「歴史教科書あれやこれ」の段(2001.5.18)


 さて、最近また日本の歴史教科書に関する話題がちょろちょろと出てきているようなので、そのことについて記そうと思う。

 何から手をつけて良いのかわからないのでとりあえず軽い話から。例の「つくる会」が何箇所か自主訂正したそうであるが、その中に捏造問題で揺れた遺跡の事が含まれているそうだ―――って検定制度機能してないやん。なんだかな。

 お次は中国も修正要求を出したという話。なんと言うかテンポ遅いね・・・
 どうせ日本政府の対応は韓国に対するものと同じになるのにという気もしますが、こんなことで相手の外交カードを増やされて日本政府としてはいい迷惑でしょう。

 さて、お次は某テレビ番組での討論についてのお話。
 「つくる会」の人が「河野洋平談話」を持ち出していたが、すこぶる疑問である。なぜなら一つのケースにおいて河野洋平氏が誤認したからといってその件以外の慰安婦問題がなかった慰安婦の強制が無かったという証明にはならないからである。
 南京大虐殺についてもそれを見たというナチス党員の話は無視して自分の言いたい事だけを言っていた。自分に都合のいい資料だけを見るのは教科書をつくる人間の態度としてはいかがなものか。

 あと気になったのが、そのまんま東氏の「いつまで謝らなければならないのか」という発言である。おいおい歴史教科書は謝るための道具ではないだろう。根本的な勘違いだ。
 それと教科書とは直接関係のないことだが、過去の悪行を責められるのが嫌だというのはわがままというものだろう。
 「いつまで」という問いに対しては「相手の気の済むまで」ということになる。

 最後に盗塁王さんのHPの記述について一応書いておきましょうか。
 韓国の修正要求について「だいたいの感じでは『まだ世界的に定説になっていない説(しかも韓国に都合が良い)を日本に押しつけている』感が否めない」としているが、まああながち間違いではない。といってもそもそも「つくる会」が『まだ世界的に定説になっていない説(しかも戦前日本に都合が良い)を教科書にしている』感が否めないのでその反動と言えるだろう。
 さらに「中国は『中華思想』の国である」と断定しているが、実にステレオタイプな見方の典型例ですな。
 それと教科書問題を「国益」の問題に一本化しているのも疑問が残る。単純に教科書にふさわしくないから検定を不合格にすべきだと論じた人を無視して入る印象だ。
 しかもその後の論理構成が一面的にすぎる。
 まず、検定制度がある以上それにそって不合格だとすべきと論じることは言論の自由には反しない。逆に論じてはいけないとすれば、それこそ言論の自由が無いということになる。
 自分の作りたいものを教科書にする自由が無いという点で言論の自由が無いと主張するのであれば、批判すべきは「検定制度」であり、「つくる会を批判する団体」ではないのだ。
 したがってこの件に関して言論の自由が無いとして中供寄りの人間(これも決め付けなので使いたくはないが盗塁王さんの表現に合わせる)を批判するのは筋違いである。
 さらにセーフガード問題を「中国との関係」>「日本の国益」と決め付けているのには少々唖然とした。
 この問題では日本の消費者、日本の生産者、中国の生産者などさまざまな要因が働いているのは周知の事実である。「日本の消費者の不利益になる」「日本の産業が立ち行かなくなる」「その場しのぎに過ぎない」「日本の業者が栽培させているのだから背信的だ」などさまざまな主張がある。
 しかしそれを「中国との関係」>「日本の国益」とする議論ははじめて見た。なぜ初めてなのか、それはこの議論が本質的な誤りを含んでいるからである。
 セーフガードをしないことが中国との関係を良くする(悪化させない)方向だとします。ここでなぜ中国との関係を悪化させたくないのか考えてみよう。すぐに分かることだとは思うが、当然それは中国と良好な関係を築くことが日本の国益にかなうからである。
 つまり、比較対象は「セーフガードをしたときの日本の国益」と「セーフガードをしないときの日本の国益」であり、決して「中国との関係」と「日本の国益」ではないのである。
 あと、朝日新聞のことについての記述で勝手に「紳士規定」(おそらく紳士協定と言いたいのだろうが)があったとしているが、検定前の報道をしないことが紳士協定に当たるかは疑問の余地がある。(この件に関しては以前議論したので割愛)
 さらに読者の投稿欄が「いまや、苦虫を噛んでいるのはサヨクや左翼運動家だけである」としているが、おそらく盗塁王さんにしてみれば「苦虫をかんでいる人」はみんな「サヨクや左翼運動家」に見えるのだろうから論理が循環しておりこの主張には意味が無い。
 最後にどのあたりが「格言」なのか良く分からない俺的格言についてだが、まず「日本の戦争冤罪は晴らさないといけない」について。歴史的事実の検証はそれができればいいことだ。しかしなぜ最初から「冤罪」だと決め付けるのか?最初から「冤罪」だという偏った見方では正しい真実は見えてくるまい。同様のことは「ありもしない日本の戦争犯罪」という決め付けにも言える。
 「第三中立国をリーダーとした『大東亜戦争(こだわるね)における戦争について』を調べる研究センターを設立して欲しい」とある。それ自体は間違ったことではないが、同じページにある「韓国の主張する『日韓が歴史研究をする』というのには、賛同する」との記述に整合性がないだろう。
 最後の「日本の教科書に『内政干渉』してきた中国・韓国に、今度は日本が内政干渉すべきである」・・・やられたからやりかえすって小学生じゃあるまいし。人権問題などで発言する必要があればすべきだが、意味もなく内政干渉するなど愚の骨頂である。

 少々長くなったが今日はこの辺で・・・

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