「ウガンダ」の段(2002.1.12)
今日の雑記はお年玉企画の2本立てです(?)
ウガンダが家に来たのである。
といってもウガンダ・トラではない(知ってる?)――ウガンダの小学校建設のために運動している人が来たのだ。
その人はまずインターホンで「ウガンダの子供達のための小学校を作る活動をしているので出てきてくれませんか」ってなことを言ってきた。
で、門まで出たらいきなり商品の説明をはじめやがった!?
小学校建設のためにコーヒー豆を売っているのだそうだ。
――しかし、それでいてそういう泣きおとし的な事情説明をぐだぐだと言う割には「いくらで買ってくれ」とはなかなか言い出さないのだ。
しょうがないからこっちから「おいくらですか?」と聞かなきゃならなくなった。何が悲しゅうて欲しくも無い商品の値段を聞かなきゃならんのか。ひたすら理不尽な状況である。
そしたらその人は驚くべきことを答えた――「1パックで1万2千円です」(1バックは12箱)
・・・おい。 ど〜考えても、いきなしそんな大金をパッとはたけるもんじゃないだろ。特に俺なんて明らかに学生だし。
俺が難色を示すとその人は「半分で6千円」とか言い出した。
それでもやっぱり俺にとっては高すぎるので断ろうとした。
すると奴は――あえて奴と呼ぶが――「ちょっと買いずらい人のために1箱でも売ってます」
・・・っざっけんなよ。最初ッから言えッ!! 最初ッから!!
しかも値段は1箱1000円。まとめ買いしてもお得になってない。
理念自体はいちおう賛同できるので1箱買ったが、かなりむかつかせてもらった。
これは途上国のものを適正な値段で買うというフェア・トレードではないのし、純粋な募金でもない。
こういうのはあんまり俺は好きではないのだ。
なんでかって言うと、募金的な意味合いを含むために本来成立しない取引をすることになり、経営努力を怠ったり、買った方が損をした気分になったりすることになる。やはり売買をするからには適正な「満足」が双方にあるべきだと思うのだ。
今回のような、ぶっちゃけた話「押し売り」――要件を言わずに呼びつけたり、高額のものから小出しにするやりかたなどは、やっぱり、甘えだと思うのだ。
不満足なものを買わされるぐらいなら純粋な募金の方がいい。
1000円ぐらいなら何も無くても出す気はあった。
中途半端なのは嫌いだね。