「元祖の味」の段(2004.2.24)
最近、というか今週は出張が多い。といっても日帰りなので、大したことではないのだが。
今日は午前は本部で、午後は学校で講義、というスケジュールだったので久々に昼飯を外食することにした。普段はパンを食って歯を磨いたら「仕事が俺を待ってるぜ」な感じなので、なかなかにうれしい。
それで三宮まで歩いてセンター街の地下で何か食べるか〜と思ったのだが、目当てのカツ丼屋には長蛇の列。12時前なのに・・・明らかにサラリーマン風のおじさんの姿が多かったが皆外回りなんだろ〜か?
ともかく、並んでいて学校での講義の準備に支障をきたしても困るので、別の店に行くことにする。とはいえ「カツ丼モード」に入った胃袋はカツ丼を求めてやまない。そこで近くの別のカツ丼を売っている店に入った。
そこはまぁ――一「他に客がいない」という事実からどんな店かは推して知るべしというところだ。
そして私はその店のメニューにあった「チーズ鳥カツ丼」というやつを注文したのだ。物珍しかったからだ。
そこで今日の本題に話がうつる。
店のカウンターに座って何気なく前のメニューを見ると書いてあったのだ。チーズ鳥カツ丼という文字の隣に「ウチが元祖です」という堂々たる主張が。
他でそのメニューを売ってるのを見たことがないのに「元祖」もないもんだ、と半分あきれながらその「チーズ鳥カツ丼」を食べたわけだが、少々疑問が残った。それはなぜそんなに「元祖」にこだわるのか、ということだ。
冷静に考えて「元祖」の料理というのはそんなにありがたがるようなものなのだろうか。
「元祖」であるからにはそれはやはり、今までにない奇抜な味なのだろう。でなければ「元祖」も何もあったものではなく、単なる味付けのアレンジの違いにすぎないからだ。
そして「元祖」はその開発した味を守る。「元祖」の味が変わっては「元祖」とは呼べない。
だが、ここで思うのだが、その料理が本当においしい料理で、一般にメニューとして普及することがあったとすれば、きっとその料理はより洗練されてよりおいしくなったその料理を出す店が出てくるに違いないのだ。
料理は工夫されてよりおいしくなる、しかし「元祖」は味を変えるわけにはいかない。だとすれば、「元祖」は大しておいしくない料理を偉そうな顔をして出すことになりはしないだろうか。
なにしろ料理に「特許」はないのだから、「元祖」とか「一番最初」とかはあんまり意味がないと思うのだが、それでも「元祖」を誇る店があり、「元祖」をありがたがる人がいるというのは妙なものだと思う。
ちなみに「チーズ鳥カツ丼」――チーズのこってり感がわざわざ鳥を使ってあっさり目にした意味をなくした独創的な? メニューだった。たぶんそんなに一般化することはないだろう。「元祖」万歳。