「未確認」

 ガラガラガラ――
 ゼミ室の扉の開く騒がしい音に哲夫は開いていた本から目を上げた。他のゼミ生が集まるまでの時間を一人でまったりと過ごすつもりだったがそうもいかないらしい。扉の方に視線を向け、騒音の主の姿を認めた哲夫は本にしおりをはさんで閉じた。
 その騒音の主――知美はゼミ室に入ると、まっすぐ哲夫に向かって早足で近づいてきた。そして哲夫の座る机の前に立つなり、勢い良く机に両手をついて真剣な顔で言った。
「魚、好きよね?」
「はあ?」
 知美の突拍子もない言動には慣れていたつもりの哲夫だったが、このいきなりの質問のわけのわからなさに思わず呆れたような声が出てしまった。知美はそのリアクションが不満だったらしく、少しむっとした調子でもう一度言った。
「いいから答えなさいよ。魚は好き?」
 哲夫には知美がどういう意図でこんな質問をしているのかは理解できなかったが、答えないと知美の機嫌が悪くなりそうなのは理解できた。まさか知美に限って手料理をごちそうしてくれるということはないだろうが、素直に答えておいた方がいいのは確かだ。
「別に嫌いじゃないけど……どっちかっていうと肉の方が好きかな」
 哲夫の答えに知美は眉をひそめた。
「魚じゃないの?」
「うん、魚よりは肉かな」
 すると知美は両手をついたまま机の上に身を乗りだして、座ったままの哲夫に顔を近づけてきた。
「ホントは魚が好きなんじゃないの?」
「いや、だから」
 圧迫感から思わず椅子ごと後ろに引いた哲夫にさらに知美は机に覆いかぶさるようにして顔を近づける。至近距離からにらむようにして知美は質問を繰りかえした。
「サ・カ・ナ・好・き・だ・よ・ね?」
 肯定以外の返答は拒否すると目が語っている。
「――魚が好きかも」
 誘導尋問に屈した哲夫が冷や汗を浮かべながら答えると、知美はようやく姿勢を戻して机の前に腰に手を当てて立ち、ニッコリと満面の笑みを浮かべた。
「やっぱり♪ そうだと思ったんだ」
 知美はおもむろに肩から下げた鞄を開き中を探りだし、そして何かを見つけると再び哲夫に向かって嬉しそうに笑いかけた。もっともその笑みは哲夫に嫌な予感を去来させただけだったのだが。
「そんなサカナ好きのあなたに素敵なお知らせ!」
 じゃ〜ん、と実際に口で言いながら鞄から取り出した紙を知美は哲夫の前につきつけた。紙の上部の余白部分にURLが印刷してあるところを見ると、どうやらどこかのインターネットのホームページを印刷したものらしい。
「――何、これ?」
 しばしの沈黙の後で哲夫が発した疑問の声に知美は笑みを消し、手にしていた紙を机に叩きつけた。
「何って、見てわかんないのおっ!?」
「どっちかっていうとわかりすぎるほどわかるから聞いてるんだけど」
 哲夫は目の前に広げられた紙に再び目を向けた。その紙にはどでかく『富士岡弘探検隊〜アマゾン奥地の湖に幻の巨大魚ティガボラを見た!〜 探検隊員募集!』と原色の赤で印字してあった。ご丁寧にも太字にした上に影まで付けてあるので嫌でも目に飛び込んでくる。
「なによ〜わかってるなら聞くことないじゃない」
 不満気に口を尖らせる知美に、哲夫は先手をうって言った。
「僕は行かないぞ」
「まだ何も言ってないじゃない」
「どうせ僕にこのテレビ番組の隊員募集に応募してアマゾンに行けっていうんだろ?」
「うん、そうだけど」
 知美は当然のようにうなずいた。哲夫は軽い頭痛を覚えながら知美に言った。
「だから何で僕がそんな地球の裏側まで行って未確認生物なんか探さなきゃいけないんだよ。僕は絶対に行かないからな」
「え〜、どうして? ティガボラよ? 全長30メートルの巨大魚だよ? 牛だって一飲みなんだよ?」
「アマゾンの奥地に牛はいないだろ。っていうか、そんなの聞いたことないし、興味もないよ」
 哲夫は完全に拒否する態度をとった。ここで下手に調子を合わせるとすぐにでも申し込みをさせられかねない。知美はいきあたりばったりで飽きっぽい代わりに行動力だけは無駄にあるのだ。少しの隙だって見せてはいけない。
「え〜っ、行こうよ、アマゾン。それとも何? かわいい女の子を一人で危険な未開の地に行かせようっていうの?」
 ということはどうやら知美もアマゾンに行く気だったらしい。一緒に海外旅行――という誘惑が一瞬頭をよぎったが、哲夫は首を左右に振って慌ててその妄想を追い払った。これは断じてそんな甘いものじゃない。行ったってどうせろくなことにはなりやしないのだ。
「一人じゃないだろ、富士岡隊長とかスタッフとかいるんだし。だいたい危険だと思うんだったら行かなきゃいいじゃないか」
 正論なはずの反論に対して、知美は胸をはって自信満々に答えた。
「人は時にはあえて危険に飛び込まなきゃいけない時があるのよ」
 言ってることは間違っていない気がするけど、今回は『その時』じゃないだろう。哲夫は喉元まで出かかったツッコミの言葉を飲みこんだ。これ以上不毛な議論を続けても仕方がない。哲夫は話を打ち切るべく、淡々と言った。
「――とにかく、僕は行かないぞ」
「う〜〜〜〜」
 しばらくうなり声をあげながらうらめしそうに哲夫をにらんでいた知美は、いきなりビシッと人差し指を哲夫につきつけた。
「いいわよもう! あたし一人でアマゾンに行ってティガボラ見つけてくるんだから!! あたしが有名人になった後で謝ったって許さないんだからね!」
 早口で怒鳴った知美はきびすを返すと大またでゼミ室の入口に歩き出した。
「お、おい、ゼミはどうするんだよ」
「申し込みが終わったら戻ってくるわよ!」
 哲夫の呼びかけに振りかえった知美は不機嫌そうに答えてドアを荒々しく閉めて部屋を出ていった。
「やれやれ……」
 軽くため息をついた哲夫は続きを読むべく机に置いた本に手を伸ばした。そしてふと机に広げられた紙が目に入り、今度は先程よりもいくぶん大きくため息をついた。
「まぁ、彼女らしいと言えば彼女らしいんだけど……」
 ――紙の右下隅にはきっちりと先月末の申込締切日。 
 
<終幕>

あとがき

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