「ヒロシマの日なので原爆の話」の段(2001.8.6)
今日は半世紀ちょっと前、原子爆弾がヒロシマに落とされた日なのです。私自身は黙祷を捧げるような殊勝な人間ではないのだが、原爆とか核兵器とかについて思っていることを書こうかと思う。
まず、何から書こうか――では、最初に核兵器削減の話から。
私の立場を明らかにしておくと、「核兵器はなくせる」とか「核兵器をなくすことはできない」ではなく「核兵器はなくさなければならない」という立場です。現在はアメリカが自分勝手な防衛構想をうちだしたせいでまた軍拡が懸念される状況ですが、これはふざけんなよとしかいいようがない。
確かに抑止力ということだけを見るならば核を越える抑止力はなかなかないだろう。しかし、もし、万が一「何か」があった時、確実に世界が破滅する要因を放っておくことは正気の沙汰ではない。「何か」を起こさないための核だと言うむきもあるだろうが、「種」を残すことが生物の責務だとすれば一度に全滅する可能性を残すことは得策ではないだろう。
核を無くすための方法はいろいろと考えられるだろうが、どっかのNGOみたいに原潜をトンカチでぶっこわすのは――アレだな。まずは核をもたない国が連帯することと核兵器を「違法化」することが肝要であろう。
次に、「ノーモアヒロシマ」の話。
ステレオタイプな見方ではあるが、アメリカ人に「ノーモアヒロシマ」と言うと「リメンバーパールハーバー」と言い返されるらしい。
でも、これって議論としてはおかしい。
「もう二度と核兵器は使うべきではない」という話が「ノーモアヒロシマ」である。別にアメリカ軍の行為を断罪しようと言うわけではない。なのに日本軍を非難することで批判をかわそうとするのは筋違いもいいところである。
また、「原爆を落とさなければもっと被害者が出た」ということで正当化しようとする主張もあるが、仮にその主張が正しかったとしても「もう二度と核兵器を使うべきではない」という主張に対しては反論になっていない。
ただ「次」があってはならないというそれだけの話がなぜ理解できないのだろうか?
こんどは原爆に対する日本政府の話。
在外被爆者に金を出さない政府は実に愚かだ。裁判で負けても控訴するのだから救いようが無い。いったい正義と公正という言葉を担当者は知らないのだろうか?
非核三原則も無意味ではないにせよ守られているとは言いがたいし、唯一の被爆国としてもうちょっとなんとかならんのかね、まったく。
最後にどうでもいい話。
昨日市役所に試験を受けに行ったら、掲示板に「この市は非核平和都市です」という宣言をのせたポスターが貼ってあった――米軍も自衛隊もいないんだし言わなくても「非核」は当たり前だと思うが。
「はだしのゲン」は「少年ジャンプ」に掲載されていたという話を聞いたが本当なのだろうか?