「怪奇卵男、もしくはアリスの憂鬱」
アリスは森を歩いていた。
「あ〜っも〜っっ! 何なのよココはっっ!! 足は痛いし、お腹すいたし、ど〜やったら家に帰れるのよ〜っっ!」
より正確に表現すると、アリスは森をさ迷っていた。遅れウサギを追いかけて奇妙な世界に迷い込んだアリスは家に帰る方法を探してずっと旅をしているのだ。
最初の内こそ不思議なことばかり起こるこの世界を楽しんでいたアリスだったが、「不思議なことしか起こらない」となると飽きがくる。アリスは延々と続くイカれた世界に心底うんざりしていた。そもそも昼も夜も適当に訪れるいい加減なこの世界では一体どれほど時間が経ったのかさえもわからない。わかっている事と言えば、お気に入りの青と白のチェックのエプロンドレスはすっかり埃まみれになっていて、皆がよく誉めてくれるブロンドの髪もぼさぼさで輝きを失ってしまっている事ぐらいだ。
「家に帰ったらまずシャワーね。それできれいな服に着替えたらお腹一杯甘〜いお菓子を食べて、ふっかふかのベッドで寝るんだわ。ふふ、うふふ」
さっきまで一人で怒っていたアリスは今度は見る者を不安にさせるような不気味な笑みを浮かべた。かなり危険な症状だ。
すると、そんな壊れる寸前のアリスに背後から声がかけられた。
「ちょっと待ちなさい、そこを行くお嬢さん」
驚いたアリスが振り返ると、そこには誰の姿もなく、代わりに煉瓦で作られた赤茶けた壁があるだけだった。こんな森の中に壁がある状況は不自然極まりないが、今までの奇妙な出来事に比べればアリスにとっては十分に許容範囲内だ。
「こっちだ、もっと上だ」
声に導かれるように視線を壁の上方に向けたアリスの視界にソレが飛び込んできた。ソレは少し着崩れた感じのトレンチコートに身を包み、ソフト帽を目深に被った――卵だった。手足の生えた卵には実直そうな顔がはりついていて、当たり前のように葉巻をくゆらせて壁の上に座っている。
「これはさすがに許容範囲外ね……」
「何か言ったかい? お嬢さん」
「いいえ、きっと気のせいよ、おじさん。それであたしに何か用かしら」
警戒心もあらわに後ずさったアリスは異様な風体の卵男に尋ねた。すると卵男はかすかに微苦笑を浮かべた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。見ての通り私はここから動けないからね。私の名前はハンプティ・ダンプティ。それよりもお嬢さん、こんな森の中で女の子の一人歩きは危ないよ」
「ご忠告どうもありがとう。ま、あたしとしても一人歩きなんてしたくないのはやまやまなんだけどね」
大げさに肩をすくめて見せたアリスは今までの状況をため息交じりにハンプティに話した。黙って話を聞いていたハンプティは話が終わると大きく紫煙を吐き出し、葉巻を壁の上部に押し付けてもみ消した。
「そうか、苦労しているんだな。私が付いて行ってあげられればいいんだが。力になれなくてすまない」
「別にあなたが気にすることじゃないわ。あなた、ずいぶん親切なのね」
卵のくせに。
「はは、強くなければ生きられないし、優しくなければ生きている資格がないのさ」
ハンプティはニヒルに唇の端をゆがめた。もしかしたら笑ったのかもしれないが、アリスにとってはどうでもいいことだった。アリスはハンプティの言葉を完全に無視して先程から気になっていることを尋ねた。
「話は変わるけど、そんなところに登っていたら、その――いろいろと危ないんじゃないの?」
「お嬢さんにはわからないかもしれないが、男の人生には危険がつきものなのさ」
ハンプティは少し気取った調子で答えた。
「そうなの。確かにあたしには理解できないわね。ところであたしの状況はさっき言ったとおりだけど、あたしの家に帰るための道は知らないかしら」
アリスの問いにハンプティは少し考えてから答えた。
「すまない。私には君の家に通じる道はわからない。だけどこの先をまっすぐ行けば森を出ることができるはずだ。その先はそこで出会った奴に聞くといい」
そしてハンプティは壁の脇を指し示した。そこには言われなければ気づかないほどの獣道が伸びていた。そしてその先は心なしか他よりも明るいような気がする。
必要な事を聞き出したアリスは壁に近づいてハンプティを見上げた。
「ありがとう、助かったわ」
「いやなに、レディーを助けるのは紳士の勤めだからね」
「そう。だったらもう少し助けてもらうわね」
言ってアリスはハンプティの足に飛びついた。壁に腰掛けていただけのハンプティは足を引っ張られて簡単にバランスを崩した。
「な、なにを――」
ハンプティは抗議を言い終える前に鈍い音を立てて地面に落下した。そして完全に身動きしなくなったハンプティのひびの隙間から半透明の液体が漏れ流れだした。
それを見たアリスは軽く舌打ちすると吐き捨てるように言った。
「なによ、ハードボイルドなのは見た目だけじゃない!!」
< THE END >
あとがき
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