「for the justice」の段(2003.3.21)
イラクではこうしてる今も戦争が起こっている。
なんでもこれは「正義の戦争」なのだそうだ。笑えない冗談だ。戦争に「正義」などない。最大限の譲歩として「必要悪としての戦争」が留保されているにすぎないのに、どこかの間抜けな大統領閣下はご存知無いらしい。まったく、「神のご加護を」だ。下らない。
先制攻撃の禁止や国連中心主義は、これまでの愚かな戦争の歴史(それは人類の歴史に等しいのだが)から学ばれた人類のわずかな進歩だったのに、この戦争でだいなしになってしまった。
一度例外を認めれば、ルールというものは崩壊するものだ。仮に、というかおそらくアメリカはこの戦争に勝利するのだろうが、その代償はあまりにも大きい。彼等は目先の勝利のために恒久的な持続する平和への可能性を絶ち切ってしまったのだ。
これからは結果さえついてくれば方法や過程などどうでもよいと国際ルールが理解され、パワーポリティクスが絶対的な力を持つことになるだろう。そして「アメリカの世紀」が終わるときに待つのは「第三次」だ。
法は守られてこそ初めて意味がある。ルールを破って大量破壊兵器を持ったイラクを大量破壊兵器を持つアメリカがルールを破って制裁を加える――とても正気の沙汰とは思えない。正義を語るのに資格が必要だとすれば、資格の無い人間ばかりがテレビで声高に正義を叫んでいるというのは皮肉なものだ。
国連に力がないのなら、力を持たせるように動くべきだ。理想なき現実論にも、現実なき理想論にも意味は無い。「正しいこと」が何かを知っているならそれに近づくべく努力しなければ進歩はない。国連に力が無いから仕方が無いという連中はいったい「どこかの誰かが親切にも国連に力を持たしてくれる」のを待っているとでもいうのだろうか。それこそ「神は自ら助く者を助く」だろうに。
どこかの雰囲気でやってる首相にしたって、日本が本当にアメリカの友人だとするなら友人の愚行を止めるのが真の友人だということがわかっていない。この現状で日本がアメリカの手下でないという方が無理がある。「痛みに耐えて頑張」ればそれでいいってもんじゃないということぐらい過去の教訓からわかってもよさそうなものだ。
本当に戦争は嫌だ。どうころんだって、本当は勝者なんていやしない。物質的に、精神的に人々に傷を与え、そうまでして手にいれなきゃいけないものって何なんだろう。
少なくとも自分は、人の死を数字として考えたくない。死んだその人にとってはそれが全て。一人の人間が死ぬことは一つの世界が消え去ることだ。とてつもなく重いはずのことがただの数字としてカウントされていく。それはとても悲しいことなんじゃないだろうか。
今はとてもやるせない。ひどく、やるせない。