「お久しぶりだね刑法SoLong!」の段(2003.1.29)
おっとしまった。「刑法SoLong」じゃなくって「刑法総論」だった(どんな間違え方だ)
それはそうと「刑法総論」、逆から読むと「んろうそうほいけ」なこいつが俺の人生にと〜とつに再び立ちふさがるようなことになったのは以下のような経過である。
まず、会社には夜間の大学に通っている同僚がいるのだが、そやつの大学というのが俺の母校でおまけに同じ学部だったりするのがそもそもの原因である。そんで「過去問とかもってたら見せて」ってなことになり、家の中を探したら見つかったので試験問題を持っていった。ここまではいい。
そしたら「答えとかメモしてないの?」とか言われてしまった。基本的に俺は論文問題でもあんまりメモとかして構成を考えたりせずにいきなしボールペンで書き始めてしまうタイプのスタンドなので、問題用紙はまったくのまっさらなままだったのである。
そして俺は墓穴を掘る。
「明日まで時間くれたら答え作ってきてもいいで」
・・・なんでこんなこと言ったんだろう、俺は。ぐむぅ、お人よしにもほどがある。
そんなわけで昼休みとか帰りの電車で試験問題と一緒に持ってきた過去のレジュメを読み返し、家で解答例作りに頭を悩ますはめになったのである。
そしてこれがその努力の結晶なのだ。
第一問
AはBに対してXの殺害を教唆したが、BはXの人相をはっきりと知らなかったため、Xによく似た容貌のYのことをXであると誤信し、Yを探し出した上、殺意を持ってナイフでその腹部を刺し、Yに瀕死の重傷をおわせた。
その後、以前からYと不和であったCが現場を通りかかり、Yが重傷を負って倒れているのを発見したが、Yが死亡しても構わないと思いつつ、数回にわたり、渾身の力をこめてその腹部を踏みつけた。その結果、Yは死亡するに至ったが、Yの死因はBの刺突行為による出血多量であり、CがYを踏みつけた行為は、その出血を拡大し、死亡時期を30分程度早めた程度の影響を有していた。
A、B、Cの罪責について論じなさい(60点)。
まず、Bから論じる。Bは殺意を持ってYを刺したので、違法・有責な行為を故意をもって行っている。本来殺すはずの相手はXなのにYを殺してしまっているが、これは客体の錯誤であり、具体的符号説、法定的符号説のいずれをとっても故意は認められる。間にCが介入したことで因果関係の有無が問題となるが、死因となったのはBによる刺し傷であることから相当因果関係は肯定することができる。よってBは199条の殺人罪に該当するものである。
次に Aについて論じる。この事例では「教唆した」と明記してあるので間接正犯の成立不成立は問題にならず、61条1項の教唆犯について論ずることとなる。ここでAについても、XでなくYが死んだのは客体の錯誤だと捉えると、具体的符号説においても法定的符号説においても故意が認められ、Aについて殺人罪の教唆が成立する。しかし、あくまでもAはXと特定して教唆しているため、Yの死亡は方法の錯誤と捉えることもできる。この場合、法定的符号説によると故意が認められて、やはり殺人罪の教唆が成立するが、具体的符号説によるとY殺害については故意が阻却され、Bへの教唆内容が不完全だったことによりYの死亡が予見可能であった場合に過失致死罪が問題になるにすぎない。この時Xに関してはBにより実行の着手はなされていないので教唆は未遂に終わっている。そのため、Xに関しては通説の共犯従属性説にたつとAは不可罰であり、共犯独立性説にたつとAは殺人教唆の未遂犯に該当することになる。
最後にCについて論じる。CはYが死亡しても構わないと考えて行為に及んだのであるから殺人について未必の故意が認められる。しかし、因果関係としては死亡という結果を惹起したのはBの行為であってCの行為ではないので、条件関係が否定される。そのため条件関係を前提とする相当因果関係も否定され、殺人罪は成立しないと考えられる。ただし、Cの行為が死因となる危険性はありえたので、Cは殺人未遂罪に該当する。
第二問
スリの常習犯であるXは、阪急神戸線の車内で会社員Yに接近し、そのジャケットの裏ポケットに自分の手をしのばせ、財布を抜き取ろうとした。しかし、Yはその日はたまたま財布を自宅に置き忘れており、Xは犯行をとげることができなかった。
Xについて窃盗罪の未遂犯が成立するか。不能犯についての学説の対立について説明しつつ、論じなさい。(40点)
まず不能犯についての学説であるが、大きくは「主観的危険説」「具体的危険説」「客観的危険説」の3つの学説が存在する。「主観的危険説」とは危険性を判断する基礎は行為者本人の認識していた事情としつつも、危険性の判断基準は一般人とするものであり、「具体的危険説」とは行為者が特に認識していた事情に加えて一般人の認識しえた事情をもって基礎とし、判断基準は一般人とするものである。上記二説は部分的であるかそうでないかという違いはあっても判断基礎に主観を含んでいる。それに対するものとして、もう一つの「客観的危険説」は判断基礎を客観的全事情とし、判断基準を科学的判断としている。この説は前二説と異なり、危険性を判断する時期が行為時でなく事後となるのだが、そうするとあらゆる未遂犯はなんらかの原因があって未遂になったのだから全て不能犯ということになってしまう。絶対不能か相対不能かという区別も、およそ全ての事情を考慮に入れるならば全て絶対不能になってしまう。そこで全事情を基礎とせずに一定の事実の抽象化を行うという説も出てきたが、これはどこまで抽象化を行うかという基準があいまいという欠点をもっている。この欠点を克服するために考えられたのが、事実の抽象化を行う代わりにどのような事実が存在していたら結果が発生したかという仮定的事実を想定し、それがどの程度の可能性で行われたかをもって危険性の可能性を判断するという「修正された客観的危険説」である。
ここで今回の事例について考えてみる。これは「客体の不能」にあたるものであり、そもそも客体が存在しない以上は危険性も存在しえず、一律に不能犯であると考えることも可能であるが、ポケットに財物を持っていることは非常に蓋然性の高いことであり、スリの被害にあっていた危険性が存在すると考えることも可能である。
「主観的危険説」においてあてはめてみると、Xは財布があると思って窃盗の実行行為におよんだものであり、裏ポケットに手をしのばせる行為は一般人から見て危険性があると判断するのに十分な行為ということができる。従って「主観的危険説」においては未遂犯が成立するものである。
次に「具体的危険説」を考えてみると、一般人から見てYが裏ポケットに財布を持っているという可能性は高く、「主観的危険説」と同じく一般人から見て危険性のある行為だといえる。従って「具体的危険説」においても未遂財は成立するものと考えられる。
そして「客観的危険説」であるが、単純な「客観的危険説」の場合は財布が存在しなかった以上は不能犯という結論になるが、「修正された客観的危険説」で考えるとYがたまたま財布を忘れる蓋然性は低く、やはり危険性は存在したと考えられ、未遂犯が成立するものと考えられる。
前述のように単純な「客観的危険説」には重大な欠点があるためにこれを採らないとすると、いずれの説によってもXについて窃盗罪の未遂犯が成立するため、Xについては未遂犯が成立すると考えることが出来る。
――やっぱ、半年分の勉強を一日でやれっていうのは少々無謀な気がしてしょうがない。
答えも苦労した割に自信ないし、なんか正直「無駄な努力?」のような感じだ。だいたい同じ問題が出るってわけでもないしね・・・
ともかくなんとか終わったのでこれはこれでよし! ということにしておこう。
So Long! 刑法.And Good by Forever といきたいものですなあ。なんとなく無理っぽい予感がするけど、とりあえず忘れよう。
ああ、今日は朝のニュースしかテレビを見れなかった。不毛な日だ・・・