「生命保険と日本の平和」の段(2004.3.10)
なかなか自衛隊の隊員がイラクで死なない(不謹慎)ので、どうにも世論が現状追認になりつつある。そこで、イラクで何かあって世論が沸騰するまえに時代を先取りして自衛隊の海外派遣について論じてみようかと思う。
――ただし、かなり無茶なところのある理論なので、よそでこの理論を披露するのはやめた方がいいですよ、念のため(笑)
さて、自衛隊の海外派遣が主題ではあるのだが、それを論じるためには自衛隊というものがいかなる存在かということを明確に捉えなければならない。
ただし、ここでは自衛隊が軍隊か否かといういままで議論され尽くしてきた(というかど〜みても軍隊なのをどう言いくるめるかの技術論の話になってる気が…)ことについては一切触れず、あえて全く別の観点から議論することとする。
それで「自衛隊って結局なんなのよ?」という問いに対して、私は一つの答えを用意した。結論から言えば「自衛隊とは生命保険である」というのがその答えである。
もっともこれだけでは意味不明なので、説明を補足する。
――本来、憲法で軍の放棄を明記し、平和主義を国策として掲げた日本において「軍隊めいたもの」は存在することがないはずである。だが、完全に「備え」を無くしてしまうというのにも不安が残るのが人情というものである。
現実を考えてみて、日本が攻められるか、あるいは攻められたとして国連や諸国が助けに来ないかといえば、答えはNOだ。まず間違いなく、日本は平和を維持(あるいは取り戻すことが)できるだろう。
しかし、これはあくまでも「まず間違いなく」でしかない。99%確かでも1%は不安要素が残るのだ。
そして国の指導者連は決断をせまられる。つまり、「備え」を一切せずに99%に賭けるか、1%を恐れて賭けを下りるか、という決断だ。
その結果、腑抜けの指導者達は「他人の命を賭けられない」ということで、ほぼ確実に勝てる賭けを下り、「保険」としての自衛隊を作ったのだ。
ここで「保険」という言葉が出てきたが、これは先にも書いた通り「生命保険」である。要は「日本が存亡の聞きに面した時にのみ使用できる」ものだからだ。
ただし、この「生命保険」には「傷病特約」が付いているので、災害の復興活動や救助活動なども可能なことは注意する必要がある。なお、「札幌雪祭り」のごとくは剰余金の還付のようなものだと捉えればよいだろう。
さて、ここで勘のいい人は議論の筋があらかた見えてきたことと思うが、普通「生命保険」というものは保険の加入者に対してしか支払われることはない。他人の死亡によって保険金を得ようとすれば、それは契約違反の詐欺行為である。
では、自衛隊を海外へ派遣するのはどうなのか。無論、この行為は被保険者である日本以外に対して「保険」である自衛隊を使用することに他ならない。つまり、自衛隊の海外派遣は国民に対する契約違反なのだ。
よって、自衛隊の海外派遣は誤りである、と結論する。
――と、穴がありそうな議論も飛躍した抽象的な概念で語ればそれらしく見えるということで(笑)
いやまあ、「保険」なんてのは万が一の備えだから使わないに越したことはないんだけどね。
あ、ちなみに上記の議論はあくまで自衛隊の存在を肯定的に捉えた上での議論なので、そもそも自衛隊の存在自体に懐疑的な私の考えそのままということではないですよ、念のため(そればっか)