「たけやさおだけ」の段(2001.6.14)


 「たけや〜さおだけ〜」とスピーカーで宣伝しながら住宅街を移動するトラックがたまに来る。というか昨日来た。
 毎度思うのだが、いったい商売として成立しているのか不思議に思う。
 物干し竿なんてそう何度も買い換えるものじゃないし、買う時にしても必要な時に買うもので売りに来たから衝動買いするようなものでもあるまい。それに買ったわけではないが、単価だってそんなに高いものじゃないだろう。
 どう考えても人件費、ガソリン代などを考えると割に合わないような気がするのだ。

 という疑問は置いといて、本題に入ろう。
 本題というのは「たけや〜さおだけ〜」の「や」とは一体なんなのか、という疑問についてである。
 
 まず最初に思いついた仮説、その1。『「〜や」とは「〜など」という意味である』
 つまり「竹とか竿竹とか売ってます」と宣伝しているのではなかろうかという説である。しかし、どう見ても商品は物干し竿のみだし、しかも竹ではなく鉄とかステンレスとかアルミとかで作られている。どうもこの仮説は違うようだ。

 仮説2。『「〜や」とは「〜屋」という意味である』
 世の中に「竹屋」という職業があるのかどうかわからんが、竹を売ってないことは確かだ。―――いや待てよ、ひょっとしたら「竹屋」というのは屋号かもしれない!!
 うむ、ありえない話ではない。おそらく江戸時代から続く操業300年ぐらいの歴史のある屋号で各地で暖簾わけをしているのだろう、知らなかったなあ。

 だが、あえて仮説3。『「〜や」とは「関西弁の言い切りの形」である』
 そうか「これは竹だ!!」と言い切っていたのか!?藤子不二雄のプロゴルファー猿が「ワイは猿や!!」と名乗るのと同じく訳の分からない男らしさに満ちている。
 ことによると「さおだけ」も「竿しか売ってない!!」という言い切りなのかもしれぬ。
 ここまで居丈高に出られるともはや買うしかあるまい。まさにサムライ。

 それでもまだ仮説4。『「〜や」とは感動詞である』
 よく古語などで「あな、うれしや」とか言う時のアレである。
 「ああ、竹なのだなあ」と詠嘆しているのかもしれない。だが、「竹なのだなあ」というのもいまいち意味が通じない。感動を表すのだから「うれしい」などの形容詞が前に来るのが自然だろう。
 ああ、分かった。つまり「たけ」とは「竹」でなく「高い」→「たけえ」→「たけぇ」→「たけ」となまったもので「なんて高いんだ、竿竹」と嘆いているのだ。
 そうか、そんなに高いのなら何本も売れなくても商売になるだろう。冒頭に書いた疑問も解けた。というわけで「〜や」は感動詞ということに決定。試験に出るから忘れるな!!

前のページ