「虫の話」の段(2001.6.11)
私の家の隣は空き地である。そしてそこに2本の低木が生えている。
その木は枝が密集していて鳥が侵入することが出来ない。
だからかどうかしらないが、そこにいるのだ「虫」が、大量に。
今もカーテンを開けると窓の向こうに無数の蛾が舞いまくっているのが見える。何匹かは網戸にとまって醜い腹をさらしている。
そしてそれを見るたび、私は身の毛のよだつような不快感を覚えるのだ。
不快感を覚えるのは私の美的感覚がシンメトリー的なきっちりしたものを好むということだけではない。そもそも私は虫が嫌いなのだ。
堤中納言物語の「虫愛ずる姫君」とかナウシカの気持ちはさっぱり理解できない。
だがしかし、物心ついた時から虫が嫌いだった記憶は無い。
では、何故私は虫を嫌いになったのだろうか?
一般的に言って虫といものはグロテスクである。蝶々だって拡大すればモスラみたいな物だ。
だが、単にグロテスクだから嫌悪感を感じるというのは違うような気がする。同じグロテスクでも蛸とかは全然平気だし。
理解できないというのはあるかもしれない。何考えてるかさっぱり分からないし、心が通じ合うこともないというのは不気味である。
しかし、これも決定的な理由にはなっていないような気がする。
そこで私が思い至ったのは「虫は死ぬから」という理由である。
そんな事言って生き物は皆死ぬじゃないかなどと茶化してはいけない。私は本気で言っているのだ。
虫は死ぬ、しかもこっちが殺そうと思わなくても、あるいは生かそうと思っても死んでしまうのだ。
そしてその動かなくなった死骸が残ってしまう。(さらにそれを潰してグチャッっと――
考えたくない!!)
たぶん私は虫を通して「死」というものを見ているのではないかと思うのだ。
漠然とした「死」に対する恐怖と嫌悪、それが死にやすい虫に転嫁されているのではないだろうか?
だから蚊のような叩き潰してもよく見えない小さな虫は腹が立っても嫌悪することは無いのだろう。「死」をリアルに感じないからだ。
ちなみに私が嫌悪感を抱く大きさの基準はアリ、蚊は大丈夫、カナブンはアウト、ハエがギリギリやばいぐらいだ。
だから、ひょっとしたら簡単には死なない「立派な王蟲」とかなら好きになれるかも。
・・・やっぱ無理かな?