「小学校の殺人事件」の段(2001.6.8)
今日、大教大付属池田小学校に37歳の男が乱入して8人の小学生が殺される事件があった。
・・・なんというか、ひどくやりきれない事件だ。
子供達は私の半分も生きることなく死んでいったのだ。理不尽なことこの上ない。
もちろん世界にはもっと苦しんでいる子供達が大勢いる。しかし、それでも身近に起こった事件だけに直接心に痛みがくるのだ。
「池付」は私の近所と言うほど近いわけではないが、「池付」の高校を私が受験する時にこの小学校の前を通ったり、国道176号線を通る時に「池付」の生徒を見かけることもよくある(制服なので目立つ)ので印象深いのだ。
今回の事件で「もはや学校は安全な場所ではない」ということが騒がれるようになるだろう。
確かに学校は無防備だ。それをどうやって改善するのか、予算などの限界もあるだろうし、広い学校でどうやって安全を確保するのかは今後の議論がまたれる。
だが、どうも時間の経過とともにあいまいに抜本的改革がなされないまま終わってしまう予感がする。悲観的すぎるのかもしれないが、そんな気がする。
犯人は「何度も自殺しようと思ったが出来なかったので死刑にしてもらおうと思った」などと口走っているというニュースを見た。ふざけんなよとしか言いようが無い。
死にたきゃ勝手に死ねばいい、どうして他人を巻き込めるんだ。
報道によると犯人は精神安定剤を常用している精神異常者らしい。
犯人は精神異常ということで死刑どころか罰を受けることさえない可能性が高い。
総論的には精神障害者に刑罰を適用できないというのは理解できるが、こういう事件が起こると心情的に納得できなくなる。
もちろん一時の感情に流されるのが正しいわけではない。しかし、この事件の犯人のような「社会の敵」を目にすると「本当にこれでいいのか」という疑問がもやもやと生まれてくるのだ。
唯一絶対の解決法なんてないことは分かっている。どこかで折り合いをつけなきゃならない。その妥協点が今の刑法なわけだ。極端な事件が起こると不満が生じるのは仕方ないのかもしれない。
犯人の論理の中で犯人なりに筋が通った思考をしているつもりだったとしたら、死刑制度が無ければ子供達は死なずに済んだのだろうか?
「もしも」という言葉は無意味だ。でも、ひょっとしたら、そんなことを考えると罰が罪を呼ぶという皮肉な結果に脳が停止してしまう。
世の中は理不尽だ。つくづくそう思う。