クラブ創立30周年記念式典に300余人が参加

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神戸大学学友会大阪クラブ・大阪凌霜クラブ創立三十周年記念式典が五月二十七日(土)、神戸市灘区の六甲台キャンパスで開かれた。薫風の下、卒業生や大学関係者、留学生ら計三百二十五人が参加。五百旗頭真(いおきべ・まこと)神戸大学大学院法学研究科教授の記念講演、キャンパスツアー、懇親パーティなど多彩な行事で交流を深めた。
式典は午後二時、神戸大学百年記念館「六甲ホール」で始まった。司会は一九九六年に医療技術短期大学部(現在の医学部保健学科)を卒業した斉藤智千さん。開会のあいさつで江崎勝久・学友会大阪クラブ・大阪凌霜クラブ会長(江崎グリコ社長)は同クラブが三十年前に大阪駅前第一ビルの十一階にうぶ声を上げたことや毎月第三火曜日夜に各界から講師を呼んで講演会(定例会)を開いていることを紹介。「卒業生の拠点としてのクラブの価値を高めるには多くの方々にメンバーになっていただくことが必要。参加者の皆様方のさらなるご協力を」と呼びかけた。
続いてクラブのセミナールーム開設に貢献した元副会長の平田二郎さん、クラブ運営の責任者として尽力した元副会長の瀧省一さん、元事務局長の鶴浩一さんの三人に江崎会長から感謝状が手渡された。
五百旗頭教授の記念講演のテーマは「世界の中の日本」。五百旗頭教授は父親の眞治郎さんが神戸大学(旧制)の経済学部教授(経済政策原理)をしており、親子二代続けて神大で教鞭を執っていることを披露。「この地に、凌霜に愛着を持っている」と述べた。「日本は世界の中でどう切り結ぶべきか」と問題提起した。戦後日本が貿易立国として発展したのは国防をアメリカに代行してもらっているため軽いコストですんでいることや、たとえば佐藤栄作首相の時に沖縄返還が実現したように戦後の日本の首相たち(吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤首相)が腰をすえて要求したことにアメリカがきちんと応じていることを様々な日米関係のやりとりを基に紹介。東アジアの中で中国の地位が高まっていることにも触れ、「二十一世紀の日本にとって大切なことは日米同盟と日中協商だ」と述べた。
この後、卒業生たちは現役の女子学生の案内で六甲台正門から講堂、ステンドグラスの天井の一〇二号教室、阪神大震災の犠牲者四十一人(教職員二人、学生三十九人)を追悼する震災記念碑などを見学。「えらい立派な建物が出来たんやなあ」と、様変わりしたキャンパスに感慨深げだった。
午後五時からは正門横のアカデミア館に会場を移して懇親パーティ。八木頼夫副会長の開会あいさつに続いて新野幸次郎・神戸大学学友会会長・凌霜会理事長が祝辞を述べた。この中で新野さんは「誠」の大切さを説いた孟子の言葉を引用。「国立大学法人になった神戸大学を本当に良い大学にするには『誠を尽くす』ことが必要だ。同窓の皆さんの心からの支援をお願いしたい」と呼びかけた。
パーティでは中国、韓国、台湾、インド、ベトナム、モンゴル、ドイツ、フランス、ロシア、ブラジルなどから留学中の学生五十五人が壇上に。代表がマイクを握って自己紹介をした。
「間もなくドイツでサッカーW杯が開かれます。この様な時期になぜ私がドイツから日本に来ているのか。タイミングが悪い。皆さん、W杯を楽しんで下さい」
(経営学研究科、ドイツのラースさん)
「小さい時から日本は理想の国。第二次大戦後の経済の繁栄は驚きです。日本で自分のスキルを上達させ、内面的にも磨きたいです」
(海事科学部、フィジーのナウルブラ・マレリ・ウルイモアラさん)
「今のタイは日本の三十年前といわれています。未来のタイの姿を探るため日本にやってきました。経済や文化だけでなく、日本の社会、日本人の考え方も学びたい。帰国後、日本での経験と知識がきっと役に立つと思います」
(経済学部、タイのポンタナラート・クリティネさん)
フィナーレは男声合唱団「グリークラブ」の演奏。おなじみの「商神」に続いて海の男の歌「シー・シャンティ」をさわやかな歌声で披露し、大きな拍手を浴びた。
午後六時四十五分、井村達男・副会長が中締めのあいさつをしたのに続いて全員で学歌を斉唱し、式典は閉幕した。一年前から準備に走り回っていた「三十周年記念事業実行委員会」の辻本健二委員長(関西生産性本部事務理事)は経済学部のゼミの同窓生とともに有馬温泉へ。連れだって夜の三ノ宮に繰り出したグループの間では過ぎし青春の日々の想い出に話が盛り上がり、流れる歳月の速さをかみしめていた。
(三十周年記念事業実行委員会事務局長
一九七〇年経済学部卒業生 法花 敏郎 記)