「―――ただいま」
「お帰り、兄ちゃん」
浮かない表情でトムがアパートに帰るとジェミーが夕食の支度をしていた。
「!!ジェミー、ダメじゃないかちゃんと寝てないと」
「大丈夫だよこれくらい。それに寝たきりだとかえって体に良くないしね」
「そうか、でも無理はするなよ」
「わかってるって」
ジェミーは明るく笑ったが、次の瞬間はげしくせきこみだした。
「ジェミー!!」
「だ、大丈夫―――ゴホッ!ちょっと休めば直るよ―――ゴホゴホッ!!」
それから十分後、ようやく落ち着いたジェミーはベッドに横になっていた。
ジェミーは天井に向けていた視線をトムへ向けた。
「―――ごめんね」
「なんだよ、いきなり」
「僕はこんなだし、兄ちゃんの足を引っ張ってばっかりだ」
「たった二人の兄弟だ、それぐらいは当たり前だよ」
「僕―――もう、分かってるんだ。たぶん僕はもうあんまり長くは生きられないんでしょ」
「何バカなこと言ってるんだ!!お前は死なない、死なせるものか!!」
この時トムの脳裏にダグラスのいやらしい笑みが浮かんだ。八百長をすればジェミーは助かるかもしれない―――
「兄ちゃん、どうしたの」
ジェミーの声でトムは我に返った。
「いや、なんでもない」
トムは慌てて首を振った。
するとジェミーは再び視線を天井に向けて言った。
「―――僕は兄ちゃんが兄ちゃんで幸せものだね。僕、天国で父さんと母さんに会ったら自慢するんだ、兄ちゃんは世界で一番足が速いんだって」
「―――ジェミー・・・」
「―――なんだか疲れちゃった・・・今日はもう寝るよ。おやすみ、兄ちゃん」
瞳を閉じたジェミーはすぐに穏やかな寝息を立て始めた。
弟が完全に寝静まるのを見届けたトムは暗い部屋の中、一人つぶやいていた。
「―――俺はどうしたらいいんだ・・・俺は・・・」
そしてレース当日、トムはダグラスと対峙していた。
「決心は変わらないのかね」
ダグラスは相変わらずにやけた表情で言った。
「はい、俺は八百長をするつもりはありません」
ダグラスはトムの言葉にフンと軽く鼻を鳴らした。
「いいだろう。後悔するのはお前のほうだ、好きにするがいい」
「それではレースが始まりますので失礼します」
トムは一礼するとダグラスに背を向け、振り返ることなくスタート地点へ向かった。
大勢のギャラリーに囲まれる中、トムとリックはスタートラインに並んだ。
バン!!
号砲と同時にトムは全力で走り出した。目指すはゴールの山の頂上ただ一つ。
しばらく走りつづけたトムは山の中腹へ達しようとしていた。
後ろを振り返ってもカメの姿はまったく見えない。しかし、それでもトムは油断することなく走り続けていた。
その時、トムの目の前に給水ポイントが現われた。ちょうどのどが渇いていたトムは迷わずドリンクを手にした。
ドリンクを一息に飲み干したトムは突然手足の感覚が無くなっていくのを感じた。
な、なんだこれは・・・
足を止めたトムは道の脇の木にもたれかかった。もうまともに立っていることもおぼつかない。
視界が急速に暗くなっていく、その時まだ手に持っていたドリンクの存在にトムは気付いた。
―――薬・・・か・・・ダグ・・ラス・・・ちく・・・しょう・・・
トムは木から離れて一歩踏み出したが、そのまま地面に倒れこみ深い眠りに落ちていった。