「玉手箱」
「玉手箱」とその箱には書いてあった。
正確に言うならその箱の上に「玉手箱」と書いた紙が置いてあった、ということになるのだが、それは大した問題ではない。その箱が、つまり、「玉手箱」なのだというその指し示している意味が重要なのだ。
そもそも私がこの店に入ったのはただの偶然だった。友人と待ち合わせをしていた私は待ち合わせ場所で20分待ちぼうけをくらわされたあげく、その友人から「すまん寝坊した!あと30分待ってくれ」という理不尽なメールを受け取ったのがことの始まりだ。
そこで怒って帰る、という選択肢もないではなかったのだが、今まで待った20分を無駄にするのもしゃくだったので私はとにかく友人を待つことにした。
前もってこうなることがわかっていたのなら何かヒマつぶしのネタを用意していたのだろうが、今回は何の用意も無い。そういう場合にどうするかと言えば、多くの人がそうするように私も付近の店を散策するのが毎度のパターンなのだ。
そうして当ても無くぶらぶらと歩き回っていた私は一軒の店の前で足をとめた。その店は今時珍しい木の柱などが剥き出しになった和風建築で、ショーウィンドウのようなものはなく、その代わりに商店街の八百屋にあるような腰ぐらいの高さの木製の台に売り物とおぼしき品物がごちゃごちゃと置いてある。これがどこかの下町にでもあったのなら違和感はなかったのだろうが、再開発の進んだこの駅前周辺にあってはいかにも場にそぐわないという印象だ。
目線を上にあげれば頭上の看板には「珍宝堂」とミミズののたくったようなお世辞にもきれいとは言いがたい文字で黒々と墨書してある。それでなくても読みづらい字なのに、看板自体が汚れで黒ずんでいるため看板の文字は見ようと意識しないとかなり認識しにくく、看板としての役割を果たしているとは思えない。それにしても思いきった名前をつけたものだ。
今度は目線を下げ、私は商品に目を移す。するとそこには驚くべき品物の数々が私を待ちうけていた。
まず目に付いたのはシャーロック・ホームズがくわえていそうなパイプである。商品にはそれぞれ説明の書いてある札のようなものがついているのだが、それによるとこれはかのマッカーサー元帥のパイプなのだそうだ。証拠としてどこかの本のコピーから切り抜いてきたと思われる写真が添えられている。私も見たことがある飛行機のタラップから下りようとしている写真だ。しかし写真の彼がくわえているパイプと目の前のそれが同じであるかどうかは私には判別できなかった。
その次に目に入ったのは宮本武蔵が厳流島で佐々木小次郎を倒した櫂を削った木刀だ。これを買うとおまけで五輪書(しかも直筆サイン入り)が付くらしい。いったいどうして武蔵の木刀にあやめ池公園の文字がうっすらと見えるのかはわからないが、とにかく珍しいには違いない。
まだまだその他にも「ナポレオンの辞書」やら「千利休の茶匙」やら「ベーブルースが予告ホームランした球」やら古今東西の財宝が所狭しと、というか雑然と置いてあった。しかもこの大英博物館にも匹敵する財宝の数々は全て、高いものでも10万円以内で買えてしまうらしいのだ。
私はそのあまりの馬鹿馬鹿しさに、妙に引き込まれてしまった。そしてそのまま私はふらふらと何かに吸い寄せられるようにして店の中へと足を踏み入れてしまったのだった。
店の中はいくつかの裸電球がぶら下げられているだけで、昼間だというのにひどく薄暗い。これは雰囲気を出すということもあるのだろうが、おそらく明るいとあまりにもボロがはっきり出すぎるためだろう。
私はゆっくりと店内を見まわしてみた。店の外もごちゃごちゃしていると思っていたが、中はそれ以上の乱雑さだった。背の高い棚で区画が区切られ、棚には何の法則性もなく様々な物が置いてある。店内は古い物を扱う店にありがちな特有の臭いが満ちていて、おまけにひどくほこりっぽい。
そしてそんな店の中を見回していた私の興味を引いたのが、件の「玉手箱」だった。
「玉手箱?」
私は思わず声にだしてひとりごちていた。
見たところ大きめの弁当箱ぐらいの黒いその箱はおそらくかつては紫色であっただろうと思われる紐で封がしてあった。言われてみれば浦島太郎の玉手箱に見えなくも無いが、重箱か書道道具を入れる硯箱にも見える。
「その箱が気に入りましたかな?」
突然背後からかけられた声に私は振り向いた。見ると店の奥から老人がこちらに向かって歩いてきていた。60歳は越えていると思うのだが、私はあまり人の年齢を当てるのは得意ではないのでよくわからない。茶色いベストを着てニットの帽子をかぶったその様子はいかにも骨董品店の店主といったいでたちだ。一言で言えばうさんくさい、ということになる。
「あ、はい、まあ・・・」
私は少しどぎまぎしながら答えた。店に誰かいるのは当然のことなのに、どうしてかその時の私は声をかけられるまでその場に自分しかいないような気になっていたのだ。
「どうです、本物の玉手箱ですよ。いい品でしょう」
老人は私の隣に立って玉手箱の置いてある棚の段を見下ろした。つられて私も再び玉手箱を見る――と、私はちょっと気になることを発見した。
私は玉手箱を見たまま老人に話しかけた。
「これは玉手箱なんですよね?」
「そうですよ」
うなずく老人。さらに私は質問を続ける。
「でも・・・未使用なんですよね?」
箱の上に置いてある「玉手箱」と書かれた紙、その「玉手箱」という文字の脇には赤マジックで「未使用」とカッコ書きがなされていたのだ。最初見た時にその文字に気づかなかったのは、あまりにその字が汚かったために模様か何かかと思ったせいだ。その特徴のある汚い字は表の看板のものと同じもので、どうやらこの老人によって書かれたものだろうと思われた。
「そうですよ」
再びうなずく老人。私は少々大人げない気もしたが、疑問を老人にぶつけずにはいられなかった。私は老人に顔を向けて言った。
「それはちょっとおかしいんじゃないですか。だって浦島太郎は物語の最後に玉手箱を開けて老人になってしまうんですよ。だったら未使用ということはないでしょう?」
「ふむ・・・」
老人は私の目をまっすぐに見て聞き返してきた。
「気になりますかな?」
「なりますね」
私が即答すると老人は笑みを浮かべた。
「ではこの玉手箱の由来をお教えしましょう。そうすればきっとお客様も納得されることと思いますよ」
そして急にもったいぶった口調で語り始めた。
「室町時代のことですが、瀬戸内海のとある島で漁師をしていた太助というものがおりましてな。この時代のことですから庶民に名字はないんですが、猿島で漁師をしとったものですからさしずめ猿島太助といったところですかな。
この室町時代というのがミソでして、もう庶民の間でも浦島太郎の話は相当に広まっていまして、太助もその話を知っておったんですな。
ですから同じようにいじめられていたのを助けてやった亀が恩返しに来た時も、戻ってきたらはるか未来になるとわかっていたんですが、どうせ身寄りがないからということで太助は竜宮城へ行ったわけです。そしてやはり帰る時にこの玉手箱を渡されたらしいのですが、浦島太郎の教訓にしたがってふたを開けることはしなかったということです。
そして戻ってきた時にはもう江戸時代で、この玉手箱は稀代の珍品ということで時の将軍に献上されて江戸城の宝物庫に長らくしまわれておったんですが、維新のどさくさで流失したものがまわりまわってここに来たというわけです」
「ははあ、なるほど・・・」
それならば一応筋が通る。完全に嘘だと興ざめするが、大嘘でも筋が通っていれば楽しめる。こういう真贋のはっきりしないものは「ひょっとしたら」が面白いのだ。
そう言われて再び見ればこの重箱みたいな箱も江戸時代以来の風格があるような気がしてくるから不思議なもので、私はすっかりこの玉手箱に魅せられてしまった。そしてその時私の口は何かに操られたかのように勝手に動いていたのだった。
「この玉手箱――おいくらですか?」
「で、買ったのか」
「ああ」
いかにもあきれたといった口調で問いかける目の前の男に私は答えた。
ここは待ち合わせた駅前にあるファーストフード店の2階で、向かいの席に座ったこの男が待ち合わせていた友人である。遅れたおわびに昼飯をおごるとのことだったが、予算は500円以内だというので結局この手の店に落ちついたのだ。
友人はテーブルにおかれた玉手箱をしげしげと眺めながらコーラをずずっと下品な音をたててすすった。
「いくらしたんだ?」
「希望小売価格5万円のところを2千円で買った」
「2千円だぁ!? そんだけありゃあいったいどれだけハンバーガーがいくつ食えると思ってんだよ」
希望小売価格ってメーカーでもあんのかよ、というつっこみを期待したのに返ってきたのはみみっちい反応だ。このままではまたぞろ「うまい棒換算」や「チロルチョコ換算」をしはじめかねない。私はハンバーガーの包み紙をまるめながら言った。
「ハンバーガーなんて2個も食べれば十分さ。食い終わったんなら、そろそろ出よう」
「まあ待てよ」
友人は玉手箱を鞄にしまおうとした私の手をつかんだ。そしてもう一方の手で器用にコップのふたを開け、中の氷を口に流し込む。
そして、ひとしきりガリガリと氷を噛み砕いた後、友人はあっけらかんと言った。
「せっかくだからその箱開けようぜ」
「はあ?」
「開けよう、今すぐ」
「お前、さっき興味なさそうなこと言ってただろうが。っていうか、持ち主でもないお前が勝手に決めるな」
「まあ、それはそれだ」
さすがに自分から時間を指定しといて平気で遅刻する男だ。やることなすこと、どころか思考回路まで大雑把な作りになっているらしい。
私はいったん玉手箱をしまおうとした手をひっこめ、この男にもわかるように理路整然と説明することにした。
「いいか、こういう物は真実を確かめないところのが重要なんだ。もしこれが本物だったら・・・そういう想像をして楽しむことにこそ価値があるんだ。マジックだって種あかしをされると面白みが半減するだろ? こういうものはあえて真実に目をつぶって――」
「あ、悪い」
見ると友人は何やら細長いものを指先でつまみあげ、ぶらぶらさせていた。そして頭をかきながら愛想笑いを浮かべ、
「いや〜、結び目をほどこうとしたら紐がちぎれちまった。てへっ」
「話を聞けっ! それと可愛くないからてへっとか言うな!」
「おいおい店の中で大声を出すなよ、みんな見てるぜ」
私がはっとして店内を見まわすと、あちこちのテーブルでこちらを見ながらひそひそ話をしている人達の姿が目に入った。中には明らかにこちらを指差している者もいる。私は顔が熱くなるのを感じながら思わず立ってしまった席に座りなおした。
そして恥ずかしい思いをさせられた元凶である目の前の男をにらみながら、声のトーンを落として言った。
「お前勝手になに紐をちぎってるんだよ」
「すまん。許してくれ。――ところで、そろそろふたを開けたいんだが、いいよな」
「いいわけないだろっ。大体、ギリシア神話から鶴の恩返しまで古今東西『開けちゃいけない』というものを開けたらろくな結果にならないっていうのは常識だぞ。それでも開けるっていうのか」
すると友人は腕組みをして2秒ほど考える仕草をした後できっぱりと言った。
「うむ、中が見たい」
こういうところだけは無意味に男らしい。私がまた文句を言おうと口を開きかけると、友人は続けて言った。
「それに紐がちぎれたこの状態だと何かの拍子に開いちゃうかもしれんぞ。突然鞄から煙が出てきて老人になるのは嫌だろ?」
確かにそうだ。改めて玉手箱を見ると何やら禍々しいオーラさえ感じるような気がする。言ってみればこの玉手箱は封印の解かれた悪魔やビンに入ったニトログリセリンにも類する危険極まりない代物なのだ。
私の沈黙を肯定と解したのか、友人はすばやく両手を玉手箱のふたにかけた。
「そうそう、どうせ開くんだったら自分から開けた方がいいよな。んじゃ、いくぜ」
「あっ、待てっ」
「そりゃ」
カポン、と間抜けな音を立てて玉手箱のふたは開かれた。反射的に私は目をつぶり、両腕で顔をかばう姿勢をとる。
そうして沈黙の数秒間が過ぎ、私は恐る恐る目を開けた。
私の視界がとらえた最初の映像は、この男にしては珍しく、両眉の間にしわを寄せて悩んでいる様子の友人の姿だった。もちろん、というべきか別に年をとっているわけでもなく見た目はそのままだ。
まさか玉手箱の効果で単純な脳ミソが複雑になったんじゃないだろうな、と思いつつ私は友人に声をかけた。
「なあ、結局玉手箱の中身はなんだったんだ?」
「ん、ああ・・・」
私の存在に改めて気づいたらしい友人は私を一瞥すると、机の上の玉手箱を指差した。
「俺にはよくわからんのだが、こりゃあいったいどういう意味だ?」
私も開かれた玉手箱のなかを覗いてみる。と、そこには一枚の紙片が入っているだけだった。そしてその紙片にはなんだか見覚えのある汚い字で「キボウ」とだけ書かれていた。その他には何も無い。
やがて全てを把握した私は、思わずその場にいない老人に向かって文句を言っていた。
「じいさん、これじゃあ、話が違う」
<終劇>
あとがき
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