「右翼的発想」の段(2001.4.7)


   私は“右翼的発想”が嫌いである。こう書くと「じゃあお前はサヨクなんだな」と思いこんでしまう人がいると思うのでちょっと説明させてもらいます。

 まず、私が嫌いなのは“右翼思想”では無いということを言っておきます。つまり、天皇が万世一系だろうが太平洋戦争が正しいと思おうが、それは世の中がブルジョアに搾取されて出来ていると考える左翼思想と同じように私にとっては全く関係の無い話であり、そう思い込んでいる人のことは「バカだなあ」とか「もうちょっと視野を広げたらいいのに」とか思っても「許せない!!」とは思わないのです。

 では、“右翼的発想”とは何なのか。実のところこの“右翼的発想”というのは右翼に限られるものではなく、宗教の原理主義などにも見られるものです。ただ、それが右翼を信奉する人々の間に特徴的によく見られるために便宜上“右翼的発想”と呼んでいるのにすぎません。
 その内容と何故私が“右翼的発想”に不快感を覚えるのかを以下でご紹介しますが、右翼的主張を具体例として出すことをご了承ください。

 まず、「世の中には右翼と左翼しかないと思っている」という部分を挙げましょう。
 右翼の方々は自分達の主義主張が受け入れられないとすぐに「お前らはサヨクだ!!」と言います。
 しかし、もちろん世の中はそんな二者択一のデジタルな世界ではありません。
 左翼思想と右翼思想の間には中道左派や、保守、革新などなどさまざまな考え方があるのです。
 にも関わらず、「サヨク」という言葉に侮蔑的な意味をこめることによって、“サヨク扱いされたくなければ自分達の意見を認めろ”とでも言わんばかりに自分達の主義に反する人々をサヨクに分類しようとするのです。
 そもそも「サヨク」という言葉に侮蔑的意味をこめること自体、相手の考えを尊重しない偏狭な考え方で不愉快だが、自分の主義に反するものは全て敵とみなす態度はさらに不快である。

 上で挙げたことに関連するが「右翼は自分の主義主張に反する相手を馬鹿にしようとする」ということも不快である。
 具体例を出そう。
 某個人ホームページでの記述だが、朝日新聞が「新しい歴史教科書をつくる会」にたいして批判的な論調の記事を掲載したことに対して“朝日は三流”“いつ潰れるのか”“左翼が買ってる”など揶揄した内容のことを書いていました。(注:このホームページの中では“左翼”という言葉はほとんど“愚か者”と同義に読める)
 これを本気で書いているとしたらかなり心配である。
 まず、発行部数からして朝日はまぎれもなく主要紙である。内容が悪かったり極端であったりすればこれほどの発行部数にはならないであろう。また、仮に朝日の購読者層が左翼であるならばとっくに共産党が連立政権入りをしていることだろう。
 おそらくポジション的に言えば朝日新聞は中道左派、読売新聞は中道右派といったところが妥当なところであろう。
 失礼な話だが上の批判は「新聞赤旗」にはあたっていると考える人は多くても朝日新聞にあたると考える人はごく少数の右翼信者だけだろう。
 自分と考え方が違うからといって、その意見に耳を貸すことなく全否定で、なおかつ相手の主張以外の部分を攻撃しようとする態度は不快である。

 次に「右翼は自分の主義を押し付けたがる」ということを挙げよう。
 例えば国歌・国旗である。
 私自身は酷い目にあったわけではないから「君が代」に関しては“ノリの悪い曲だ”程度の思い入れしかない。だから歌いたい奴は歌えばいいし、歌いたくない奴は歌わなくてもいいと思う。
 だが、なぜか右翼の人は歌いたくない人にまで歌うことを強制しようとする。それに対してははっきり言って「ふざけんな」である。
 生徒が自主的に「卒業式に国歌・国旗は必要ない」と決めたら街宣車で乗り込んできて威嚇する。国歌・国旗に反対する教師がいたら懲戒する。
 こんな馬鹿な話は無い。自分自身がどういう考えを持つかはその人の勝手だが、他人にそれを押し付けようとする態度には憤りを感じる。

 まだいくつ不快な点を挙げることはできるだろうが、結局のところ“右翼的発想”の他者の考え方に対する思いやりや寛容さに欠けており、対話する態度が見受けられないという部分に私は不快感を感じるのでしょう。
 「何が正しいか」ということは一義的に決めることは難しいことです。むしろ百人いれば百通りの「正しいこと」があって当然とも言えます。しかし、自らの正義を持ちながらも他人の意見を尊重して耳を傾け、自分の正義を修正していくことが大切である。そしてその作業を怠れば独善的になってしまうことは必然である。
 だから他人を尊重しない態度は良くないし、見ていて不愉快なのである。

 それと、「耳に痛い議論」というのはそれが自分でも正しいと思うから自分の信念との間で葛藤がおこり「耳に痛い」のである。
 どうか都合のいい部分だけを聞くことなく、耳に痛い議論も逃げずに正面から理解しようと努力するように右翼の人もなって欲しいものである。

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