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コラムの部屋 ・ 9月掲載分
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9月26日掲載
「神戸大学未来新聞」によると、22世紀には本学理・工学部がドラえもんとそのひみつ道具を世に送り出すことになっている。実現するかどうかは後輩諸君の頑張り次第になるが、もし本当にドラえもんが現れれば、22世紀の神戸大学では夢のような生活が送れるに違いない。そこで、年甲斐もなく「ドラえもんと過ごす神戸大学」を想像してみた。
午前8時50分。もはやタケコプター通学は神大生の常識だ。しかし、上空には赤色灯付きのタケコプターをつけた警官たちが腕をこまねいて待っている。タケコプターの巡航制限速度は原付と同じ30キロ。彼らは神大生を捕まえることでノルマを達成しているという。何だこれは、2002年と何一つ変わっていないではないか。
午後1時30分。経営学部は会計学基礎論の試験だ。今の学生にはコンピューターペンシルという道具があり、おかげでみんな100点が取れる。ところが教官は答え合わせなどせず、自らの機嫌に任せて「不可」を連発。何だこれは、2002年と何一つ変わっていないではないか。
午後5時過ぎ。さあ、学問以外のことを学ぶ時間だ。タイムマシンで恐竜に会いに行ったり、どこでもドアで魔境に行ったり、テキオー灯を当てて海底に潜ったり…。22世紀の技術は神大生に大いなる可能性を与えた…はずだが、ほとんどの学生はさっさと家に帰り、「自分の時間」と称してぼんやりとテレビを見るばかり。何だこれは、2002年と何一つ変わっていないではないか。
こんな22世紀に危機感を覚えたドラえもんが、今の神戸大を助けに来てくれる…ことを期待するようでは、我々は永遠にのび太くんのままなんだろうな。【ホット】
9月19日掲載
「日本人は働き過ぎだ」とはよく言われることだ。確かに、日本人はよく働いている。毎朝9時に出勤し、勤務終了時間を過ぎてもサービス残業をし、そして夜遅くに帰宅する。最近の不況下では、こういったサービス残業も当たり前のようになっているが、ほとんどのサラリーマンは、毎日のようにこのような生活を送っているのではないだろうか。
日本人の仕事は会社だけにとどまらない。私の父を例に挙げると、会社で終わらなかった仕事を自宅に持ち帰ってしていることもあれば、休日返上で出勤したり、日曜日に家で仕事をしているところもよく見かける。他にも、通勤途中や帰宅途中の電車内で、ノートパソコンを開いて仕事をしたり、携帯電話で仕事の打ち合わせをしている人もいる。こうした時間も労働時間に含めて考えた場合、1週間の総労働時間は、労働基準法で定められた法定労働時間である40時間を明らかに超えるだろう。
それに対して、ヨーロッパ人は仕事と休暇をしっかりと分けて考え、家庭に仕事を持ち込むようなことはしない。そのような外国人と比べたとき、日本人が「働き過ぎ」と言われるのも仕方がないであろう。いくら不況のただ中にあるとはいえ、いつ何時も仕事に追われるのではなく、もう少し余裕を持って仕事をした方がいいのかもしれない。
このようなことを考えながら、バイトに行く往復の電車の中でノートパソコンを広げ、このコラムを書き上げたわけである。そうして改めて私の行動を振り返ってみて思ったのだが、やはり私も日本人であったようだ。【そら】
9月12日掲載
高校生になる弟が、学校の書道の時間に作ったうちわを家に持って帰ってきていた。薄く茶色がかった和紙に墨で自作の短歌が書かれていた。彼のヘタクソな字も、筆と墨の力を借りれば、そこそこ名の通った文筆家が書いたかのごとく立派に見える。いや、筆と墨のおかげだけではない。うちわに書かれた短歌がなかなか良かったのだ。そこで、弟に何の断りもなくその短歌をここに掲載することにする。
「夏盛り一際目立つあの花を誰に例えんそっと見守る」
この歌が、好きな女の子のことを思って詠まれたのは明らかである。
私は最近読んだ俵万智の本の中の、ある一首を思い出した。
かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど 石川啄木
この本は俵万智が毎週一首ずつ恋の歌をとりあげて、その解釈と鑑賞を新聞に連載したのを一冊にまとめたものである。掲出歌は啄木の歌集「一握の砂」からの一首である。思いを寄せる女性に、一度は言おうと思い、そしてかなわなかった「大切の言葉」。結句の「のこれど」という言いさしの表現が効いていると彼女は述べていた。あきらめにも似た気分だが「のこれど」と言い切れるほど作者の気持ちは完結して割り切れてはいない。
弟もこのような思いなのだろうか? 「告白すれば?」と言った。すると、とっくに告白し、とっくに断られたそうである。なるほど、言えないから「見守る」のではなく、振られたからしょうがなく「見守る」しかないのか、と納得した。少しかっこ悪いが、しかしそれもまたいいと思った。【はなび】
9月5日掲載
今年の夏も暑かった。外は暑いから、クーラーのきいた涼しい場所で一日中過ごしていた人も多いだろう。
日本には昔から独特の涼み方がある。家のまわりに打ち水をする。こうすることで水をまいたあたりの気温は1℃から2℃下がるそうである。風鈴の音を聞いて涼を楽しむ。あの鉄とガラスが奏でる高い音色はなんとも風流なものである。また、浴衣や下駄など身に付けるものや、流しそうめんやかき氷、水ようかんなど食べ物でも涼しさを得ることができる。クーラーや扇風機がなかった時代の人たちはいろいろと工夫をこらして暑さをしのいだのである。
しかし、昔ながらの涼み方も今では、特に都市部においてはあまり見られなくなったようである。夕方、縁先に座って風鈴の音を聞きながら、涼しい風にあたって夕涼みをするといった光景は、もはやなくなってしまったのであろうか。視覚によって涼を楽しんだ花火は、今や花火大会などというただの祭りになってしまっている。浴衣も涼しさを得るのではなく、近ごろはどちらかというとファッションを楽しむものになりつつある。暑さをしのいで涼を得ようとした昔の人たちのアイデアも、現代においてはあまり意識されることもなくなり、別の意味を持つものに変わりつつある。
最近では温室効果ガスによる地球の温暖化や都市部におけるヒートアイランド現象や熱帯化など、あの暑さをさらに暑くさせるような地球環境の異変が次々に報告されている。こういうときこそ、日本の伝統的な涼み方をもう一度見直してみるのもいいのではないだろうか。【さすらい】
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