「黄色っぽい部屋の秘密」

「――というわけなのよ。わかった?」
「さっぱりわけがわかりません」
 知美の問いかけに哲夫は一瞬の迷いもなくきっぱりと答えた。普通、わかったかと聞かれてわからないと答えるのには勇気がいるものだが、何事にも例外というものはある。例えば――
「家に帰ったら鍵が開いてて、知り合いと見知らぬ女の子達が自分の部屋で勝手にくつろいでて、あげく第一声が『というわけなの』でどうわかれというんだ」
 こんな場合だ。
 言い終えた哲夫は玄関口から左腕を振って部屋の全体を指し示した。正方形に近い七畳のワンルームは座卓にコの字型に座った知美と見覚えのある学生服を着た二人の少女と、哲夫のベッドの端に腰かけている同じ制服の少女で占拠されていた。明らかに定員オーバーだ。
 知美ははっと馬鹿にしたように軽く笑った。
「見てわかんない? あたしが教育実習に行ってることは知ってるでしょ。あたし達の母校の制服着てるんだから、あたしの教え子達に決まってるじゃない」
「いや、それ以前に何で部屋の中にいるんだよ」
「女の子を外で待たせるわけにもいかないでしょ。だから悪いとは思ったけど、勝手にあがらせてもらったわ」
「そうじゃなくて! 僕は確かに鍵を閉めたし、合鍵だって渡した覚えはないぞ」
「こんな旧式のシリンダー錠、鍵の内にも入らないわよ。それよりそんなとこ突っ立ってないでこっち来て座りなさいよ」
 知美は座卓の唯一空いたスペースを叩いて言った。どっちが部屋の主かわからないが、今更言っても無駄なのはわかりきっている。哲夫は一旦外に出て鍵が正常に動作することを確認してから部屋に入り、肩にかけていた鞄を置いて知美の横の席に座った。
 すると知美は両手を軽く打ち合わせ、うれしそうに言った。
「さて、みんなに紹介するわね。この部屋の主の哲夫君です。どんな奴かはさっきまで話してたとおりだから」
「ども、こんにちは」
 哲夫が軽くおじぎをして顔を上げると、「あーこれが例の」とか「ほーほー、なるほどねえ」という幻聴が聞こえてきそうな生温かい視線が女子高生達から返ってきた。いったいどんな説明をしたのか非常に気になるが、聞かない方が幸せかもしれない。
 そして知美はそのまま今度は自分の教え子の紹介に入る。
「じゃあ、今度は哲夫にみんなを紹介するわ。あんたの向いに座ってるエロっちい体をしてるのが小百合ちゃんで、あたしの向いに座ってるロリっ子が瑠璃子ちゃん、で、そこのベッドに座ってるのが七海ちゃんよ」
「わ、私、エロくないもん!」
「ロリっ子……」
「ウチって特徴あれへんのか!?」
 三者三様の反応で知美の紹介に不満を示す女子高生たち。わかりやすいと言えばわかりやすいが、確かにこの紹介はないだろう。この話題を引っ張るのは得策ではないと判断した哲夫は知美に問いかけた。
「で、いったい何だって僕の部屋に教え子を連れて来たんだ? 自分で言うのもなんだけど、こんなとこに来たって面白いことなんて一つも無いだろ」
「そう? 一人暮らしの男の生態とか、案外面白いかもよ――っていうのは冗談で、実はそこの小百合ちゃんに質問されたのよ。『学校を卒業しても友人関係は続きますか』って」
「それで、僕の部屋に来たって?」
「そうよ」
 当然と言わんばかりにうなずく知美に哲夫は呆れ声で言った。
「いや、それだったら同じ大学に行ってる僕じゃ参考にならないだろ。どっちかっていうと如月さんとか岩崎さんとかの方が適任だと思うんだけど」
 知美は哲夫の指摘に数秒間硬直すると、小百合の方に顔を向けて微笑んで言った。
「これが答えよ。わかった?」
「今の流れでどうしてそんなセリフが!?」
 哲夫が思わず反射的にツッコミを入れると、唐突に拍手の音が部屋に響き渡った。音の方を見ると、ベッドに座った七海と呼ばれていた少女が拍手していた。そして哲夫と目が合うと親指を立てた右こぶしをうれしそうに突き出した。
「ナイスツッコミや、哲夫兄さん!」
「に、兄さん?」
 七海は立ち上がって座卓越しに身を乗り出して戸惑う哲夫の手を取った。
「突然のボケに対して瞬時に反応できるそのツッコミの才能、埋もれさすには惜しい! どや、ウチと一緒にお笑いの頂点を目指――」
 その時、座卓の横から飛んできたチョップが七海の頭頂部によってセリフは途中で強制終了させられた。そして舌を噛んでのたうちまわる七海を完全に無視して瑠璃子は右手の手刀をさすりながら哲夫に軽く頭を下げた。
「お見苦しいものをお見せしてすみませんでした。アレはほとんど病気なので気にしないで下さい」
「君もいろいろ苦労してそうだね……」
「いえ、哲夫先輩程ではないと思います」
 瑠璃子は知美を横目で見て言った。そしてその視線の先をたどって何事かを察した哲夫は知美の教え子だという女子高生達に尋ねた。
「あー、それで知美――先生はちゃんとやってるのかな」
 喉元まででかかった「何をやらかしたんだ」というセリフを抑え込んでの質問に、哲夫の正面に座った小百合が小首をかしげて答えた。
「なんというか――すごいですよ」
 瑠璃子も同調してうなずく。
「そう、確かにすごいですね」
「すごいって、何が?」
 要領を得ない答えに哲夫がさらに尋ねると、いつの間にか復活していた七海が答えた。
「せやね〜、まず最初っからすごかったで。なんせ第一声が『貴様らはクズだ!』やったもんな〜」
「そうそう、それで『話しかけられた時以外は口を開くな! 答える時は前と後に『サー』をつけろ、分ったかクズども!』だもんね、びっくりしたよ〜」
 それは「びっくりした」ですまされる問題なのか。哲夫が知美に視線を向けると、知美は頭の後ろに手をやって照れ笑いを浮かべた。
「いや〜、人心掌握には尊厳の剥奪が効果的だって聞いたもんだから試してみたんだけどね〜。掌握する前に教頭に怒られちゃったよ。あはは」
「どこの独裁者の理論だよ、それは。つーか、学校で試すな」
 むしろよく訴えられなかったなと言うべきか。哲夫が顔をしかめると、とりなすように瑠璃子が言った。
「まあ、知美先生は人気ありますよ。なんだかんだで教え方もうまいし、面白いし、美人だし。多少? 型破りなとこはありますが」
「あら、面と向かってほめられると照れるわね。瑠璃子ちゃんたら正直者♪」
 嫌がる瑠璃子の頭を身を乗り出してなでながら知美は得意げに哲夫に言った。
「どうよ、あたしの見事な教師っぷりは」
「不安以外の何物でもないな」
 哲夫が素直に答えると、瑠璃子を解放した知美は元の位置から哲夫を軽くにらんだ。
「む、失礼ね。あたしはちゃんと高校時代に『こんな先生がいたらいいな』と思った先生のイメージ通りにやってるわよ」
「すまん、不安が増した」
「どういう意味よ、それ!」
 声を荒げた知美は、急にトーンを落として言った。
「まあいいいわ。それよりのど渇いてきたんだけど。お客さんが来てるんだからお茶ぐらい出しなさいよね」
「勝手に押しかけてきた人間の言うセリフかよ。けど困ったな――お茶はあるけど、人数分のコップがないよ」
「しょうがないわね〜。――はい」
 知美は傍らに置いてあった鞄から財布を取り出し、千円札を哲夫に手渡した。
「何これ」
「何ってお金よ。マネー。ちなみに肖像画は野口英世」
「そうじゃなくってだな」
「冗談よ。ジュース買ってきてよ、人数分。お釣りはあげるからさ」
「僕はどこぞの小学生ですか……」
「あのね、あなたはここの部屋の主で、あたし達はお客。お客をもてなすのはホストの責務なのよ。わかった?」
「はいはい、わかったよ。買ってくればいいんだろ」
 軽くため息をついて哲夫が立ち上がると、見かねた瑠璃子が声をかけた。
「あの、そこまでしていただくのは申し訳ないのであたしが代わりに行きます」
「いや、いいよ。君達じゃこの辺の店もわかんないだろうし。何のおもてなしもできないけどゆっくりしててよ」
「ご迷惑をおかけします」
 そして哲夫は自称お客達から飲み物のリクエストを聞いて買い物に出掛けて行った。
 
「さて――」
 哲夫が部屋を出てきっかり1分たってから、おもむろに知美が口を開いた。
「邪魔者はいなくなったところで、これより『チキチキ☆男の一人暮らし、いかがわしいもの捜索大会』を行いたいと思いま〜す」
「きゃ、やだぁ」
「さすがや、王道っちゅうもんをようわかってるわ」
「念のために聞きますが、本気ですか?」
 騒然とする教え子達に知美は言った。
「今見てもらったアイツ。身近にあたしみたいな魅力的な女の子がいるのに全く手を出そうとする気配がありません。これは絶対におかしい。最悪、社会的にまずい性癖をもってる可能性もあります。そこで我々はこの部屋を調査し、奴の性癖を確認し、必要であれば更生させてやらなければならないのです!」
「なるほど、哲夫先輩は変態さんなのですね」
「あんな大人しそうな顔して、裏の顔をもっとるっちゅうことか……」
 知美の演説にうなずく小百合と七海。瑠璃子は『それって要は哲夫先輩の好みを調べようっていう話なのでは?』と思ったが、言ったら色々とマズいことになりそうなので黙っていた。
「ルールを説明します。制限時間は哲夫が帰ってくるまで。自販機で売ってないジュースを指定しといたから、おそらく10分ぐらいはかかるはずよ。そんで最初にやらしいものを見つけた人が優勝ね。優勝者には学食で何でもおごったげます。それで――そうね、ちょうど4人いるから部屋を4分割しましょう。じゃんけんで勝った人から好きなブロックを捜索するってことでいいわね」
 そして知美とその教え子達は担当部分を決めて捜索を始めた。テレビやビデオの置いてある南西ブロックは知美、ベッドのある南東ブロックは七海、玄関付近と座卓周辺の北西ブロックは小百合、そして最後に残ったキッチン周辺は瑠璃子が担当することになった。
 じゃんけんに勝って真っ先にベッドエリアを選んだ七海が床に伏せてベッドの下を覗き込む。
「サー! ベタすぎるとは思うたけど、ベッドの下にはあれへんようです!」
「油断するな七海隊員! 鏡を斜めに設置して死角を作っているかもしれん! 入念なチェックを怠るな!」
「サー、イエッサー!」
 生首の手品とかであるやつか。そんなの自宅でしてる人間がいるという発想がすごいな。というかなんで七海はこんなノリノリなんだ? 瑠璃子が考えながら流し台下の扉を開けて中を適当に確認していると今度は玄関の方から声が上がった。
「さ、さー、すいません」
「ん? 何か見つけた?」
「さー、あの、何も見つかってないんですけど、というか、もう見るところ無くなっちゃったんですけど」
 見ると、確かに小百合の担当部分は畳の上の座卓と玄関周りしか調べる物が存在しない。全部調べるのも1分はかからないだろう。
「そう、それじゃ他の子のとこ手伝ってあげて」
 知美が言うと、小百合はもじもじしながら言った。
「えーと、それであの、できればお手洗いをお借りしたいんですけど」
 そしてそれに対して知美はにっこり笑って答えた。
「我慢しなさい」
『!?』
 衝撃的な知美の言葉に瑠璃子と七海が一斉に知美の方を向く。注目を浴びた知美は慌てて言った。
「あっ、勘違いしないで。別にいじわるしてるとかじゃないから。このアパート、今頃珍しい風呂無し、トイレ共同なのよ。それで一階にあるトイレ、正直言ってあんまりきれいじゃないのよね。だからせっぱつまってるんじゃなかったら、我慢した方がいいかなと思っただけよ」
「汚いんですか?」
「ん〜、汚いっていうか雰囲気がね……とにかく一言で言うと『あたしなら駅前のデパートまで我慢する』ってことになるんだけど」
「――我慢します。さー」
 小百合はげんなりした表情であきらめの言葉を口にした。
「それにしても、ずいぶんレトロというか、まだこんな風呂無しトイレ共同のアパートなんてあったんですね」
「せやな〜。思わず『どこの昭和や!』ってツッコミたくなるわ」
 平成生まれが昭和を語った!
 瑠璃子は友人達の言葉に呆れつつも、この部屋はよく知らないけどフォークソングが似合いそうだと思った。それか不法滞在の外国人か。
 すると知美テレビの横のビデオラックの調査の手を止めて言った。
「まあね〜、気持ちはわかるけど、本人がそれでいいって言ってるならそれでいいんじゃない。家賃ロハだし」
「サー、ロハって何ですか?」
「無料、タダってことよ。ほら、漢字で只ってこう書くでしょ、それが片仮名でロハって読めるからそういう風に表現することがあるのよ」
 知美は空中に身振りで漢字を書いて見せた。七海は「なるほど」と相槌をうっているが、表情を見る限りでは理解していなさそうだ。しかし、いくらボロ家といっても家賃がタダというのもおかしな話だ。
 疑問が顔に出ていたのか、知美は瑠璃子に向って言った。
「不思議そうな顔してるわね。名探偵としては疑問点はほっとけない、かな」
「別にそんなんじゃないです」
 どうも余計なことを吹き込んだらしい小百合を横目でにらむ。しかし生まれた疑問が気になることも事実なので瑠璃子は尋ねた。
「それで、どうして家賃がタダなんですか?」
「簡単っちゃあ簡単な話なんだけどね。このアパート、哲夫の大叔父だったかな? とにかく親戚のものなのよ。で、一旦はマンションに建て替えようっていうんで住人を全員退去させたんだけど、建設前に提携してた不動産会社がつぶれちゃって計画はパー。かといって更地にしちゃうと税金が高くなるし、無人にしとくと変なのがたまっちゃうし、新しい住人を入れるとアパート潰す時に追い出すのがまた大変だし――ってとこで、アイツの出番のわけ。確か、次にマンション建設の計画が始動するまでっていう条件でタダで部屋を借りてるって聞いたわ。もちろん光熱水道費は出ないらしいけど」
「ということは、このアパートには哲夫先輩以外は誰も住んでないんですか?」
 瑠璃子が言うと、横から七海が付け加えた。
「なるほどやわ。さっきエロチャンネルを衛星放送で見とんちゃうかと思って窓の外確認したんやけど、隣の部屋とか昼間っからカーテン閉め切ってて全然人の気配なかったもん。あ、ちなみにアンテナはなかったで」
 確かに人の気配が無いというのは瑠璃子も感じていた。こう言っては何だが、壁も薄くて床もきしみそうなこのぼろアパートで自分達の以外の人間がいれば何かしらの雰囲気が伝わってきそうなものだが、それが全く無い。
それによくよく思い返してみれば、この2階奥の哲夫の部屋の前の廊下にしか洗濯機が置いてなかった気がする。その時は突き当たりの部屋だから特別に置いているのかと思ったが、他の部屋の間取りも同じだとすれば、洗濯機の置き場所は最初から廊下だったようだ。そして、その生活必需品の洗濯機が哲夫の部屋の前にしか無いということは他に住人はいないということを示している――瑠璃子が論理を組み上げていると、知美はあっけらかんと言った。
「そ、今このアパートに住んでるのはアイツだけよ。言ってみりゃこのアパートの主っていうか管理人? ま〜、うら若き乙女としてはいくらタダでも住みたくないようなとこなんだけどね」
 哲夫先輩には悪いけど。瑠璃子は内心で罪悪感を覚えながら知美の意見に同意した。黄ばんで変色した壁紙とか、すっかり日焼けしきった畳とか、ネコ型ロボットが居住してそうな押し入れとか――そういったものにノスタルジーを感じ、心地よく落ち着くには瑠璃子は若すぎたらしかった。
 捜索作業が再開されてしばらくして、不意に知美が手を打ち鳴らした。
「は〜い、みんな集合〜」
 狭い部屋のことで集合も何もないものだが、知美の呼びかけに3人は部屋の中央に集まる。そして全員が揃ったところで、知美は腕組みをして言った。
「そろそろ時間も無くなってきたし、ここらで戦果の発表をしましょう。まずあたしからだけど、残念ながら何も見つからなかったわ。テレビ台の下とか裏にも何も無かったし、ビデオラックにもテレビ番組を録画したの以外はアクション系とコメディ系の洋画しかなかったわ。あるいはパッケージだけ偽装してあるのかとも思ったけど、少し再生した限りでは特に問題なさそうね。さすがに全編を早送りする時間はなかったから後ろの方とかにアダルトなナニが録画されててもわかんないけど」
 はいっと手を挙げて七海が言う。
「んじゃ次はウチね。途中でもゆうたけど、ベッドの下には何もあれへんかったで。ついでに言うと窓の外に衛星放送用のアンテナとかもあれへんかったわ。押入れの中には着替えと、あとストーブとかの入った箱とかアイロンとか――まあなんかごちゃごちゃ入っとったけど、やらしいもんは見つかれへんかったわ」
 続いて小百合が口を開く。
「え〜っと、玄関には靴と傘ぐらいしかありませんでした。郵便受けの中にも普通の手紙とかチラシとかしか入ってませんでした。あと、こっちのエリアだとこのテーブルと隅っこに寄せた扇風機だけで何もなかったです。ごめんなさい」
 小百合が頭を下げると、知美と七海の視線が瑠璃子に集まる。しかし、期待されても無い袖は振れない。瑠璃子は淡々と言った。
「見ての通りのキッチンだ。食器と調理用具しか無いよ。他にあるのはごみ箱ぐらいのもんだ」
 そして最後の瑠璃子の報告が終わると知美は首をひねった。
「おっかし〜わね〜。それじゃあホントに何もないみたいじゃない」
「こんだけ探してないっちゅうことは、そうなんかもしれへんですねえ……」
「う〜ん、もう枯れちゃってるんでしょうか……」
 七海と小百合も同じように悩み始める。すると七海はおもむろに顔を上げて叫んだ。
「サー! ウチ、わかったかもしれん!」
 そして得意げに知美に言った。
「きっと哲夫兄さんには彼女がおるんですよ! せやからエッチな本とかビデオとかは必要あれへんのとちゃいますか」
 しかし、知美は七海の推理を笑って否定した。
「あはは、それはないわよ。あたしに内緒で哲夫が彼女作ってるなんてありえないわ。アイツにそんな甲斐性無いもの」
「いや、わかれへんですよ。なんや優しそうな人やったし、顔もそんな悪うなかったし、案外あれで哲夫兄さんを好きになる女の子もおるんちゃうかと思いますよ」
 自分の推理の正当性を主張する七海の頭を知美はわしづかみにした。そしてまっすぐ七海の目を見ながら顔を近づける。
「ないって言ったらないのよ」
「いや、せやけど……」
「な・い・の」
「サー、イエッサー!」
 全力で推理を放棄させられた七海から手を離した知美は瑠璃子に顔を向けた。
「さて、それで瑠璃子ちゃんはどう思う? 何か気付いたことはあるかしら」
「そうですね。一つお聞きしたいんですが、この部屋にはパソコンは無いんでしょうか? ひょっとしたらパソコン上のデータで、その、なんというか――そういうのを見てる可能性もあるかと思ったんですが」
「いいとこついてると思うけど、アイツ、パソコン持ってないのよ。レポートとかインターネットとかは学校のパソコン部屋のを使ってるわ。だいたいこの部屋、電話線ないからパソコンあってもインターネットできないしね。なんか元々は1階に共通で使う電話があったらしいけど、今じゃ携帯電話があるし、誰も使わないから撤去したんだって話よ。それで電話線は引いてないからそれはないわね」
「なるほど、そうですか」
 厳密にいえばPHSなんかの無線を使えば電話線がなくてもインターネットに接続はできるのだろうが、実際にこの部屋には見当たらないし、ジュースを買いに行く時には手ぶらで出ていくのを見ている。最初から可能性は低いと思っていたが、予想通りの回答だ。
 瑠璃子の予想通り、わざと間違った推理を聞いた知美は今度は小百合に問いかけた。
「小百合ちゃんは?」
 ずっと考え込んでいた小百合はちらりと横目で瑠璃子を見た。
「る〜ちゃんでもわからなかったことを私が答えちゃうのも変だけど……真相、わかっちゃいました」
 そして部屋の入口にゆっくりと歩きながら重々しく言う。
「昔偉い人は言いました。『木を隠すなら森』、つまりあまりにも明白すぎるものは逆に認識されないものなのです」
「なるほど、ポーの『盗まれた手紙』の理論ね」
 知美はことわざの使い方の間違いにはふれずに大きくうなずいた。すると部屋の入口に到達した小百合はくるりと方向転換して部屋の方を向いた。
「そう、だからこうやって全体を見渡せば――あれ?」
「どうしたの?」
 瑠璃子が尋ねると、小百合は困った表情で答えた。
「おっかしいなあ。私の予想だと何か見えるはずだったんだけど……あっ、ひょっとして配置した家具が目を細めて見るとエッチに見えてくるとかかな」
「そんなすごい妄想力の持ち主いないって」
 そんな事ができるなら極端な話、ラーメンの丼にでも欲情できるだろう。
 瑠璃子があっさり否定すると、知美はそれを制した。
「いえ、小百合ちゃんはいいことを言ったわ。あまりにも目に入りすぎて調べようともしなかった部分がこの部屋には残されているわ!」
 そして自分の足元を指差す。
「照明の上には何も置く場所が無い。残る場所は、そう、この畳の下、ここだけよ!」
「おおっ! せやったんか!」
「そっか、気づきませんでした!」
「何度も聞くようですが、本気ですか」
 騒然とする3人に邪魔になる座卓や荷物をどけさせた知美は畳の縁に手をかけて不敵な笑みを浮かべた。
「どうやら以前した修行が役に立ちそうね――」
 そして大きく息を吸った次の瞬間、
「忍法、畳返し!」
 知美の気合と共に畳の片側が大きく跳ね上がり、地面に対して90度の角度で静止する。忍法とか修行とかって何、というツッコミも忘れ、驚異の技を目の当たりにした3人は大きく拍手をするほかなかった。
 だからその時、ガチャリと玄関を開ける音は誰も気づかなかった。
「何やってるんだ、お前ら……」
 そこに放心状態で立ちすくむ哲夫の姿に4人が気づくのはたっぷり10秒ほどもたった後のことだった。
 
 説教タイムの後、しばらく雑談をしていた5人だったが、いつの間にか日も暮れてきたので今日はお開きということになった。
「それじゃ、あたしこの子たち送っていくから。また学校で」
「今度からは来る前に連絡してくれよ」
 玄関先まで見送りに出た哲夫は苦笑して言った。気が向いたらね、とうそぶく知美の背後から女子高生達が顔を出して口々に哲夫にあいさつする。
「哲夫兄さん、ええツッコミでした。今日は勉強させてもらいました」
「あの、今日はどうもありがとうございました」
「いろいろご迷惑をおかけしましてすいませんでした」
「いや、気にしないでいいよ。大したおもてなしもできなくってこちらこそ申し訳ない。あと、知美先生のこと、よろしく頼むよ」
 哲夫の言葉に女子高生達は顔を見合せ、代表して瑠璃子が答えた。
「――善処します」
「何よ〜、逆でしょ、逆。あたしがこの子達の面倒をみるのよ。あんた、何か勘違いしてない!?」
「たぶん、してないと思うけどな」
 即答する哲夫にむっとした表情になった知美は教え子達の背中を押して廊下を立ち去りながら振り返って言った。
「この件は、また今度じっくり話を聞かせてもらうからね!」
「じゃ〜な〜」
 哲夫が手を振りつつ見送ると、女子高生達は手を振り返しながら階段の下に消えていった。知美は不機嫌そうな顔のままだったが、どうせ明日になれば忘れているだろうから特に問題はないだろう。
 部屋に戻った哲夫はベッドの上に身を投げ出した。なんだか妙に疲れた。こういう時に喫煙者なら煙草を吸って一服するのだろうが、あいにくと哲夫は煙草を吸わない。黄ばんだ壁紙は前の住人のヤニのせいであって、元からのものだ。どうせ出ていく所だし、経費節減のために部屋にはあまり金をかけずにきたが、鍵ぐらいは取り換えた方がいいかもしれない。
 少し哲夫がぼーっとしていると、ドアがノックされる音が聞こえてきた。ここの住人は自分だけで、勘違いのしようもない。勢いをつけて身を起こした哲夫は玄関に向かい、ドアを開けた。
「はい、どちらさんで――って、誰もいない?」
「下です、下」
 哲夫が視線を下に向けると、そこには背の低い女の子が立っていた。さっき知美と一緒に来ていた、確か瑠璃子と呼ばれていた少女だ。
「あれ、どうしたの? 何か忘れ物でもした?」
「忘れ物……そうかもしれませんね。どちらかというと『言い忘れ』と言った方が正確だとは思いますが」
 よくわからない事を言った少女は、背伸びをして哲夫の耳元でささやいた。
「――――」
「!?」
 哲夫は背伸びをやめて元の場所に戻った少女の顔をまじまじと見返した。
「驚いたな。どうしてわかったんだい?」
 少女はニッコリと微笑んで言った。
「どうして、と言われてもわかったからわかったと言う他ないんですが……詳しく説明しましょうか?」
 
 
 ということで、読者への挑戦状のお時間です。
 今回のお題は、ずばり瑠璃子が哲夫にささやいた事。つまり哲夫の所有する(あるいはしていない)シークレットな品々についての真相についてです。
 必要な情報は出そろっています。話のオチがまだ見えてこない人は、ここらで一服して自分なりの推理をしてみてください。
 ちなみに今回の難易度は初級編レベルです。明白にして単純、簡単ですよ。
 それでは推理の終わった方は以下で答え合わせです。どうぞ〜
 
 
「是非、聞きたいね。今後の参考のためにも」
 哲夫がうなずくと瑠璃子は部屋の中にちらりと視線を送った。
「まず、この部屋の中にそういうものが無いっていうことは間違いありません。実際4人がかりで確認したんだから確実です。知美先生の言った畳の下は全部は確認できてませんが、そんな不便なところに隠し場所を作るなんてのは論外です。天井裏も、この部屋にはそこに届くだけの台になるものがないのでありえません」
 次に視線を廊下の奥に向ける。
「洗濯機の中というのも――意外性はありますが、洗濯機を使用するのであれば現実的な選択肢としてはまずありえないでしょう」
 そして再び部屋の方向を見る。
「ところで、この部屋は一見すると一人暮らしの男子学生の部屋として普通のように見えますが、いかがわしい物が無いことを抜きにしても不自然な点があります。よくドラマで出てくるような部屋の代名詞として『生活感の無い部屋』なんていいますが、この部屋は逆に生活感がありすぎているんです。具体的に言うと、リビングとキッチンとベッドルームの機能しかない。ここには当然あるべきものが欠けているんです」
 つまり、と言葉をつないで瑠璃子は言う。
「子供部屋――言い方を変えれば書斎でもいいですが、その機能が欠けているんです。本棚も、テキストも、ノートも、何もない。一般的な学生としてはありえませんよね。他にも通帳とかの貴重品もこの部屋にはありませんでした。そこで、それらが置いてある場所が別にあるんじゃないか、という結論になるわけです」
 そして瑠璃子はゆっくりと歩きだし、隣の部屋のドアの前に立った。
「そうすれば後は単純です。ちょうど隣に『住人もいないのにカーテンの引いてある部屋』があるんですから、そこにこの部屋に無い物が置いてあることは簡単に推測できます。何せ家賃がタダなんだから、もう一部屋余計に使っててもおかしくはないですし」
「すごいね。確かに君の言う通りだ。納得したよ」
 素直に感心した哲夫は、ふと疑問に思ったことを瑠璃子に尋ねた。
「ところで君、わざわざこの事を言いに戻ってきてくれたのかい?」
 すると瑠璃子は少し恥ずかしそうにうっすらとほほを染めた。
「え、ええ、やっぱり推理しただけであってるかどうか確認しないのは気持ち悪いですし……それに探したんだけど見つけられなかったって思われるのは悔しいじゃないですか」
「なるほど。それも納得したよ」
「それじゃ忘れ物取ってくるって言って皆に待っててもらってるんで、もう行きますね」
 子供っぽい事を言ってしまった自分を恥じているのか少し慌てた様子できびすを返した瑠璃子を哲夫は呼びとめた。
「あ、もう一ついいかな?」
「はい? 何ですか」
「その、別室があるっていうことを知美に黙っててくれたのはどうしてだい? 変な言い方だけど、どっちかっていうと君は知美の側だろ」
「そうですね、大した理由はないんですけどしいて理由を挙げるとすれば――」
 瑠璃子はいたずらっぽく笑って言った。
「あたし、学食じゃなくてお弁当なんです!」

     
< THE END >

あとがき

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