「他人の痛みがわかる奴」の段(2002.9.18)
日朝会談で北朝鮮に拉致された人々の安否がわかったそうだ。
もちろん事実関係がはっきりしたわけではないので「わかった」といえるかどうかは微妙だが、北朝鮮が否定するのをやめて認めた以上、ある程度の信憑性はあるのだろう。
――それが多くの拉致された人の死亡情報だったとしても、である。
それにしても、と俺は思う。
やたらとインタビューに答える街の人とかも怒ってるのはどうにも奇妙だ。
家族や知り合いが拉致された当事者だというのならわかる。大いにわかる。怒ったって怒り尽くせないし、北朝鮮と国交を結ぶなんてふざけんなって思うのも当然だろう。
だけど、街行くそこのあんたは何の関係もないだろ。
人が死ぬというなら毎日もっと多くの人が交通事故で死んでいる。だけど自動車会社だとか飲酒運転の原因のビール会社に怒ったりはしない。
自分とは関係のない「どっかのだれかが自分の知らないところで死んだ(殺された)」ってことには変わりないのにな。
やっぱり怒りやすい相手ってのもあるだろうし、立場の相互互換性がないってこともあるだろう。負い目が無くて一方的に怒ることが出来るってのはさぞかし楽なんだろうな、とも思う。
それと非日常的なことだからピックアップされるということもあるのかもしれない。
だけど薄っぺらい怒りは、たぶん、すぐに忘れてしまうだろう。人は自分勝手な生き物だから。
――こんなことを書いてるけど、他人の痛みをわかるってのは、もし本当に可能ならばだけど、悪いことじゃないと思う。
だけど、だけどだ。
朝鮮学校へ嫌がらせをしたり、中学生の女の子に石を投げたり・・・ふざけんじゃねぇ。
こういう奴が目の前にいたら胸倉つかんで往復ビンタくらわせて「自分が何やってのかわかってんのか!」って怒鳴りつけずにはいられないだろう。
他人の痛みを理由に自分の欲望を満たすこういうクズは本当に許せない。
自分より弱者に刃を向ける、自分が普段は弱者だから。なにか自分よりも弱げな者をいつも血眼になってさがして、卑怯な手段で憂さをはらす。最低だ。
俺にはどうしてそんなことができるのか理解できない。理解したいとも思わない。
だが、これだけは言える。「心が傷ついたはずのその朝鮮人の少女の痛みはあんたにはわからないのか?」
わからないのなら、そいつは義憤のために行動したわけじゃない。ただの人間のクズだ。
他人の痛みがわかる人間なんていない。他人にできるのは想像できるだけだ。
でも想像するだけでいい。それだけで何が正しくて何が間違っているかは容易にわかるはずだ。
だから、俺は「他人の痛みがわかる奴」は信用しない。
だから、俺は他人の痛みがわかるなんて言えない。言えるわけがないんだ。