「虚構の中のリアル」の段(2004.6.30)
「ハリー・ポッター」を見た。
といっても最新作の「アズカバンの囚人」ではなく、テレビでやってた「賢者の石」の方である。
とりあえず見て思ったことだが、「ハーマイオニー激かわいい!」ということである(笑) 知人が「ハーマイオニー萌え〜」とのたまっていたのも納得である。なんかあの年頃の白人の女の子は人形みたいで純粋にかわいい。最新作ではちょっと育ちすぎか(おい)
――と、冗談はさておき、あれだけ大ヒットした映画のわりには「それほどか?」というのが正直な感想だ。
その理由は簡単である。リアルでないのだ。
「ファンタジーに何言ってんだ」という方もおられるだろうが、私が言いたいのはそういうことではない。私は「虚構の中にもリアルが必要だろう」ということが言いたいのだ。
数々のギミックはビジュアル的には面白いかもしれない。だがそれは「子供だまし」ではなかろうか。
つまり、「現実に魔法が存在し、魔法使い達だけのコミュニティーがあったとして、果たして本当にそうなるのか」ということを問いたいのだ。例えば魔法が実際にあったとして、「壁をすりぬけて行く駅のホーム」や「動く階段」、「変形するレンガの壁」、その他もろもろがあるとは思えないのだ。そんなやっかいなものをわざわざ作り出す必然性がない以上、それは「不自然なもの」といわざるをえない。
そのわりには「最新モデルのほうきが店で売ってる」とか現実感を出そうとしている描写があるだけに、かえって中途半端さ感じてしまうのだ。
こういうところをしっかりしてもらわないと「世界観」にはまれないので、どうにも楽しめない。それが原作のせいなのか映画化したからなのかはわからないが、とにかく個人的にはいまいちだった。虚構には虚構なりの現実を、それがお話づくりの原則じゃあなかろうか。