「よく分からない反論 2」の段(2001.6.19)


 なんと珍しいことに再反論がすぐにあったのでそれに対して答えようかと思う。(関係ないがそんな暇があるなら「訂正」する暇もあるんじゃないのかという疑問が・・・まあいいか)

 まず、これは私に対する反論ではないのだがあまりにも「ツッコミを入れてくれ」と言わんばかりに書いてあったので一言。
 「文字ではそれ(捏造ややらせ)が出来ないから正々堂々の勝負ができる」
 ―――本気で言ってるのだろうか? どんな媒体であってもインチキはありうる。気をつけたほうがいいですよ。

 次に「日本軍の話」
 もちろん私は「日本軍って正義のヒーローだったんだ(笑)」という言葉を皮肉の意味をこめて書いた。それを「今ごろ気づいたか」と書かれても、困るだけだ。
 どうやら盗塁王氏の中では「大東亜戦争=善」で決まっているらしい。いい部分もあったかもしれないが悪い部分も確かにあったとは考えられないのだろうか?
 そもそも「過去の時代を、今の時代で裁く愚かさ」と言っているが、それが正義の戦争だったのなら今の時代からでも裁かれるようなことはしていないということになるのではないだろうか。上の言葉は「裁かれるべき悪行はしたが当時は仕方なかった」ということを前提とするものだろう。

 お次は「雷様問題」
 「言いたかったことがねじ曲げられる」と言われてもねえ。そもそも「雷様といわれて鬼をイメージすることで日本人が自然に神様が宿っていると考えているということを証明する」→「同じように古い考え方を中国人は持っているから中国は中華思想の国だ」という無謀な理論の話でしょうに。
 いつのまにやら「日本人が自然に神様が宿っていると考えている」という独立の話に彼の中ではなっているらしい。まあ、それはそれでお付き合いいたしましょう。
 本題だが、みんな心の奥に「全ての自然に神様はいる」という考えを持っていて、それを証明するのが、「あぁ、神様雨よ降れ!」と言うことや、「明日天気になーれ」と照る照る坊主にお願いすることだという。
 う〜ん、どうやら彼の中では単なる慣習と信仰との区別ができていないらしい。てるてる坊主なんて単なる慣習にすぎない。幼い頃「てるてるぼ〜ず〜、てるぼ〜ず〜、あ〜したてんきにしておくれ〜」なんて節をつけて歌ってた記憶があるが、それが信仰に基づくものだとは思えない。第一、神様ではなく「坊主」にお願いしてどうするんだ?(笑)
 関係ないが、見た感じから言えばてるてる坊主は「人身御供」の見立てのようにも思える。
 あと、私は「雨よ降れ!」なんて神様にお願いしてる奴は今まで見たことが無いのだが、そんなに一般的か?
 はっきり言わせてもらえば日本人がみんな「全ての自然に神様はいる」という考えを持っているならば残飯など出ないし、ゴミの不法投棄問題も起こりえない。ゴルフ場のために森を切り開いたりもしない。現代の日本人に自然を敬う心は失われたと言っても過言ではない。
 百歩譲って仮に心の奥底にそういう考えがあるとしても、それは恐ろしく優先順位が低いことだろう、無視しても構わないぐらいに。
 
 今度は「セーフガードの話」
 「何処が小細工なのか」―――普通の読解力があれば理解できると思うのだが、噛んで含めるように説明せねばならないらしい。面倒なことだ。
 根本的に私は「野党が中国との関係が悪化すると言った」=「野党が『中国との関係』>『日本の国益』と言った」と解釈するのはおかしいと指摘した。(詳しくは以前の記述を参照)
 ところが盗塁王氏は争いの無い「政府が『セーフガードを発令した』→『野党が中国との関係が悪化すると言った』」という部分だけをとりあげ、「こんな当たり前の事を広士さんはぐだぐだ言ってる」と言わんばかりの表現をした。これが小細工でなくてなんなのか。
 さらに今回彼は「まとめで言うけど、野党は「『中国との関係』>『日本の国益』」と言った。これは、事実だ」と書いた。争いのあった部分できちんと反証できていないにも関わらず自分の出したい結論を「まとめ」とするその図々しさはある意味賞賛に値する。私だったらとても出来ない。

 次に「歴史の話」
 私が「自国の歴史」と「世界の歴史」ではないかと指摘したところ、「自国を知らないで何が世界だバカヤロウ」と来たもんだ。自分で何を言っているのか分かってるんだろうか?
 中学・高校では『自国の歴史』と『他国の歴史』を習うと盗塁王氏は書いた。コレに従えば自国のことは「自国の歴史」で学ぶのだから「自国を知らないで」とはならないはずだ。
 それと世界の歴史の流れの中での日本の位置付けと言う観点からは「他国史」ではなく「世界史」であるべきだ。明治期以降しか世界史で(ほとんど)日本が出てこないのはそれまで世界史レベルでは日本が重要な役割を果たしていなかったということであり、偏狭なナショナリズムにとらわれずに済む。
 それに「世界史」の中で「日本史」の関係するところは除くなどと言うのは歴史が相互に影響しあって進むことを考えれば馬鹿げたことだ。

 で「歴史を学ぶ意義の話」
 「過ちって何?」―――これだもんなぁ。過去を学ばない人間は同じ事を繰り返す、合掌。
 「歴史は科学ではない」こう言われて、「じゃあ科学的事実はどうでもいいんだ」と思わない方が不思議と言うものだ。それなら聞くが「科学ではない」というのは何を言いたいのか?
 念のために言っておくが「物語だ」というのは答えにならない。それは無味乾燥に書くかどうかの違いであって「科学であるかどうか」とは別論だからだ。

 「一度でも歴史に興味を持たなかった、と言える(人)はいない」―――で、それで何が言いたいんだろうか。「いない」と何故断言できるのかも気になるところだが、過去のほんの一瞬興味を持っただけで今は何も興味を感じない人がどうかしたというのだろう。そうかもしれないしそうでないかもしれない。
 私に言わせればこの主張は「一度でも近親相姦に興味を持たなかったと言える人はいない」というのと同レベルである。エディプス・コンプレックスからはそう言えるかもしれないが、今考えていないならどうでもいいことだ。とても意味のある主張とは思えない。

 最後に「世界的定説の話」
 自分が最初に「世界的に定説になっていないことを韓国が修正要求してきた」と書いておいて、今更「世界的定説は無理だ」とはよく書けたものだ。
 ごく当たり前の事だが「定説」とは「異論が無い」ということを意味しない。イギリス以外の多くの国がワシントンを反乱軍扱いしていなければそれが定説だと言えるだろう。
 初めから「無理だ」と決め付けて前に進もうとしなければ進歩は無い。自分の国、自分の国とひきこもるのはひどくみっともない気がする。

 
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