「優先順位」の段(2001.9.25)


 先日も書いたことだが、私は図書館でタイの少女売春を無くす運動をしているNGOの本を借りてきた。
 で、まあそれを読んだわけであるが、そのことについて思ったことを書こうと思う。

 この本が書かれた頃はまだ例の法律はなかったので、日本から悪名高い「買春ツアー」が来ていた。ひどくみっともない話だが、事実だから避けて通るわけには行くまい。
 そのころの状況は貧しいタイ北部や少数民族の少女がシンジゲートに売られ、都会で強制的に売春させられているというものだった。おまけに客のために避妊もさせてもらえず、エイズにかかって多くの少女が死んでいった。
 そして、その状況をなんとかしたいと思った本の作者はNGOを立ち上げ、少女達を救おうとした。その記録が本となり、今わたしの手元にあるわけだ。

 これを偽善だと言う人もたぶんいるだろうけど、行為自体が正しければ偽善でいいと思う。
 動機や本心は問題ではない。結果が問題なのだから。

 この活動は大変素晴らしいことだと思う。ただ、そこで少しだけ心に引っ掛かりを感じた。
 それが「優先順位」のことである。
 例えば、売春させられている女の子と飢えて死にそうな赤ん坊と登校拒否の自分の子供がいたとする。この場合は誰を助けるのが正しいのだろうか?
 実際の人々は選択さえしないのだから選択する人はそれだけで偉いのだが、優先順位はつけることができるのだろうか。周囲の人を助けること、死に直面する人を助けること、人間らしい生き方をするよう助けること、どれも大切だがどれが一番大切なのだろう。
 新聞広告などで途上国の子供に学資を援助するフォスターペアレンツなどがあるが、それよりも飢えている人に食料を援助した方がいいのだろうか?
 答えが出るような問題ではないが、頭の中がすっきりしない。

 追記:文章が支離滅裂ですんません。

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