40年度に発行し、逐次修正を加えていきたいと考えております。
〈組織面〉
○中高コースでは、各科ごとの同窓会組織の確立。
○初等コースでは、各回ごとに横の連絡を密にすること。
○各地区において、支部組織を確立すること。
の3つに重点をおき、それぞれの組織の代表と、本部の連絡を密にすることにより、膨大になった教育学部同窓会の組織がためを行いたいと考えております。
微々たる動きですが、少しずつ活動を再開しようとしている現在です。本同窓会が、着実に発展して参りますよう会員の皆様のご協力を念願する次第でございます。




 あいさつ

同窓会名誉会長 楠 道隆

この2月、図らずも学部長に就任することとなった。
がらにもなく、自信もないが、選挙でこう決まった以上、引き受けざるを得ない。
だが、引き受けてみると、教育学部が当面している問題が、どれほど多いか、どれほどその解決がむずかしいかがわかって、現在手こずっているしだいである。
第一に、学舎統合問題がある。神戸大学は六甲台の土地に学舎統合を計画して、すでに工学部・文学部・理学部・教養部(御影分校と姫路分校との統合によるもの)が集結し、これに従来あった3学部と本部をあわせ、さらに来年度は県立農科大学の合併による農学部が建つことになっており、残るは教育学部と医学部だけとなった。
医学部が附属病院の関係で別の位置にあることの理由はなっとくできても、教育学部が離れていてよい理由はないのである。いな教育学部こそ教育内容の多様性から、どうしても総合学舎の中になけれぱならないのである。
現在教育学部は、教授会・教職員組合・学生自治会をあげて、学舎移転に努力している。むろん、わたしらとしても、赤塚山の土地と学舎には、なみなみならぬ愛着を感じている。
特に卒業生諸氏には一層それが強いはずである。だが総合大学の真の機能を発揮するためには、どうしても移転しなければならないのである。
次が、教育学部の体質改善の問題である。大学発足当時、旧制兵庫師範学校と青年師範学校のもっていたぼう大な教職員の定員と土地建物をあげて神戸大学に提供し、そのうちのほんの一部で教育学部を組織した。
そのことは、神戸大学の発足のために必要であったからであるが、同時に、教育学部はその貧弱さに、今日までひどい苦労をしなけれぱならなかったのである。
神戸大学の他の学部の充実がほぼなった今日としては、教育学部の充実が当面の問題となっているのである。真の総合大学とは、各学部がそれぞれ大学院をもつ大学であると言われている。
神戸大学が総合大学になれる日は一に教育学部に大学院が置かれる日であるのである。教官と学生の質的向上がそれぞれ好む好まざるにかかわらず現在の教育学部に強く要請されているのである。
六甲台の周辺に土地をさがすこと、教官の定員をふやすこと・現在いる教官のわたしたちがそれぞれもっと良い研究業績をあげること、学生たちがもっと研究に努力すること、どのひとつも実はたいへん困難なことである。
だが教育学部の発展のためにはどうしてもしなけれぱならないのである。
ひとえに卒業生諸氏のご後援をねがうしだいである。

(昭和40年5月)


 
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