「さやかさんと最後の一葉」

 はぁ……
 小夜香は今日56回目となるため息を盛大に吐きだした。病室のベットで物憂げにため息をつく長い黒髪の美少女――絵になっている、といっては病気に苦しむ当人にとって失礼なのかもしれないが、シンプルなパジャマに身を包んだ上半身を起こし、窓の外を眺めるその姿はあまりにもはまりすぎていて、見ている者にそれが現実の光景であることを疑わせるのに十分なほどであった。
「ちょっと〜、人の目の前でため息はやめてよね。こっちまで気がめいってくるじゃない」
 そんな小夜香に文句を言うこのブレザーの制服を着た少女の名前は真紀。小夜香とは対称的に活発そうな栗色のショートカットで、「美しい」というよりは「かわいい」という形容詞が似あうタイプだ。真紀は小夜香の親友で今日も学校帰りにお見舞いに来ているのだった。
 小夜香はちらと一瞬真紀に目を向けた後、再び窓の外に視線をさまよわせた。
「もうすぐ、冬になるのね……」
 小夜香の言葉に真紀も窓の外に目を向けた。ほんの一週間ほど前までは色づいた葉に彩られていた窓の外の木々は今は色を失い、残滓のような褐色の葉がまばらにくっついているだけだ。そしてしばらくすれば、それも落ちて焼芋の燃料になる運命であろうことは明白なように思われた。
「そうだね、台風もいっちゃったし、もう秋も終わりかな?」
 独り言だったかもしれないとは思いつつ小夜香の言葉に真紀は答えた。
 すると、小夜香はまたまた大きくため息をついた。
「あのね〜、だからそのため息はなんなのよ!? 気になるじゃない!!」
 カチンときて思わず声を荒げてしまった真紀ははっとして他に誰もいない病室を見回した。もちろん小夜香はいつもこんな感じなので、この程度で本気で怒っていては友達などやってられないのだが、あまり病院で騒ぐというのも問題だろう。真紀は声のトーンをいくぶん落として小夜香に言った。
「ね、お願いだから、なにか悩んでることでもあるんだったら言ってよ。あたしで力になれることなら力になるし。言ってくんなきゃわかんないよ?」
 小夜香はそこでようやくクスリと笑い、真紀を見て微笑んだ。
「ありがと。まーちゃんは優しいね」
「え? ええ!? そそそ、そんなこと全然ないよ」
 あまりにもストレートな物言いに思わず真紀は動揺して赤面してしまった。両手をほほに当てると熱を持っているのが自分でもわかる。うひー、恥ずかしい。小夜香は前触れもなくああいったことを恥ずかしげもなく言ってくることがあるのだ。まったく油断がならない。
 そして小夜香はごく自然な調子で真紀に言った。
「そんなこと、あるよ。まーちゃんがいつもお見舞いに来てくれるから、ここの生活も我慢できるの。いくら感謝してもしたりないわ」
「大げさだよ〜。それにあたしが来たくて来てるんだから、感謝とかそんなのナシ! ほんっとに気にしなくていいんだから。だって友達でしょ」
「……だから、まーちゃんは優しいのよ」
 とどめの一言で、耐え切れなくなった真紀は小夜香から目をそらした。これ以上あのお人形さんのようなきれいな顔に面と向かってほめられたらどうにかなってしまいそうだ。
 真紀は上気した顔をごまかすように、そらした視線の先にあった窓を指差した。
「あ、そ〜だ。そういえばさっきから外を見てため息ついてたのは結局なんだったの? 気になってしょうがないんだけど」
「ああ……そうね」
 再び小夜香は長いまつげをふせて憂いに満ちた表情を見せた。
「なんだか、私を残して世界だけが先に進んでいるような……そんな気がしたのよ」
「え? どういうこと?」
「ここは快適だわ。温度も湿度も、何もかもいつも同じ。だけど、外の世界はいつの間にか季節が始まって、終わっていく。そして私はここからそれを眺めるだけ……」
 小夜香の独白に真紀ははっと胸をつかれた。こうして話しているとまったく普通のようだが、それでもやはり小夜香は病人なのだ。詳しいことは教えてもらえていないが、かなり珍しい病気とかで、もうずいぶん長い間、小夜香はこの病室を出たことがないはずだ。自分にとってここは数ある場所の一つだが、小夜香にとってはここが世界の全てなのだ。
 思ったことが顔に出てしまっていたのだろう。小夜香は困ったような笑みを浮かべた。
「そんな顔しないで。私、まーちゃんの笑顔が好きなのよ。だから最後までまーちゃんには笑っていて欲しいの」
「最後って――最後って、どういうこと?」
 小夜香は真紀の問いに視線を落とした。
「私に残された時間は……もうほとんどないの」
「そんな! お医者様にそう言われたの?」
 小夜香は窓の外を向き、窓に映る真紀に話しかけた。病室の前に植えられている今はもう数枚の葉を残すのみとなった銀杏の木と物言いたげな真紀の顔が重なって見える。
「いいえ……でもわかるの。私自身の体のことだもの。きっと私の命はあの銀杏の木の最後の葉が落ちる時、一緒に散るの」
 小夜香の言葉の後、ただでさえ静かな病室は呼吸さえはばかられるような重い沈黙に支配された。そして二人の見守る中、一陣の風が残った葉をさらに散らしていった時、真紀は沈黙を破って小夜香に呼びかけた。
「小夜香さん――」
 真紀はたっぷり一呼吸置いて言った。
「たしか、去年も同じこと言ってなかった?」

<終>

あとがき

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