「ハンコ」の段(2002.3.30)
今日はハンコ――つまり印鑑の話。
今日、注文していた銀行印ができたので店にとりにいった。1万円ぐらいのものだが、一生ものだという。
これが就職先で口座をつくるために必要だったので、本当にぎりぎりに間に合ったというところだ。
もちろん象牙みたいないいもんじゃない――というかそんな象牙のなんか使いたくもないけど。
またそれとは別の話なんだけど、携帯電話の料金を自動払込にしようとしたら「印鑑相違」で払い込み依頼が拒否されてしまった。おかげでわざわざ3月分の料金を払い込みに行かなければならなくなってしまった。
しかして印鑑が違っていたかというとそんなわけがない。なにしろ実印用のフルネームのを郵便貯金用に使っていたのだから、他のものと間違いようがないのだ。
だから郵便局に行ってその旨を伝えると「改印届け」を書かされた。まあ、その程度の手間で済んだので僕としてもそれほど腹は立たなかった。
それにしても、だ。
日本の(東洋の)ハンコ文化というのは理解しがたいものがある。
どう考えても合理的とは思えないのだ。
印鑑なんて偽造しようと思えばいくらでも偽造できそうなものだから本人であるとの証明にそれほど役に立つものだとも思えない。それにもっとわからないのは「認印」どこにでも売っているような安物なのに、それがないと書類が通らないというのは馬鹿げている。やろうと思えば後で200円ぐらいのを買って来て押したってわかりゃあしない。意味があるとは思えない。
別にサインが絶対というわけではない。流れ作業ならサインよりハンコのほうがいいだろう。
でも、「認印」みたいな意味のない行為はいらないと思うのだ。
毎度のことだけど、意味のない慣習はキライだ。なんていうか虫酸が走るね。