狂言に見える地名
                 梅谷繁樹(国文科 昭和38年卒業)
 

 前にも自己紹介しましたが、小生、時宗という宗門に属する僧です。謡曲や狂言に、
何かしら、時宗と関係する点があって、これらに興味を持ったわけです。

 前にも、狂言の「酢薑」という曲に言及しましたが、この曲の薑売りが、津の国(異
本では、都とか洛外とあり)の出身、酢売りが和泉の国の出身です。狂言作者は、これ
らの商人の出身を、いいかげんに定めているかというと、必ずしもそうではありません。
右のうち、和泉の国は酢の名所地として、中世以来有名で、『庭訓往来』にも「和泉酢」
と見えているようです。

 今一つ、「魚説経(法)」という曲があります。
 これは、本来、漁師が出家したもので、にわか坊主で何も修行ができていません。持仏
堂を作った人に、説教を求められ、魚尽くしの説教をして追い出されます。小生は、以前、
アメリカのプリンストン大学の優秀な院生と(この人は、古文も漢文も読めます)共演し
ましたが、多くの魚の名については、ほとんど知らないようでした。この僧の出身が兵庫
の浦なのです。漁村など、どこにでもあるのですから、どこか特定の有名な漁村を名指し
すればそれでよかったはずです。この狂言でも、曲中で、そこが兵庫の浦でないといけな
い理由は見出せませんが、この作者には身近の漁村であったはずです。

 実は、この兵庫の浦は、平清盛の関係(清盛塚があります)があり、後に、時宗宗祖一
遍上人の入寂の地で、後に時宗の真光寺が出来ます。この近くに薬仙寺という、やはり時
宗の寺(小さい宗門ですが、京都東山の正法寺の末、国阿派でした)がありました。また、
たぶん、西山浄土宗の光明福寺(今は廃寺。この寺中に、一遍上人の入寂の観音堂があり
ました)という寺もありました。
 とくに、薬仙寺の前身は行基開山の寺、千僧寺を継承していたかと、森田竜雄氏(『時
衆文化』七号。二〇〇三、四。岩田書院。同氏はこの時神戸大、大学院助手)は言ってい
ます。寺名を逆にすると、仙薬となり、行基の悲田療病や葬送の事業を思わせます。
 一遍入寂の折も、多くの漁民が何艘もの引舟で、一遍をここに導いています。一遍臨終
の地の光明福寺の観音堂は、魚御堂(ギョノンド)と呼ばれていました。この寺は南北朝
時代に栄え、足利尊氏や直義の布陣地で、楠正成の首実検と供養の場になったとされてい
ます。また、このように栄えた漁村でここにかつて行基に淵源する非人の夙村、宿、非人
の長、長吏がいたろうとも、森田氏は考察をすすめています。

以上、狂言の地名から、母校、神戸の地の歴史の一端に及びました。

 
(筆者は、園田学園女子大学教授を経て、現在は時宗西市屋道場西蓮寺住職、時宗教学研究所員。
主な著書に『一遍の語録をよむ』(NHKブックス)、『一遍語録を読む』(金井清光との共著、法蔵館)、
『一遍上人全集』(橘俊道との共編、春秋社)、『一遍・日本的なるものをめぐって』(鎌田東二、竹村牧
男、栗田勇との共編、春秋社)など。