「イマジン〜あつはなつい〜」
大学というものは休みが非常に長い。夏休みともなれば二ヵ月ほども自由な時間が学生には与えられる。この間に勉強しようなどというのは物好きだけで、多くの大学生は就職してからは決して得ることのできない長期休暇をそれぞれの方法で満喫する、というのが常識なのではあるが――
「あ〜、あっついなぁもうっっ!!」
バスを下りてほんの1分ほど歩いてキャンパスの入口にさしかかったとたん、我慢の限界がきたのか突然知美は叫んだ。
「も〜やだっ、何だって夏休みの、しかもこんな暑い日に大学なんかに来なきゃいけないのよっ!」
いきなりキレた知美に、肩を並べて歩いていた哲夫は冷静に答えた。
「それは夏休み明けのゼミの発表資料を作らなきゃいけないからだろ。だいたい図書館で資料を探すために大学に集まろうっていいだしたのは自分じゃないか」
「その時はもっと涼しい予定だったのよ!」
予定って何だよ。理不尽な知美の主張に哲夫は疑問を持ったが、これ以上知美を不機嫌にさせても仕方が無いので話題を変えることにした。
「まあ暑いかもしんないけど、そんな涼しそうな格好してるんだから、僕よりは大分マシだろ」
哲夫はジーンズにTシャツというありがちなスタイルだが、知美はホットパンツにタンクトップという中南米でよく見かけそうな開放的なスタイルだ。あらわになった肌色が目にまぶしい。
すると知美はほとんどやつ当たり気味に哲夫にかみついた。
「『そんな』ってどういう意味よ! 何か文句でもあんの!」
「いや、別に文句なんて――しいて言えばもうちょっと慎みを持ったほうがいいんじゃないかとは思うけど」
「つつしみぃ?」
奇妙なイントネーションで繰り返した知美は、形の良い眉を思いっきりしかめた。
「失礼ね、無駄毛の処理ぐらいちゃんとしてるわよ」
そしてホレホレと腕を上げて脇の下をアピールした。
「そういう意味じゃないっ! っていうかそういうことをすなっ!」
「何よ、先に言いだしたのはそっちじゃない」
哲夫が手をとって強引に手を下げさせると知美は不満気に口をとがらせた。
「だいたい暑いものは暑いのよ。こんなこともあろうかとアイスを持ってきてるとか、そういうの無いの?」
「あるわけないだろ」
「ちぇっ」
「ちぇっ、とか言わないっ! だいたい暑い暑いと思ってるから余計暑くなるんだよ」
「だって物理的に暑いじゃない」
口をとがらせて抗議する知美に哲夫は諭すように言った。
「だからそれは気の持ち様なんだって――『心頭滅却すれば火もまた涼し』ってよく言うだろ」
「あ〜、それって良く聞くフレーズだよね。なんか元ネタあんの、それ?」
「元ネタって――織田信長がお寺を焼き打ちした時に偉いお坊さんが言ったセリフだよ、確か」
「そんでその坊さんはどうなったの?」
「え〜っと、結局は普通に焼け死んだんじゃなかったかな――」
なんとなく気まずい微妙な沈黙が訪れた。セミの声がやけに大きく聞こえる。
「…………」
「…………ごめん。なんか、とりあえずごめん」
目をそらして謝る哲夫に対し、知美はため息を一つついてにっこりと微笑んだ。
「いいよ、言いたいことは伝わったし。要はトリップして自分自身をだませってことね。妄想は現実を凌駕すると、つまりはそういうことでしょ」
「いや、そこまでは言ってないけど」
知美は胸をはって高らかに宣言した。
「大丈夫、理解したわ。そう、頭でなく感覚で理解したと言ってもいいほどに!」
「そ、そうなのか?」
「ふっ、まあ見てなさいよ――ここは冬のシベリア……ブリザードが吹き荒れてるわ……犬ゾリが走って――ああっそこはクレバスよ危ないわ……」
不安げに哲夫が見守る中、知美はうつむきながらぶつぶつと何やらつぶやき始めた。傍からみると逆行催眠をかけられた人が前世の記憶を語っているようで非常にあやしい。
「お〜い、シベリアにクレバスはないんじゃないか?」
たまらずに哲夫は遠慮がちにツッコミを入れた。すると知美は突如顔を上げるやいなや、くわっと哲夫をにらみつけ、思いっきり平手打ちをかました。
「!?」
わけもわからず叩かれた哲夫が知美を見ると、知美はうっすら目の端に涙を浮かべながら叫んだ。
「馬鹿! 寝たら死ぬわよ! それにそんな薄着で……大自然の脅威をなめちゃあいかんぜよ!」
「『いかんぜよ』じゃないっ! 寝てないし! っていうかどっちが薄着だ!」
いくぶんキレ気味に立て続けにツッコミを入れられた知美は両手をほほに添え、周囲をきょろきょろと見まわした。
「はっ、私は一体何を」
「認めないからな。そんなくさい芝居で僕を叩いた時は責任能力がなかったなんていう主張は断じて認めないからな」
知美はニヤリと悪代官風の笑みをみせた。
「精神鑑定をクリアする自信はあるわ」
「やっぱりわざとなんじゃないか……僕はそういうことを言ってたんじゃないよ」
哲夫がため息をつくと、知美はアメリカ人のように両手を広げて首をすくめてみせた。
「あら、でもちょっとは涼しくなったみたいよ」
「今ので?」
疑問に満ちた哲夫に知美は楽しそうに言い放った。
「だってほら、通りすがりの人の視線が冷たいわ」
<終>
あとがき
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