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このごろ思うこと
梅谷繁樹(国文学 昭和38年卒業)
1.日本とアメリカ −頸木からの自由、アメリカの多様性−
ペリー提督率いる黒船来航とそれに続くハリスの日米修好通商条約締結以後今日に至るまで、日本はアメリカの頸木になっている。「頸木になる」とは、苦しい使役を強いられるという意味で使っているつもりだが、『広辞苑』さえ用例を示していない。小生の独りよがりであろうか。
アメリカといっても、政権の座にあるのはブッシュとそのブレーンで、いずれ一、二年で別のリーダーに代わるだろう。イラクやテロ対策などの外交政策も少しは変わるであろうし、そう期待したい。
それにしても、地政学的なアメリカの頸木から日本が早く自由になる政治の哲学が欲しいものである。
ちょっと皮肉な見方かもしれぬが、近代の日本は日清・日露の戦争で変な自信を持って、アメリカと互角に渡り合おうとしたが、所詮蟷螂の斧でしかなかった。今日(十一月十七日)もNHKテレビで世界遺産のアテネ、アクロポリスの放映を見たが、あの神殿は、日本の縄文時代に建立されたという。日本の近代化を何も卑下することはないが、やはり歴史の蓄積は無視できないのではないか。漱石ではないが、日本の近代の成功は額面通りでなく、付け焼刃であった面もあろう。もちろん、アメリカとて歴史の新しい国で、ヴェトナム戦争以来のアメリカの戦争政策をみると、もう少し歴史に学ぶべきであると言いたくもなる。
武力行使などは、一時しのぎで、真の解決にはほど遠い。アメリカ国民にもブッシュ離れが目立っているではないか。日本も早く、政治的に自立したいものである。日本の国民は政治家に甘いし、日本の政治家はアメリカに甘い。
また、アメリカは建国こそ新しいけれど、そこは欧州の歴史、文化の延長の上にあろう。したがって、一面では古い国とも言える。奴隷制度まで持った国でもある。
最近、訳書でビート・ハミル著(雨沢泰訳)『マンハッタンを歩く』(集英社)という好著を読んだ。全米一の巨大都市ニューヨークにほんの僅か触れただけの、ハミル氏の体験が中心のエピソード集だが、これ一冊だけでもアメリカという国の多角的な様相が見て取れる。
この書物は、ニューヨークという街の歴史と成り立ち、多数他民族の移民の流入、商業の変遷・荒廃、教会、その他について手に取るように説明している。
ついでながら、ハードボイルドの推理小説、たとえば、レイモンド・チャンドラーなどを読むと、この国の暗黒面と上層階級の相関が、フィクションではあるが手に取るように見えてくる。アメリカは古くて新しい、太陽のような、一つの宇宙の中心の星だということが分かる。
2.『徒然草』の「ものぐるほし」をめぐって
岩波の「古典を読む」というシリーズで、揃えて買っていたはずなのに、杉本秀太郎著の『徒然草』が見当たらない。こういう国文関係の探索では山本宏美先輩(昭和36年卒業)のお世話になることが多い。この本も山本さんのお世話であらためて手に入れることが出来た。小生は、京都にいて、古本屋もそこそこあるにはあるのだが、近年どの店も売り場を小さくしていて探すべき本を買えたためしがない。
さて、その『徒然草』の序の末尾に「あやしうこそものぐるほしけれ」というのがある。杉本氏は一般の学習参考書や一流の注釈書でもこの言葉を(いや、この言葉だけではなく一般的にも)通り一遍に解釈して「狂気じみている」とするものが多いが、それは兼好の執筆意図を読み損じるものだとされている。小生の引用部分が、杉本氏の著書のどこにあったか、確かにあったと思いペラペラと頁をめくってみるがなかなか見当らない。小生の思い込みかもしれない。しかし、兼好がつれづれの中に身を置いて「御しがたい生き物のように柵を破り、埒を越えて動きまわる」心にあるのが、「ものぐるほし」なのだとされる杉本氏の解釈は、すぐれた読み方というべきであろう。
杉本氏は、この著書で、俗流で通り一遍の『徒然草』の解釈に異見を並べておられるが、小生も、かつて、学会誌に人の世話で、断ればよいのにそうはせず一文をものしたことがある。今から思うと、今一つ「天井を破れなかった」と思っている。いや、旧解(成立論)に挑戦しようと本文を読み込んだつもりであったが、どうも天井への飛躍は低かったように思う。
ちょっと脱線するが、大学を出て高校教師をしていた頃、さきの「ものぐるほし」の主語は何かという試験問題を出したことがある。もちろん、正解は作者、兼好法師である。ところが、学年の統一試験で、ある教師が、何たることかと思うが、教科主任(この人はよい先生で、いわゆる大人の趣があった)にクレームをつけたことがある。この主任は世にいう有名国立大学の出身者で、クレームをつけた教師からすれば主任の権威によって(小生の邪推であろうが)、小生を押さえ込もうとしたのであろう。ずいぶん昔のことで、クレームの理由は、たしか、一つは文法論として、ここのところで主語を問うてよいのか、ということで、そんなことは教えていないとのことであった。しかし、日本語の文法論の主語の有無や主題についての学問的論議はともかくとして、「このものぐるほし」い人が誰かなどは聞くに落ちた話ではある。しかし、これを答えられなかったら、『徒然草』の作者も泣くか笑うかするであろう。その時、小生は主任への敬意のあまり、尻尾を巻いて引き下がった経験がある。クレームをつけた教師は、コンプレックスを持った、生徒には居丈高な人で、権威に弱い人だったが、小生は何かにつけて、引っ込み型であった。
ところで、『徒然草』の最終段に仏の誕生についての兼好とその父とのユーモラスな対談がある。兼好は仏や仏道については、一番心がけていた人だと思う。
その兼好が、第一段で御門について、「人間の種ならぬぞやんごとなき」としている。はたしてこれは本気であろうか。全面的にそうであろうと考えてもよい。兼好の時代になっても、記紀神話を素直に信じることもあったろう。一方、兼好は、『梁塵秘抄』にも触れている。別にこの書を読まなくても、兼好と同時代、あるいは少し前ぐらいの天皇ならばその母后が誰であったかは明らかであったであろう。多くの母后は「人間の種」、しかも下層に属する人もあったはずである。この点、兼好は意地悪い文言を使っていると思う。
意地悪さに引っかけて言うと、この兼好という人は、右の杉本氏のエッセイではないが、自分の文章の奥深い含意を知らずに読むなら、それはそれでよいと思っていたらしく、ちょっと読んでみて、なぜこんなことを書いているのだろうと思う文章がある。小生にとってはそれが多い。
それで、ここは自由勝手に書いていて、学問論証ではないので、意見だけを吐露しておくが、この兼好さんは、『宇治拾遺物語』の序文と本文の編集をしていたのではないかと思う。詳しくは論じないが、益田勝実氏によると、序文を含めて各々の説話が、ある連関で結ばれているというのである。その連関のあり方が、小生から見ると、何か兼好らしいユーモアや連想力に充ちていると思うのである。
これだけでは、この間の事情をご存じない方もあろうと思うから、少しだけ触れておく。
この物語の序文は本来あったものか、後補のものか、たしか両説がある。この序文には五ヶ所ほどの欠文があり、それが、本来語句があったのか、あえて欠文めかしたのかという疑問もある。
この序文では、この物語の成立の事情が書かれているが、これを編集したという源俊賢が「髻を結ひわけて」と、少し暑中のこととてくつろいだ姿をしている。これについては、池上洵一先輩にすぐれた解があったが、今は材料を持たない。それで、愚説は無効になるかもしれないが、あえて書いてみる。
俊賢(この人は源高明の孫である)のこの姿は、普通、平安時代にあっては、決してあってはならない姿(極論すると卑猥な姿)ではある。
一方、この物語の第一話は、藤原道綱の子の道命阿闍梨という僧が、和泉式部のもとに通い、情を通じていて、そこに五条の道祖神(辻々で魔を防ぐ神だが、一方で男女相抱く姿が著名)が、法華経の聴聞に来るという話で、序文とも、何か猥雑な話でつながっている。第二話も不浄説法の僧の話につながる。
これ以上の説明はやめるが、詳しくは各自、物語に当ってほしい。
まあ、こんなことで、これは兼好さんのいたずら心からくる編集の成果かとも思うのである。兼好さん、後の方で、クスクス笑っているのではないか。
3.翁面
能は、「高砂」「老松」など、脇能とされるものがある。能は五番立てで、脇能はその初番物である。それを何故脇能と言うのかというと、「翁」という、能にして能に非ずという天下泰平、五穀成就の祈祷の舞歌の後でするからである。もちろん、初番物も神祇物のめでたいものである。今日では、「翁」―脇能―狂言(たとえば「末広がり」)などと、正式の祝事には二時間ほどかかって一連に演じられ、謡方や囃子方は大変なのである。
さて、ここでは、「翁」について、少し触れておきたい。
最近奈良の桜井市から木製の鍬を人面に加工したものが出土した。新聞やテレビでも報じられ、同市の史料館でも展示されていた。
実は、専門家の方が何か言及されているかもしれないが―専門家は小生のように、すぐ推理して飛びつくことはされないのであろうが―この出土面が「翁」の面に似ている。「翁」は鎌倉時代か平安時代にあったかと思うが、この面の出土で、この面が農耕の豊饒とかかわった祭祀に使われたと思うので、この出土面が、「翁」の面の淵源にあるのではないかと思うのである。
「翁」の詞章にも、その「神歌」(初日之式)の冒頭に「とうとうたらりたらりら」という一句がある。かつて、この語句の語源についてチベット語説などもあったが、「神歌」(十二月往来)の一句に、「ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりとう。鳴るは滝の水。鳴るは滝の水、日は照るとも、絶えずとうたり、ありうとうとうとう」とあるから、豊かな水への讃歌であろう。とすると、水と農耕と結びついて、この「翁」は古く弥生時代にまで遡れる儀礼の舞歌ではないかと思うのである。こういう素人の見解だが、もうすでに言われていることであろう。
以上
筆者は、園田学園女子大学教授を経て、現在は時宗西市屋道場西蓮寺住職、時宗教学研究所員。主な著書に『一遍の語録を読む』(NHK出版)、『一遍語録を読む』(金井清光との共著、法蔵館)、『一遍上人全集』 (橘俊道との共編、春秋社)、『一遍・日本的なるものをめぐって』(鎌田東二、竹村牧男、栗田勇との共編、春秋社)など。

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