「DV」の段(2001.10.13)


 今回はちょっと真面目に語りましょう。
 今日は「DV防止法」が施行されました。
 DVとはもちろんドメスティック・バイオレンスの頭文字ですが、そのドメスティック・バイオレンスとは何かっていうと、要は夫または内縁の夫からの暴力のことです。

 さて、まず最初に確認しておきますが、いままでは「夫婦喧嘩」として警察の保護を受けることは虐げられる妻はできませんでした。
 それは警察には「民事不介入」の原則があるからです。
 この「民事不介入」の原則というのは、正しい。
 プライベートな部分にまで権力が介入するのは望ましくないし、人員を割くことにもなる。

 と、こんなことを書くとDV防止法に反対なのかと思われるかもしれないが、そうではない。
 むしろこの法律には大賛成なのである。
 それはただの「夫婦喧嘩」として「犯罪」が見過ごされていた事実を改善するものだからである。
 本当のことを言うと、私は夫婦間で暴力が日常的にふるわれているということが理解できない。あることはしっているし、想像もするが、実感が無いのだ。
 同じことは児童虐待についても言えるが、身近にないことを理解しようとするのはとても困難だ。
 一般論で語ることしかできないし、他人事として考える事しかできない。だが、それでいいとも思う。
 当事者の考えも大切だが、大部分の人間は無関係である。だが、その無関係な人間が無関心なままならば現状を変えることは出来ないからだ。
 だから、私は無関係な立場から語ることにしよう。

 話を戻すが、世の中には家庭という閉じられた空間の中で犯罪が行われている。それは悲しいことかもしれないが事実だ。犯罪が行われているならば被害者を救わなければならない。それはとても当たり前の事だと考える。
 要は問題は「民事」でなく「刑事」なのだから警察は介入すべきだということである。
 だから私はこの法律では「足らない」と思うのだ。
 この法律では虐待を受けている妻が申し立てなければ接近禁止命令や退去命令を裁判所は出さない(この命令に違反した時に罰が課される)
 だが、犯罪が行われている以上、申し立てが無いからといって見過ごしていて良いものだろうか?
 もっと積極的に関与すべきではないだろうか。確かに児童虐待とはちがって被害者は大人なので申したてが必要だという考え方はありうるだろう。だが、精神的に追い詰められた人間は抵抗する気力をなくしてしまうケースが多々ある。だから受け身の対応だけでは救いきれないのではないかと思うのだ。
 もちろん関与する主体は警察には限られない。ケースワーカーのような人達でもいいだろう。何にせよ積極的に関与するということが必要だと考える。
 自己責任という考え方は基本的には支持するが、それが出来ない人にまで強制すべきではない。
 よく言われることだが、「法は不可能を強制しない」。その原則は守られるべきだ。

前のページ