「Change myself」の段(2002.2.16)


 昨日書いたことの続き――なのかな、これは? まあいいや。今回のテーマは「自分を変える」こと。
 なんか昨日は「環境が変われば自分も変われるかもしれない」というようなことを書いたような気がする。これだけだとなんだか舌足らずな気がするのでいろいろと関連することを書きます。

 まず最初に大前提として「人は簡単には変わらない」――これは事実。真理といってもいいかもしれない。ただし簡単には変わらないけど、少しずつは変わっていく。変わりたくても変わりたくなくても、やっぱり何かしら変わっていくものだ。
 自分自身のことを考えてみても、あんまり中身は中学生のころから成長してないような感覚だ(恋愛観とかね、昔からひねくれてたわけだ)。でも、いつのまにか誰もいない家に帰ってきても怖いとは思わなくなったし、あんまり敵を作らない生き方が出来るようになった(と思う)。あくまで昔の延長線上にはあるんだけど、それでも昔のままではいられない。
 だったら今のラインの伸びていく方向を望ましい方向へねじまげていくということもできるはずだ。そのことを言っているわけだ。

 大学に入って気づいたことなのだが、今の人格はやっぱり自分だ。――なんか変な表現だな。つまり、今のペルソナ(仮面)はそれが基本形なんだということ・・・ってまだわかりずらいな。
 高校の頃までは、今考えるとバカなことなんだけど、「自分は自分を演じてる」と思っていた。周りは知っている奴らばっかりだったから、彼らの期待している(あるいは見ている)「自分」の像に反する行動はできなかった。だから自分は「自分」を演じている、「本当の自分」はもっといい人間なんだ、とまあこういう理屈だ。
 でも、周囲に知り合いのいない大学に来てみても、やっぱり自分は変わらなかった。いや、変わろうとはしなかったと言ったほうが正確かもしれない。
 そこで気づく、今まで演じているつもりでいた「自分」は、実はそれが一番自然だったからそう振舞っていたんじゃないかってことに。このことに気づいた時、ちょっと人生観が変わった気がした。少なくとも、それまで嫌いだった「自分」を、好きとはいえないまでも「こんな奴が一人ぐらいいてもいいんじゃないか」ぐらいには認められるようになった。
 この話がどう冒頭に続くかと言うと、要するに現時点での自分自身を最初に全肯定して、そこから客観的に何が足りないかを考えられるようになり、そのために必要な環境(逆境?)も受け入れられるだろうという話だ。

 好きな言葉にこんなのがある。「人はなりたい自分になれる」――そう、少なくともなるための努力はきっとできる。少しずつでも前に進めば、振り返った時に変われた自分に気づけるんじゃないかと思うのだ。

 時には真面目な文章も書いてみたりする今日この頃(笑)

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