『今昔物語集』を読む(15)

               池上洵一(国文学 昭和35年卒業)

  釈尊最後の言葉 
    - 巻三第
30話「
仏入涅槃給時遇羅睺羅語(ほとけねはんにいりたまはむとするときにらごらにあいたまへること)」-

 釈尊が涅槃に入ろうとした時、羅睺羅(ラゴラ)は父釈尊との別れの悲しみから逃れたい一心で、神通力でこの世のはるか上方にある他の仏の国に行くが、そこの仏にさとされて泣く泣く帰ってきた。仏弟子たちに促されて臨終の枕元に近づいた羅睺羅を見て、釈尊はやさしく声をかけた。「私はもうすぐ涅槃に入る。お前が私を見るのも今が限りだ。近くに来なさい」。あふれる涙に溺れながら近づくと、その手を握って釈尊は言った。「羅睺羅は私の子だ。十方の仏たちよ。どうかこの子をあわれみ給え」。これが最後の言葉であった。清浄な悟りの身である仏さえ父子の愛は格別であった。まして凡夫である衆生が子への愛に迷うのは道理ではないか。

 

天竺(インド)部の主軸ともいうべき巻一~三は、全体として釈尊の一代記を構成している。釈尊の生涯における主要な事跡は八種に数えられ、八相(または八相成道)と総称されるが、そのうち降兜率・託胎・出胎・出家・降魔・成道・初転法輪の七つが巻一冒頭の第1~8話で語られ(ただし降兜率はごく簡略に言及があるのみ)、残る一つである入涅槃(入滅)は巻三の末尾、第2835話で語られる。この間にはさまれた約100話は、釈尊が悟りをひらいてから入滅に至るまで35年間の教化の期間、すなわち広い意味での転法輪の時代の物語である。

 たゆむことなき教化活動のうちに八十歳を迎えた釈尊は、巻三第28話において身体の苦痛を告げ、入涅槃の遠からぬことを予告する。人々の悲嘆の中で、第29話において純陀(チュンダ)から最後の供養を受け、この第30話ではわが子羅睺羅(ラーフラ。漢語名ラゴラ)と最後の対面をして、第31話でついに入滅が語られるのである。

 羅睺羅は釈尊出家以前の妃、耶輸陀羅(ヤショーダラー)から生まれた。釈尊のたった一人の子である。長じて父に従い、出家して仏弟子となったが、父の入滅というあまりにも悲しい現実を前に、思わず逃げ出してしまう。

   我レ仏ノ涅槃ニ入給ハムヲ見ム程ニ、悲ビノ心更ニ不可堪(たふべふから)
  ズ。
然(さ)レバ、我レ他ノ世界ニ行テ、カヽル悲ビヲ不見(み)ジ。

という彼の思いは、それを実行し現実に他世界に行ける神通力が彼にはあったという一点を除けば、われわれ凡夫と何の変わりもない。

しかし、他世界の仏は全てを見通していた。

   汝ヂ極(きはめ)テ愚(おろか)也。汝ガ父、釈迦牟尼仏、既ニ涅槃ニ
   入給ヒナムト為ル時ニ臨(のぞみ)テ、汝ヲ待チ給フ也。速(すみやか)
  ニ
帰リ参テ、最後ノ刻(とき)専(もはら)ニ可見奉(みたてまつるべ)
  キ也。

とさとされて、羅睺羅は泣く泣く帰ってきた。現実は逃げても逃げても逃げ切ることはできない。この話の羅睺嵯は<普通の>人間である。

だが、さらに驚くべきことに、釈尊までが <普通の>人間なのだ。最後の別れの場面を見るがよい。

   羅睺羅、涙ニ溺(おほほ)レテ参リタルニ、仏、羅睺羅ノ手ヲ捕ヘ給テ
  宣ク、
「此ノ羅睺羅ハ此レ、我ガ子也。十方ノ仏、此レヲ哀愍(あいみん)
  シ給ヘ」
ト契リ給テ、滅度シ給ヒヌ。此レ最後ノ言(こと)也。

 自身が仏であるはずの釈尊が、臨終にわが子の手を握って、自分ではない十方の仏たちに加護を祈っている。これでは煩悩を断尽したとはいえないではないか。

 釈尊の入滅の場面を語る経典は『大般涅槃経』や『長阿含経』など決して少なくないけれども、このように<普通の>人間臭い釈尊像を描いたものはない。稀には『大悲経』のように、羅睺羅との親子の縁を話題にするものがあるが、その場合でもすべて、釈尊はわが子に真理を説いて聞かせるのであって、わが子を頼むと諸仏に祈る例はない。この話は経典の説く釈尊入滅時のイメージとは遠く隔たっている。明らかにこれは経典を離れて独自に成長してきた話なのである。

 このことはまた、『打聞集』に同文的な同話があることによっても立証される。この話は『今昔』に採録されるより前に、『打聞集』との共同母胎的な説話として成立しており、その段階ですでにこのような形に出来上がっていたと考えられるからである。ここには『今昔』という特定の作品の個性的な解釈ではなく、より一般的な、いわば当時の日本にあっては一般的だった釈尊理解のありようが反映しているといえるだろう。

 子を思う言葉を最後に残して逝く釈尊の姿を思い描き、

   然(さ)レバ此レヲ以テ思フニ、清浄(しゃうじゃう)ノ身ニ在(まし)
  マス
仏ソラ、父子ノ間ハ他の御弟子等ニハ異(こと)也。何況(いかにい
  はむ)ヤ、
五濁(ごぢょく)悪世ノ衆生ノ、子ノ思ヒニ迷ハムハ理(こと
  はり)也カシ。
仏モ其レヲ表シ給フニコソハ。

と、至尊の仏にも人間としての弱さを認め、仏の煩悩という論理的な矛盾は問うことなく、それを凡夫であるわれわれの側に投影させて、われわれもまた救われた気持になる。論理的追求を突き詰めるよりも情緒的な救済の方に直行する甘美な釈尊理解がここには見て取れるだろう。

 『宝物集』巻六には、

   教主釈尊も、子をおもふたとへをとり給ふには、三界火宅の中なる諸子
  を
あはれみて、父の長者は三の車をかまへ、五十余年まどへる窮子をかな
  しみて、
親の長者は二人の使をつかはすとこそ、法花経の二巻にも侍れ。
   ある経には、まさしく「見一切衆生、猶如羅睺羅」と侍るめれば、仏だ
  にも、
子をおもふ心ざし、かく侍るめり。申さんや、人界はことはりにぞ
  はべるべき。

という一節が見られる。前半の二つの逸話は『法華経』譬喩品にある三界火宅、同じく信解品にある長者窮子の話で、どちらも「たとへ」(譬喩)であるからしばらく置くとして、後半は違う。釈尊自身のわが子への愛を、まして人間界に迷えるわれらは当然として受け止めている。『今昔』のこの話に見られるような理解が決して孤ではなかったことがわかる。

 この箇所で『宝物集』が踏まえているのは、『往生要集』大文五・三の、

   有懺悔偈云、如父母有子、始生便盲聾、慈悲心慇重、不捨而養活。
   子不見父母、父母常見子。諸仏視衆生、猶如羅睺羅。衆生雖不見、実
  在諸仏前。

という一節であるが、問題の文句は「衆生は気づかないでいるが、諸仏はわが子を見るごとく、衆生に等しく慈愛のまなざしを注いでいる」というのであって、わが子が特にかわいいと言っているわけではない。『宝物集』はこれを自分の都合に合うように文脈をねじ曲げて受容しているわけだ。別稿①でも論じたことがあるように、これは日本人の仏教受容のあり方の根幹に関わる問題として考えてみるべきことである。

 なお、文学作品としての『今昔』に固有の問題としては、この話の基本的な性格はすでに原話の段階で形作られていたとしても、天竺部の主軸をなす釈尊伝の、そのまた決定的に重要な入涅槃の場面を担当する話として、わざわざこの話を採用していることの意味が問われねばならない。

釈尊の入涅槃は多くの仏典に語られており、それらに取材することも不可能ではなかったはずである。事実『今昔』のこの話の前後の諸話は、各種の経典を総合して成った十巻本『釈迦譜』に取材して成り立っている②。それから取材することも出来たはずなのである。それなのに、この決定的な場面に、あえて別資料に取材して、仏典とは異質な話を配置したのはなぜか。『今昔』選者もまた、この話を支えている甘美な日本人的心情に同感を禁じ得ない人間であったから、と考えてもあながち的外れではないだろう。


(1)池上洵一『今昔物語集の世界-中世のあけぼの-』([旧版]筑摩書房、
     1983、[新版]以文社、1999)第五章第四節「日本的なるもの」。
(2)本田義憲「今昔物語集仏伝の研究」(奈良女子大「叙説」101985)。



【おわりに】
 この「評論」は、研究者としての問題意識で書いていますから、わかりやすく
書いたつもりではありますが、何故そんなことを気にするのかとか、何が面白く
てそんなことにこだわるのかとか、疑問に感じられる個所も多かったことと思い
ます。
 しかし、文学は所詮自分で読むもの。他人の解説で代用することはできません。
もし万一、今回の「評論」で、『今昔』も読むに値すると感じていただけたなら、
岩波文庫で結構ですから、どうぞご自分の目で自由に読み、お楽しみ下さい。
 私はこの作品と約半世紀の間付き合ってきましたが、まだ飽きることはありま
せん。幅が広く奥の深い作品です。
 つたない文章をお読みくださって、ありがとうございました。
                           (池上洵一 記)

(筆者は神戸大学名誉教授、国文学専攻。「今昔物語集」をはじめとする説話文学の研究
家として著名。主要著書は『池上洵一著作集』全4巻(既刊2巻、和泉書院)、岩波文庫『今
昔物語集』全4巻など多数。)

 

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