「告白」
人は恋をするとバカになるという。
あるいはバカな奴が恋をするのかもしれないが、とにかく恋をしている人間はバカなのだ。恋人に送ったメールを他人に見られたら舌を噛みきって死ぬしかない人間のどれほど多いことか。
そして、ここにもバカが一人。
人気のない薄暗い体育館裏、一人の少年が落ちつかない様子でうろうろしていた。
このバカ――もとい、この少年の名前は吉田誠。スポーツ、勉強、ルックス、いずれをとっても平凡の域を出ないどこにでもいる冴えない高校生である。恋愛ゲームの主人公と違うところといえば、女子にもてないところと可愛い妹がいないことぐらいのもの、と言えばわかりやすいだろうか。
部活をしているわけでもない彼がどうして放課後に残ってこんなところにいるのか、それはひどく単純かつお約束な理由からだ。
青春の一大イベントの一つに数えられる「告白」――そのために相手の女の子を手紙で呼びだしたのだ。
なんのひねりもない。その上やり方が古い。一部始終を見ている人がいればそうツッコミを入れられても仕方がないところだが、幸か不幸か誰もツッコミを入れて誠を止める人間はいなかった。
かくして誠は下駄箱にラブレターを入れるという暴挙に出、結果、こうして放課後の体育館裏などという場所にいることになったのだ。
そして一世一代の大バクチをひかえた誠は、しかし、早くも後悔していた。
あ〜、なんで手紙なんて出したんだろ。はっきりフラれなかったら、ひょっとしたら告白してたら付きあえたかもっていうわずかな可能性を信じて生きてけたのに。フラれちゃったら彼女を見つめたりするとストーカー扱いされそうだし。だいたいここに彼女がここに来るっていう保証もないんだよな〜。封も切らずにそのまま捨てられて、それで他の人に拾われて明日には学校中の笑いものなってるかもしれないんだよな……
考えれば考えるほど思考がどんどんネガティブになっていく。誠は大きくため息をついた。その時、
「吉田君?」
「は、はひっ!」
背後からかけられた声に誠は思わず声がひっくりかえってしまった。振り返ると、誠の過剰な反応に声をかけた方も驚いたのか、少しあっけにとられた表情で彼を見つめる少女の姿があった。
少女は胸に手を当て、鼓動を静めてから再び誠に問いかけた。心なしか自信なさげだ。
「吉田君――だよね、同じクラスの」
「え、あ、はい、そうです。吉田誠、吉田誠でございます」
すっかり舞いあがってしまった誠が選挙の時期だけ駅前に立って握手を求めてくる人のように答えると、少女はパッと顔を輝かせて鞄を持ったまま両手を軽く体の前で合わせた。
「あ、やっぱり吉田君でよかったんだ。人違いだったらどうしようかと思っちゃった」
うふふ、と少し照れくさそうに笑った少女は手にしていた学校指定の手下げ鞄から手紙を取りだした。
「それじゃ、この手紙をくれて、あたしをここに呼んだのも吉田君なんだよね?」
しまった、そう言えば手紙に署名を入れるのを忘れていたような気もする。間抜けにもほどがある。
ここで誠の脳裏を嫌な想像が走った。
もしも、もしも手紙に僕の名前があったら彼女はここに来てくれただろうか。今ここに来てくれたのは相手が誰かわからなかったからで、相手が僕だとわかってたら初めから来なかったんじゃあないだろうか。ここは一つ、しらばっくれて、全部無かったことにした方がいいのかも……
誠が答えないでいると、少女は少し表情を曇らせた。
「ごめん、ひょっとして違った?」
「い、いや、あってるあってる。手紙を書いたのは僕です、はい」
少女の困っている顔を見たとたん、誠は反射的にうなずいていた。冷静な計算ができなくなるのが恋というものらしい。答えた誠は後悔を新たにしたが、一度口から出てしまった言葉は消すことができない。
少女はあどけない口調で誠に尋ねた。
「それで、大事な話ってなあに?」
どくん。誠の心臓がひときわ大きく高鳴る。もう自分自身でも感じられるほどの鼓動はエイトビートを刻み、大量に送りこまれた血液が誠の顔面を紅潮させていく。来たのだ。ついに来たのだ。誠にとって人生初の大イベント「告白」をする時が――
はたから見ればこの誠の挑戦はひどく馬鹿げたものに見えたに違いない。なぜなら誠を「並」とするなら告白される側の少女――川原早苗はまさに「特上」。昨年のミス北嶺高校にぶっちぎりで優勝し、特定の相手との浮いた話はないもののファンによる親衛隊まで組織されているというとびっきりの美少女なのだ。小柄で抱きしめると折れてしまいそうな華奢な体に肩までまっすぐに伸びた枝毛知らずのつややかな黒髪、そしてどうかすると幼くすら見えるコケティッシュな顔――そんなアイドルの事務所からの勧誘を断りつづけているという噂まである彼女と誠ではつり合わないことこの上ない。
しかし、それでも、ふられることを覚悟の上で誠は告白をすることを決意した。そう、恋をしている人間はバカなのだから無謀であっても仕方が無いのだ。そして今、ついにその瞬間が訪れようとしている。
誠はごくりと生つばを飲みこんだ。緊張でのどが渇く。
「あ、あのっ!」
「はい?」
「え、と……その、実は……」
「実は?」
「僕は君のことがす、す、す……」
「酢?」
いい加減、誠が何を言おうとしているのか気づいても良さそうなものだが、早苗はニコニコしながらオウム返しに言葉を返して続きを促す。そして、誠はついにかねてから用意していたその言葉を叫んだ。
「君のことが好きなんですっ!」
「スキナンデス?」
早苗は反射的に誠の言葉を繰り返した。が、次の瞬間――
「ええええ〜〜〜〜〜〜っ!!」
絶叫した。
「ええっ、それって、ひょっとして、吉田君が、あたしのことを、好きだっていうこと?」
早苗は文節ごとに息継ぎしながら誠と自分を交互に指差す。
「うん……そうだよ」
誠が答えると、その場に気まずい沈黙が訪れた。
ああ、やっぱりダメか……誠は思った。最初から無理だということはわかっていた。所詮彼女は遠くから見ることしかできない高嶺の花だったのだ。きっと彼女は身のほど知らずな僕を笑うに違いない。グッバイマイ青春――
「あの〜」
誠が勝手に自己完結していると、早苗が声をかけてきた。すぐに我にかえった誠は慌てて言った。
「あ、す、すいません、迷惑でしたよね。いやホント、ごめんなさい。忘れてもらっていいですから」
「いいよ、吉田君とつきあっても」
「そうですよね、それが当然ですよね。わざわざこんなとこに呼びだしたりして――」
そこまで一息で言った誠はたっぷり5秒ほど硬直した。そして石化の解けた誠はぎこちない不自然な笑顔で早苗に尋ねた。
「い、今なんて言ったんですか? 最近少し耳が遠くって」
「吉田君とつきあってもいいって言ったんだよ」
空耳じゃなかった!! 誠は信じられない展開に困惑した。
「そ、それって嘘じゃないですよね」
聞き様によっては失礼な言葉に早苗はニッコリと微笑んだ。
「嘘じゃないよ。――でも、一つだけ条件があるの。いいかな?」
そらきた。どうせ無理難題をふっかけて遠まわしにフルつもりなんだ。そう、必殺「かぐや姫落とし」に決まってる。
疑心暗鬼になった誠は来たるべき条件に身構えた。そして早苗がかわいらしい唇を開いた。
「ん〜とね、条件はね……つきあうんだから敬語はやめてってこと。ね、マコト君」
言って早苗は軽くウインクした。
「それだけ?」
「それだけ」
意外な言葉に誠は拍子ぬけした。が、ここにきてようやく誠は理解した。
自分は一世一代の賭けに勝利したのだ。喜びが体の内側からふつふつと沸きあがるのを感じる。喜びの言葉を叫んで狂喜乱舞したいぐらいだ。
そう思った瞬間にはすでに体がガッツポーズを決めていた。
「いよおぉぉしゃあぁぁぁっっ!」
実に正直な体だ。
「ずいぶんおおげさなんだね」
いくぶん呆れ気味の早苗の言葉に誠は理性を取り戻した。
変なところを見られてしまった。まずい、このままでは変態と思われて嫌われてしまう。なんとか話題を変えてごまかさねば。
「あははは、え〜と、その川原さん」
「早苗でいいよ」
「それじゃ、早苗ちゃん――」
「なあに?」
いけない。何も話題が思いつかない。恋人ができたら話したいと思ってたことはいっぱいあったはずなのに今は全然出てこない。頭の中が真っ白だ。
あせればあせるほど思考の空回りが加速する。何か、何か言わなければ。
「――なんで僕なんかとつきあってくれるの?」
何言ってるんだ僕はあああっ! 言うに事欠いて、今一番避けなきゃいけない質問をしてしまうなんてバカにもほどがある。冷静に考えられたら"やっぱなし"になってしまうじゃないかっ!
一人パニクる誠をよそに、早苗はあっさりと言った。
「う〜んとね、別にマコト君のこと嫌いじゃなかったから、かな」
好きでも嫌いでもなかった、ということは関心の対象外だったと言っているようなものだが、笑顔で言われるとなんとなくまともな答えのような気がしてくるのが不思議だ。
「そっか、そうなんだ。よかった〜。あはははは」
良くはないはずだが、とりあえず誠は笑ってごまかした。すると早苗は誠の顔を上目づかいに見つめて、
「じゃああたしも質問! マコト君はいつからあたしの事が好きだったの?」
来た――誠は内心快哉をあげた。この手の質問が出ることは予想済み。もう既に自分なりのベストの返事も考えてあるのだ。
誠は鏡の前で何度も練習した自分が一番かっこよく見えるはずの顔で早苗に告げた。
「入学式の日、君を初めて見た時からずっと好きだった」
決まった。完璧だ。誠はシミュレーション通りに言えた感動に酔いしれた。
だから、気づかなかった。
誠がもう少し注意深ければ、その時早苗の笑顔が一瞬こわばったことに気づくことができたかもしれない。だが、現実には誠は早苗のわずかな変化に気づくことはなかった。
「それはつまり……一目ぼれってこと?」
そして誠はいくぶんトーンの下がった早苗の質問に最高の笑顔で答えた。
「そう、僕は君に一目ぼれしたのさっ」
次の瞬間――
「けだものっっ!!」
バチッ――その大きな音が自分のほほから出たという事実が誠は一瞬理解できなかった。一瞬遅れて自分が早苗に平手打ちされたことに気が付くのと同時に、バランスを崩した体は体育館のコンクリートの外壁に打ちつけられていた。
「ぐぇっ」
実際に聞いた人がいるのかどうかはしらないが、カエルがつぶされる時に出すといわれる断末魔の叫び声のような声を出して誠は背中を体育館に預けたままでずりずりと地面にへたりこんだ。
背中からぶつかったので痛みはそれほどでもないが、その代わりに呼吸が苦しい。肺の中の空気が全て出てしまったような気がする。それにほほがひどく熱い。
「な、なんで……」
苦しい呼吸の中、しぼりだすように誠は尋ねた。だが哀れな誠の様子にも早苗は一向に動じることなく、うっすらと涙のにじんだ目できっと睨みつけた。
「なんでじゃないわよこのけだものっ! 最初から私の体が目当てだったのね!」
そして早苗は両手で顔を覆って泣き始めた。
誠はこれ以上はないほど戸惑った。一体全体、何がどうなっているのかさっぱりわからない。どうして良い感じだったのがこんな破局っぽい雰囲気になってしまったのか、どうして自分がけだものなのか、なにより泣きたいのはこっちのはずなのにどうして彼女が泣いているのか。
「ねえ、泣かないでよ。それにどうして僕がけだものなのさ」
立ちあがった誠は早苗の肩に手を伸ばそうとした。すると早苗はすばやく手を払いのけ、叫んだ。
「触らないでよ! どうして、ですって!? そんなセリフよくもぬけぬけと言えるわね!」
「いや、本当にわかんないんだよ。何か僕は悪いことしたのか?」
あくまで理解できない様子の誠に、早苗は大きなため息をつくと怒りもあらわに人差し指をつきつけた。
「そんなに言うなら教えてあげるわ! 『一目ぼれ』ってことは、私の人格その他中身は完全に無視して外見だけを好きになったってことなのよ! 吉田君はあたしじゃなくてあたしの体が好きなけだものよ!」
「そ、そうだったのか!?」
誠は驚愕した。下心がまったくなかったと言えば嘘になるが、まさか自分が肉欲に囚われたけだものだったとは。指摘されて初めて気づく衝撃の事実だ。
「――ようやくわかったようね。短い時間だったけど、さよなら」
あまりのショックに言葉も出ない誠に早苗は満足げに軽く鼻を鳴らし、背を向けて立ち去ろうとした。
――だめだ。このままじゃ終われない。
遠ざかる早苗の後ろ姿に誠はとっさに呼びかけた。
「ま、待ってくれ!」
「なによ、まだ何か用なの」
「うっ、いや、その……」
不機嫌そうに振り返った早苗の嫌悪感に満ちた視線に心が折れそうになる。が、元々フラれることを覚悟していたことを思い出し、誠はなけなしの勇気をしぼりだす。
「用がないなら――」
「違うんだ」
そう、違うんだ。
「何が違うっていうのよ」
「確かに僕は一目ぼれで君を好きになったかもしれない。けど、それはただのきっかけで――君のことをずっと見てて、それでもっと好きになったんだ! だから――君の中身も含めて、君全部が好きなんだよ!」
言うだけのことは言った。誠は興奮のあまり呼吸を荒くしながら、すがるように早苗を見た。
だが、早苗は冷ややかに答えた。
「けだものの言うことを信じろっていうの?」
「信じて――欲しい」
誠は早苗の目をまっすぐに見据えて言った。以前なら一秒だって視線を合わせる事なんてできなかっただろう。しかし今の誠は自分の気持ちを伝えること以外、何も考えることができなくなっていた。だから早苗の視線とぶつかってもみつめ続けることができた。
「…………」
「…………」
無言で見つめあったまま時間だけが過ぎる。誠にとっては永遠とも思える時間が流れた。
そして先に沈黙を破ったのは早苗の方だった。
早苗はふうっと小さくため息をついた。
「……もう。わかったわよ」
「え、それじゃあ――」
一瞬、顔を輝かせる誠に早苗は人差し指を立ててチッチッと左右に振った。
「で・も・つきあうっていうのはなしね。まだ完全にマコト君のことを信じたわけじゃないんだから」
いつの間にか呼び方も吉田君からマコト君に戻っている。どうやらもう怒ってはいないらしい。それだけでも先程と比べれば天と地の差だ。誠は胸をなでおろした。
それに「まだ」ってことは、可能性がなくなったわけじゃないみたいだし。
「う、うん。わかったよ。今は付きあうのはなしってことでいいよ。でもいつか……いつか早苗ちゃんが僕のことを信じてくれるようになった時が来たら、その時は……その……」
下手なことを言ってやぶへびになりはしないかと誠が言いよどんでいると、早苗は人差し指をあごにあてて小首をかしげてみせた。
「う〜んと、そうね、これからのマコト君の心がけしだい、かな?」
そしていたずらっぽく微笑んで付け加えた。
「とりあえず……お友達からはじめましょ」
「う、うん、そうだね、そうしよう」
あまりにも魅力的な早苗の笑顔に誠はどぎまぎしながら答えた。
「じゃあ、今から友達だね、マコト君。――えっと、それじゃこれからよろしくお願いします」
言って、早苗はペコリと頭を下げた。つられて誠も合わせて頭を下げる。
「あっ、こ、こちらこそよろしく!」
そして同時に頭を上げた二人はなんとなく顔を見合わせる。と、どちらからともなく、笑いがこみあげてくる。
「ぷっ、ふふふっ、なんか変なの」
「くくっ、そうだね、なんか変な感じだ」
「ふふっ、あはは」
「くっ、あははは」
何がそんなに楽しいのか自分達にもわからなかったが、二人はひとしきり笑った。そして誠は思った。
ああ、付きあえはしなかったけど、こんなにかわいい女の子と友達になれるなんて、僕はなんて幸せ者なんだろう。これからは遠くから見るだけじゃなく、会話だってできるんだ。それで時々は一緒に学校から帰ったり、休みの日になんかは一緒に遊びに行ったりもできるようになったんだ。
「あ、そうだ」
誠が妄想をたくましくしていると、早苗は突然笑うのを中断し、笑いすぎて出た涙を指でぬぐった。
「どうしたの?」
「あたしったら大事なことをすっかり忘れてたわ。ちょっと待っててね」
早苗はおもむろに手にしていた鞄を地面に置き、中をごそごそと探りはじめた。
無防備にしゃがんだせいで早苗の白い太股があらわになり、あわてて誠は視線をそらした。照れくさいというのもあるが、ここで注視なんかしてたらまたけだもの扱いされかねない。今はあくまで下心のない友達なのだ。
「あ、あったあった」
早苗が何かを鞄から取りだして立ちあがった気配を感じた誠は早苗の方へ向き直った。
「いったいどうしたの?」
「はいっ、どうぞ」
早苗は誠の問いには答えず、手にした何かを誠に手渡した。誠はなんとなくわけもわからないままにその何かを受けとった。
「これは?」
「うん、友達になるんだから、ちゃんと手続きはとらないとね。それじゃあ住所と名前と生年月日と、あと連絡先を書いてね」
「手続き?」
誠は手元に目を移した。誠が手渡されたもの、それは一枚のB5サイズの紙で、一番上の部分にポイントの大きい字で書類のタイトルがポップ体で記されていた。誠が「川原早苗親衛隊入隊許可申請書」と書かれたその紙からゆっくりと顔を上げると早苗と目が合った。
早苗は最高に可愛い笑顔で言った。
「マコト君、ボールペン、いる?」
<終劇>
あとがき
感想とかいちゃもんとか