「死んで花実が咲くものか」の段(2003.5.18)
どうも近所の公園で自殺があったらしい。
子供のころよく遊んだところだし、今も犬の散歩の途中に横を通り過ぎる身近な場所である。
今日も犬の散歩の途中で通りがかったらコーラと花束が供えてあったから間違いないのだろう。死んだ人間が花束やコーラを喜ぶのかははなはだ疑問だが、そこが桜の木の下だったのは桜の花がきれいに咲く理由と無関係でないのかもしれない。
それにしたってだ、自殺ってのはなんか嫌だ。日ごろの理論構成を一貫するなら「自己決定権の一つ」ということで認めるべきなのだろうが、感情的に不愉快だ。
別に「逃げる」という行為自体は悪いことじゃない、けど、それはあくまでも「最後には勝つ」ことが前提だ。負けっぱなしでそれでおしまいってのはどうにも好感をもてない。だいたいからして「人が自殺してもよい理由」なんてものがあるんだろうか?
「自らの意思で死を選ぶ動物は人間だけだ」っていう警句をどっかで聞いた覚えがあるが、まったく「理性」ってやつはこういうときには始末が悪い。進化の代償にしては安いものかもしれないが、ある種の退化とも言ってもいいんじゃなかろうか。
そんで結局何が言いたいかっつーと、子供のよく来る公園なんかで自殺すんなよなってことだ。どうせするなら山菜取りの爺さん婆さんしかこない山中でやってくれ。子供のトラウマになったらどうすんだよ、まったく。
人は生まれる場所を選べないけど、たいていの場合、死ぬ場所は選ぶことはできる。皆さん、正しい選択を、だ。