「ハードボイルド」の段(2001.10.6)


 「ハードボイルド」――それはミステリーの中の一つのジャンルであり、「は〜どぼいるど」と書くとなんだかなさけないものである(?)
 要するに今日読み終えたチャンドラーの「長いお別れ」の感想のようなものが今回の話題だ。

 この作品に関して言えば、名作と呼ばれるだけの事はあると思う。十分な読み応えだ。
 あれ、読み応えがあるってことは時間が長く感じたってことで――面白くなかったってことか?
 いや、たぶんそういうことではないと思う。確証はないが。

 主人公の私立探偵フィリップ・マーロウはかっこいい。男が惚れるかっこよさではなく、(もちろん女が惚れるかっこよさでもない)なんというか「孤高のかっこよさ」というものがある。
 まさにハードボイルドの真骨頂という奴だ。昔抱いていた「ハードボイルドの主人公は暴力とセックスしか頭に無い」というイメージはみごとにくつがえされました。

 それはともかくとして、ちょっとした考察をしてみよう。
 それは「ハードボイルドは一人称でなければならない」というものである。
 なぜならタフな内面を一人称で語らないで客観的に描写すると、どうしても主人公がキザったらしい単なる嫌な奴になってしまうからである。
 あまりハードボイルドを読んでいないのにこんな勝手なことを言っていいのかどうか不安だが、そんな気がする。

 さらにそこから考察を進めると、大きな疑問が浮かんでくる。
 それは「主人公は謎をちゃんと推理しているのにそれを語らない」というものである。
 一人称ということは「私」が考えていることを地の文で語るということである。
 なのに主人公はどうでもいいことは頭の中でぐだぐだ考えているくせに肝腎の推理についてはさっぱり語らない。考えていないはずはないのに行動するまで語られない。これはおかしいのではないか。
 なにも考えていることを全部書けと言っているわけではないが、重要なことを書かないのは一人称としておかしい気がする。三人称なら探偵役が語らないのは納得できるのだが・・・

 ともかくチャンドラーはまた別の作品も読んでみようと思う(「プレイバック」とかね)
 全作品を揃えるほど好きな作家(クイーンとか横溝正史とか)には程遠いが、別の作品も読んでみようかと思う程度には興味がわく作家にはなりそうです。
 あ、そうそう「ブラウン神父」のほうはさすがに古すぎる印象が強いですな。ダメという訳ではないが、ホームズやルパンを読むときと同じつもりにならないと少々点が辛くなります。

前のページ