「とあるニュースについて」の段(2004.2.8)
今日はとあるニュースついて思ったことを書くことにする。
当初、「新しい都立大学の名前が『首都大学東京』と石原都知事に名づけられた」というニュースについて、ばっかじゃね〜のと書こうかなと思っていた。(根本的にイカれたネーミングセンスだが、それ以上に将来首都移転計画が実行された時のことが全く考慮されていない長期的な視野の欠けた名前だ)
が、たまたま開いたページがYahoo!メッセンジャーの公開カンファレンスとかいうところで、そこであるニュースについて議論がなされていたので、気が変わった。
そのニュースというのは「大学受験の試験会場を間違えた受験生をそのままでは間に合わないため、京都府警がパトカーを出して会場まで届けた」というものである。
このニュース自体は新聞の朝刊で読んでいたが、その時は「ふ〜ん」というぐらいにしか受け取っていなかった。しかし、上記サイトでの意見を見て目からうろこが落ちた。
私は当初、このニュースをよくある「美談」だと受け取っていた、しかし、そこでは否定的な意見が多くなされていた。もちろん、不満を感じない人より不満を感じる人の方が意見を表明しやすいということもあるのでしょうが、それでも賛否両論あるということに――自分が一面的な捉え方しかできていなかったことに気づき、軽い衝撃を受けたわけです。
確かに否定派の意見の法治国家の日本で、そんな(おそらく)規則に反したことをしていいのか!という
指摘には納得できるものがあります。これが警察の正当な業務なのか、といえば首をかしげざるを得ないでしょう。表現を変えれば裁量権の範囲内に入るのか、という問題であります。
法律を引用すれば、警察の職務は「個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持」であり、「警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られる」ということになります。
そう考えると、「受験というのは受験料の対価だから財産権で、その保護のため」とかちょっと屁理屈をこねないと筋が通らないような気がします。
それに、これが前例になると「あの受験生は送ったのになぜ私は送ってくれないんだ」というようなケースが起きかねない。公平性を欠くような行為なら最初からすべきでないのかもしれない。
ただ、それでも私は思うのだ。
目の前に困ってる人がいて、それがこちらの行動次第で助けられて、それでも規則だからと見捨ててしまう人には警察官になって欲しくは無いな、と。
ルールに従うことは重要だけれども、人の道に反しないことも大切なのではないだろうか。それはひどく独善的な見方なのかもしれないけれど。