「安楽死」の段(2001.4.12)


 先日、オランダが世界で初めて国として安楽死を合法化(刑事訴追されない)した。
 日本では安楽死は殺人だが要件を満たせば罰しないということになっている。(ただし条件を満たした例はない)
 安楽死について皆さんはどう考えるのだろうか。
 ここでいう安楽死は「モルヒネなど鎮痛剤により結果として死期が早まる」タイプの安楽死ではなく、「筋弛緩剤などの毒物によりすぐに死なせる」タイプの積極的安楽死のことである。

 ところで私は安楽死に賛成であった。いや、今でも賛成はしているがゼミでの議論以来迷いが生じているのだ。

 まず「自分だったらどうしたいか」を考えると、回復する望みがなく激痛に襲われつづけるのなら楽にして欲しい。
 私はまだ死にたいほどの苦痛を感じたことはないが、それを感じている人に対して、何が何でも人は生き続けなければならないと強制するのは酷ではないだろうか。
 それは私だって人はできる限り生きるべきだとは思う、だがそれは幸せになるために生きるのであり、苦痛しか感じないことが確定している人にまでそれを求めるべきではないと思う。
 だから自殺はダメだが、安楽死は許されると私は考えている。

 人間にとって重要なのは「いかに長く生きるか」ではなく「いかに幸福に生きるか」なのだと思う。
 いたずらに延命治療を受けるのが幸せでないのなら、安らかに死にたいというのはわがままではないだろう。

 では、これだけ安楽死を認めているのに何故迷いが生じているのかである。
 それは安楽死というのは「医師の手によること」という条件が課せられているからだ。
 確かに安楽死を行う人間として医者以外にふさわしい人はいないだろう。
 だが、医者に「人を殺す」責任を負わせてよいのだろうか。
 手術で力及ばず患者を死なすことも有るだろうが、積極的に人を殺すこととはそれとは違う。
 死刑の執行でさえ、複数の執行官の誰がスイッチを押したか分からないシステムになっているのに、医者は最終的に手を下さなければならないのだ。
 罪悪感を感じないで良い事をしたと感じることのできる医者もいるだろうが、それを苦にする医者もきっといるだろうと思う。
 そんなの断ればいい、という人もいるかもしれないが、最後まで主治医に診てもらいたいと思う人や家族もいるだろうし、断ったことで罪悪感を感じることも有るだろう。
 それが私の悩むゆえんである。

 ちなみにオランダの安楽死法であるが、「死期が迫っていること」は条件になっていない。
 日本では安楽死をしても罰せられない為には必要な条件なのだが、これはどうだろうか。
 私としてはオランダのやり方でいいと思う。
 確かに闘病している間に特効薬が開発されるかもしれない。
 だが、そんな当てもない博打を強制するべきではないと私は思う。
 不治の病で、病状を遅らすための薬の副作用や病自身で見るに耐えないほど苦しんでいる人の場合、死期が迫っていないだけになおさら苦しみが増すばかりなのである。
 そんな人にはそれでも奇跡を信じて病と闘うか、今すぐに楽になるかを選べるようにすべきだと思う。
 薬の開発見込みが立っているのなら、耐えるように説得することで個別に対処するのが望ましい。

 さらにオランダでは肉体的苦痛に加えて精神的苦痛でも安楽死を認めている。
 例えば、子供が次々死んで、身寄りのない女性を精神科医が安楽死させたといった感じである。
 私はこれは認めるわけにはいかないと思う。
 まだ人間の精神のメカニズムが解明されているとは言いがたいこともあるが、人間はどんなに辛いことでも防衛機制が働いて、辛さに耐えることができてしまうようになっているからだ。
 それにどんな悲しいことも時間が過ぎるにつれて薄れていく、薄れさせたくなくても薄れてしまうのだ。
 さらに言えば、これからの人生でどんな幸せが待っているのか分からないということもある。
 だから、精神的苦痛によって安楽死をすることには私は反対である。

 結局安楽死の問題は個人の死生観に関わることであり、それを法が認めないのはよくないと思う。(当然厳しい条件は必要だが)
 だが、誰かが人を殺す重荷を背負わなくてはならないという現実的な側面も無視できない。
 特に、ヨーロッパのように宗教的基盤のない日本ではその重荷は重大な問題である。
 だが安楽死は必要なことであることには違いないので、医者へのケアを充実させた上で法制化することが望ましいと今の私は考えている。

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