『今昔物語集』を読む(14)

              池上洵一(国文学 昭和35年卒業)

  月の兎 
   -巻五第
13話「三獣行菩薩通兎焼身語(みっつのけだものぼさつのみちをぎょうじうさぎみをやけること)」-

  兎と狐と猿の三匹がまことの信心から菩薩道を修行していた。わが身を忘れて他をあわれむ彼らの行いはまことに立派と見えた。それを見た帝釈天が彼らの本心を試すべく、老人に化して助けを乞うた。三匹は老人を手厚くもてなした。猿は木に登って木の実を集め、里に出ては野菜や穀物を手に入れて持って来た。狐は墓小屋に行って人の供えた飯や魚を取って来た。しかし何の特技もなく弱い兎は何も手に入れることができない。思いつめた兎は火を焚いてくれと頼み、やがて「私を食べて下さい」と言い残して火中に身を投げたのである。その時、帝釈天はもとの姿に戻り、自己犠牲と利他の菩薩道に殉じた兎の姿をあまねく一切衆生に見せるため、兎を月の中に移してやった。月に兎がいるというのは、この兎の姿なのである。


 天竺(インド)部にあって巻五は位置付けの難しい巻であるが、この巻の副題「仏前」は巻四の「仏後」と単純に一対をなすのではなくて、巻四の「仏後」が文字通り仏滅後(釈尊入滅後)の仏教説話であるのに対して、巻五「仏前」は釈尊生誕以前の、悠久の過去における天竺建国譚(実はスリランカ建国伝説)から語り起こされる世俗説話の巻であり,仏の前世物語である本生説話(ジャータカ)を多く含みながら、本生説話としての形式の崩れをそれほど気にしている様子もないのは、この巻が仏教の巻としては意識されていなかったことを示す、という見方①が多く賛同を得つつある。

 この話ももとは本生説話(ジャータカ)であった。南方仏教の聖典として知られるパーリ(古代スリランカ語)の『ジャータカ』には、第316「ササ・ジャータカ」として語られているし、北伝の経典においても『六度集経』『旧雑譬喩経』『選集百縁経』『雑宝蔵経』『生経』その他、多くの経典に伝えられている。

 本生説話は釈尊の前生譚である。すなわち釈尊は今生において悟りを開いて仏になったのであるが、それは単に今生での修行の結果であっただけでなく、これまで無限に生死輪廻を繰り返してきた過去世において、人間として、天人として、また鳥獣魚虫として、さまざまに積み重ねてきた善行の結果でもあった。そうした過去世の出来事を語るのが本生説話であり、悠久の過去との因果関係は仏のみ感知できることであるから、本来の語り手は釈尊自身であって、末尾には必ず「この話の何某は(前生の)わたしであった」というふうな説明が付く。

この話の場合は、『六度集経』や『旧雑譬喩経』のように四匹の獣が登場する話では、狐は阿難(アーナンダ)、猿は舎利弗(シャーリプトラ)、獺は目連(モッガラーヤナ)で、兎はわたし(釈尊)であったと説かれるのが普通であり、『選集百縁経』『雑宝蔵経』『生経』などのように他の獣が登場せず、兎の行為だけが語られる話では、もちろんその兎がわたし(釈尊)である。

  北伝の経典類ではこのように四獣型か兎単独型(主人公の兎が他の兎たちの指導者ないし王として説かれる型を含む)か、この二種類に限定されるわけだが、『今昔』のこの話は経典には類を見ない三獣型であって、本生説話としての結末も喪失している。しかし、これは『今昔』において突然生じた変化ではなくて、『今昔』のこの話の源泉と見られる『大唐西域記』(唐の玄奘三蔵著)においてすでに見られた特徴であった。『西域記』はこの話を天竺の婆羅痆斯国(ヴァーラーナシー。現在のベナレス)にあるストゥーパの由来譚として記しているのだが、それは同時に月の兎の由来譚でもあった。帝釈天によって月中に置かれた兎が今も月にいるとすれば、その兎は誰の前生でもあり得ないから、この話は本生説話とはなり得ない。だから玄奘も、その兎が釈尊の前世であったとは言わないのである。

なお、南伝の『ジャータカ』では兎の行為に感動した帝釈天がその兎を万人に見せるために、山を搾った汁で月に兎の姿を描いたと語っている。これなら月にあるのは兎の絵姿だけで、兎自身は月中にいるわけではないから、この話の兎が釈尊の前生であっても不思議ではなく、本生説話としても自然である。

だが、それにしても、玄奘はなぜこの話を月の兎と結びつけて記録したのだろうか。現地の伝承がそう語っていたのは確かだろう。しかしそれだけではなく、彼自身がすでに月中に兎がいるという伝承を知っていたからだろう。この話を記して、「故彼咸言、月中之兎、自斯而有。(それでインドでは皆、月の中の兎はこういうことから以後、月にいるようになったのだと言っている)」②と語り納めた玄奘の心中には、自分たち(中国人)も知っている月の兎について、インドではこんな由来譚を伝えていたのかという、ある種の感慨がよぎっていたように思われるのだ。

 中国には仏教が伝来する以前から、月には兎がいるとする伝承があった。日本でもまた、土着のものか中国伝来のものかは定め難いが、古くから月の兎が信じられていて、日本人は仏教によってはじめて月に兎がいることを教えられたわけではなかった③。なによりも北伝の諸経典はどれ一つとして月と兎との関係を説いてはいなかったのだから、経典からは教えられようがなかったのである。

つまり、月にいる兎を記録したのは『西域記』が最初であり、それは仏教説話として自然な本生説話であるよりも、民間伝承としての月の兎の由来譚であることの方に比重を移した話であった。

 この話は菩薩道の極致としての自己犠牲を語って感動的だが、さらにわれわれ日本人がごく親しいものと感じている月の兎の由来譚であることが感動を増幅させる。この話の兎は聖者釈尊の前生というような大層なものではなく、われわれが今日も見上げているあの月の兎であって、それは聖者というよりも凡夫であるわれわれにより近い存在であり、そういう存在が精一杯に示した行為として受け取るからこそ感動は高まる。

近世の有名な禅僧良寛和尚はこの話を長歌に詠み、その末尾を、

   今の世までも語り継ぎ、月の兎といふことは、是が由(よし)
   にてありけると、
聞く吾さへも白帑(しろたへ)の、衣の袂は
   とほりてぬれぬ」④

と結んでいる。良寛さんもこの話を感涙とともに受け止めていたのである。

 要するに、本生説話が『今昔』において変形したのではなく、『今昔』はすでに本生説話としての型式を失った話と出会っているのであるが、わが国古来の民間伝承との相関の中で、仏教説話が独特の魅力を創出した一例として注目されるのである⑤。


 (1)小峯和明『今昔物語集の形成と構造』(笠間書院、1985)など。

(2)『大唐西域記』巻七(『大正新修大蔵経』51・史伝部三、907頁)。

(3)中国における「月の兎」伝承が仏教渡来以前に遡り、日本におけ
   る「月の兎」伝承も『大唐西域記』成立以前に遡ることは、注(5)
   に掲げた拙著で詳述している。

(4)日本古典文学大系『近世和歌集』(岩波書店、1966222頁。

(5)この話の歴史と構造について詳しくは、池上洵一『今昔物語集の
   世界-中世のあけぼの-』([旧版]筑摩書房、
1983、[新版]
   以文社、
1999)第五章「月の兎」を参照されたい。


(筆者は神戸大学名誉教授、国文学専攻。「今昔物語集」をはじめとする説話文学の研究家として著名。主要著書は『池上洵一著作集』全4巻(既刊2巻、和泉書院)岩波文庫『今昔物語集』全4巻など多数。)


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