「つくる会」の段(2001.4.5)
まず、前提知識ですが「つくる会」とは正式名称を「新しい歴史教科書をつくる会」という団体で、その目的は戦前の日本を正当化してナショナリズム教育をしようとすることです。
そしてそのあまりにも偏った内容から国内外の批判を受つつも教科書検定を突破した、というのが今回の騒動なわけです。
そこで、今回の騒動ではいろいろと考えることがあったのでちょいと論じてみようかなと思います。
まず、根本的に「つくる会」ってのはなんか間違ってる。
具体的に言うと「つくる会」の会長の主張ってのが実に笑わせてくれる。
例えば古代の班田制について曰く『「国民生活にとって、公正の前進を意味していた」と私たちの教科書ではきちんと書く。従来の教科書は「ひたすら農民は悲惨だった」という一面ばかりを異常なまでに強調したが、権力は常に悪だと言う階級闘争史観の、歴史教科書にだけ残っている時代遅れの観念である』だとさ。
歴史教科書を作ろうというぐらいなんだから当然奴婢や女性は貸してもらえる田が少なかったことや6歳から田を貸されて働かされること、運営上も家の近くの田を貸してもらえるとは限らなかったこと、そして農民は流浪・逃亡して班田制は100年もしないうちに機能不全に陥ったことぐらい知ってるだろうに・・・なんで正当化するんでしょうね。
さらに曰く『日露戦争で与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を取り上げるのは現代風の反戦平和主義を歴史に当てはめているから間違い』だそうである。
しかし、この主張は根本的な矛盾をはらんでいる。
なぜなら「つくる会」は“自虐史観をあらため、日本国に誇りを持てるようにする”ことを目標としているはずであり、与謝野晶子を学ぶことは“戦時下においても良識を持った人がいた”という日本にとって誇りうる事実だからである。
すくなくとも私は歴史を学んだ時に少数の反戦思想家の存在に救われた気分になったものだ。
他にも『韓国併合は日韓二国間の関係だけで説明できるものではなく、世界に開かれた理解の仕方を必要とする』という主張があるが、これもおかしい。
仮にその時にはそうすることが当然だったとしても、それが過ちであるならば反省しなければならないし、最低でも事実の提示にとどめてその当否は学ぶ生徒自身の判断にゆだねるべきである。どうしたって韓国併合を正当化することに合理性は無いはずだ。
『神話を尊重すると、たちまち皇国史観だというようなばかなことを言う非知性的態度こそ、恥ずべき愚昧である』という主張については、確かに間違ってはいない。神話・伝承には真実性が含まれる場合があるのはトロヤ遺跡でも明らかだしね。でもそれは歴史の教科書に載せるようなことじゃないと思うぞ。
で、一番笑ったのが『私たちは一つのイデオロギーに囚われるものではなく、イデオロギーに囚われた従来の一切の単調な歴史に反対するものである。』という主張。
嘘つけよ。滅茶苦茶イデオロギー偏ってるじゃねえか!!
なんかもうツッコミをいれてくれと言わんばかりの主張である。これを大真面目に言ってるのだからタチが悪い。
自分が多少なりとも偏ってると自覚していて“こういう見方もある”と提示しているなら分かるが、自分の見方が標準的だと信じ込んでるのが果てしなくバカっぽい。
ま、「つくる会」がなんかずれてるのはある意味分かりきってることなのでツッコむのはこの辺にしといて、お次は「教科書検定」について。
「つくる会」の教科書が合格したのは言論の自由からすればある意味当然の結果。日本には間違ったことを言う自由が保障されている以上止めることは出来ない。
実のところ私はこれまで教科書検定は言論の自由に反するものであって有害無益であると考えていたんだが、今回の一件で一応存在意義があるのかもしれないと感じた。
「つくる会」の教科書で検定意見の入った個所はあまりにも酷すぎる内容で、これがそのまま子供に教えられたら子供が偏った考えに陥る危険性が高そうだったからである。
まあ、「つくる会」の件を離れて考えれば“国旗を尊重しなければならない”とか思想統制を行おうとしている教科書検定はあまりいいものではないんだろうけど。
次に中国・韓国からのクレームについて述べるが、やれ内政干渉だとか右寄りの人は大騒ぎしてましたけどそんなに騒ぐほどの事も無いと思う。
日本政府が教科書検定の制度を曲げてまで「つくる会」の教科書を不合格にしたのなら確かに内政干渉で問題だが、被害国としては文句の一つも言いたくなるのは当然の内容だし、外交においては発言しなければ意思が伝わらないことも多い以上クレームをつけるのは目くじらを立てるようなことではないと思う。
ただ、中国のように自分の国を統治するのに便利だからといって必要以上に反日感情をあおる教育をしてる国に言われたくない、という気持ちも分からんではないけどね。
要は“歴史教育は何のためにあるのか”ということをわかっていない人が多すぎるのだと思う。
歴史を学ぶことは文化などのルーツを知ることであり、過去の事実を知ることでもある。が、その最も重要な役割は“将来において過去の経験を役立てること”である。
すなわち過去の過ちを繰り返さないことこそがその役目なのである。
だから下らないナショナリズムのために歴史を捏造したり必要以上に一部を強調したりすることは将来のためにならないどころか、対立を呼び憎悪を高めあうことにつながってしまうので間違いである。
一時のプライドや統治の効率化のために未来に禍根を残すような行動を取るのは愚かなことだ。
それにしても「つくる会」の人々は自分達の大嫌いな中国と自分達のやっていることが本質的に同じことだと気づいているんでしょうかね?
こういうのって何て言うんでしたっけ?―――あ、「人のフリ見て我フリ直せ」ですね(笑)