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コラムの部屋 ・ 11月掲載分
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11月28日掲載
私がまだ幼かったころ、大みそかといえば年越しそばをすすりながら、「紅白歌合戦」
と「行く年来る年」を見て過ごすもの、と相場が決まっていた。家族全員で紅白歌合戦を見て楽しむ図は、おそらくどこの家庭でも見られた、年末のひとつの風物詩だったろう。
今年も、紅白歌合戦の出場歌手が発表された。和田アキ子や森進一などおなじみの歌手も多いが、23歳の私にも、耳慣れぬ名前が目立つ。鈴木慶江、夏川りみ、ジ ョン 健ヌッツォ、RAG FAIRなどだ。これらの歌手がどれほどのファンを持ち、CDを売り上げているのか知らないが、どういういきさつで紅白歌合戦に出場することになった のか。紅白歌合戦に出場できるかできないか、その基準は何だろう。かつては、その年のレコードの売り上げと、国民的人気の両方を兼ねることがひとつの基準であったのだが。
出場歌手が年輩に好まれる層と若者に好まれる層に分化している、という批判は前々からあった。しかし今年の出場歌手を見てもう一つ気になることは、表舞台に出
ては消えていく歌手の短命傾向だ。ここ数年の「若者層歌手」で、今でも音楽業界を席けんしている歌手がどれほどいるか。
今の音楽業界は不振だ。100万枚の大ヒット連発は夢物語となり、後世に残る名曲はなく、昔の傑作のカバーを売って食いつないでいる。目先の利益だけを求めるレコー ド会社で、実力派の歌手は育たず、加えて、世代間の分化。「国民的歌手」という言葉も、いずれ死語になるだろう。
かつて視聴率80%をほこった番組が落ちぶれていくサマを見るのは愉快だが、30年後、中年になった私は風呂でどんな鼻歌を歌うのだろう。【ナオ】
11月21日掲載
ワーカホリック。アルコホリックとワークの合成語である。アル中の人間が飲まずにはいられないから飲むのと同様に、仕事中毒の人間も働かずにはいられない。働きたいから働くのではない。自分の空虚感とか、家庭のごたごた、何か忘れたいこと、見つめたくないことがあるから働く。だから、それを忘れるために土曜も日曜も働きつづけずにはいられないのである。私は現在、どっぷりとワーカホリックにかかっている。
毎朝、仕事のためにラッシュの中、電車に乗る。電車の中の高校生、出勤途中の会社員。私はそこに、私と同じけだるさや無気力のにおいをかぎとる。彼らの疲れた表情、もちろんあの心地よい疲れではない。自分のエネルギーを持て余してどこに振り向けばいいのかわからない。見えない何かに自分を抑え込まれたまま、ただいたずらに時間がすぎていく。終わらない日常、諦め、透明な閉息感。そういう蓄積された慢性的な疲労感、倦怠感が充満する車内。
私はどうだ? 何か特別な悩みがあるわけでもなければ、すぐに解決しなければならない問題があるわけでもない。しかし、ただ落ちこぼれないための勉強、レールから外れないための多忙な日々。そうすることの意味が実感できないという点では彼らと同じだ。実にむなしい。
むなしさという感情はやっかいだ。人間の欲望はそれ自体際限がない。現代の消費社会は、必要を無視した欲望の無限空間を開くことによって、市場を自己創出する力を獲得した社会である。我々の欲望は、次々と生み出されていく新たな市場により、絶えず刺激され、肥大し、その結果、この仕組みのえじきになった人間は絶えることのない欠乏感、むなしいという感情に陥ることになる。
しかし、こうも言える。むなしさというものは、自分の人生に何が欠けているかを告げ、知らせてくれる貴重なメッセージであると。むなしさはしばしば、忙しく充実しているつもりの毎日が、単に見せかけにすぎないことを暴き出す。目をそらすわけにはいかない。上等だ。しばらくはこのむなしさとつき合ってみることにする。死なない程度に。【ワルサー】
11月14日掲載
先日、駅前を歩いていたら、街頭募金をやっていた。この寒い季節にご苦労なことだ。誤解を恐れずにいうならば、私は街頭募金が嫌いだ。まず、あの文句がいけない。「恵まれない人たちに、愛の手を」。他人様をつかまえて「恵まれない」などと言えるなんて、恵まれていないのはあなたの常識の方じゃあないですか、と思ってしまう。それに、時折見かける悲壮な顔の人もいけない。あんなの、とても直視できない。思わず顔をそむけたくなる。
確かに、いや応なしに私たちの目と耳に飛び込んでくる募金活動の声は、自分と違った境遇で生活をする人がいることを思い出す、よい機会ではある。しかし、だからといって道を歩いているときに、大声を出され、なにかいやな気分にされたのではたまらない。
いくら厳しい境遇にあっても、人間、ユーモアの心を忘れたくはない。誰か、遊び心のある文句で募金を呼びかける人はいないのだろうか。例えば「あなたがペットボトルの飲み物を買ったら、そのうち100円は容器を作るために使われています。しかし、あなたが私たちに託してくれたお金は全額、交通遺児のために使われます」。こういうことを言われたら、おもわずにやりとして、募金のひとつもしたくなると思うのだが、いかがなものか。
可処分所得が少ないことも、確かにつらいことだが、それよりもユーモアのない人生を送ることの方が、はるかにつらいのではないかと思う。ユーモアで人を楽しませ、自分とは違った人の生き方にふれ、その対価としてお金を払う。募金活動がそういう形になれば、照れずに、気分よくお金を出すことができる。そんな活動は、誰かやっていないのか。それとも私が知らないだけか。【ピーター】
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