「円周率」

 ピー――――――
 国立数学研究所に勤め始めて一ヶ月、仮眠をとっていた佐藤氏は隣室の電子音に目を覚ました。
「いったいどうしたんだろう」
 様子を見に行った佐藤氏は巨大なスパコンと一体となっているモニターの表示に目を疑った。
「た、大変だ!!」
 慌てて部屋を飛び出した佐藤氏は上司の中川主任研究員を引きずるように部屋に連れてきた。
「佐藤君、何をそんなに慌てているんだい?」
「主任、これを見てください」
 佐藤氏はモニターを指差した。
「モニターがどうかしたのかね?」
「よく見てください。このスパコンで計算していたのは円周率です、そしてその計算が終わっているんです。つまり円周率が割り切れてしまっているんですよ!!」
「それがどうかしたのかね」
「えっ、それがどうかしたって・・・」
「―――ああっ、そうかっ」
 絶句している佐藤氏を不思議そうに見ていた中川主任はようやく合点がいったという表情でポンと軽く手を叩いた。
「佐藤君、君は初めてだったんだね」
「え、何がですか」
「安心したまえ佐藤君、これはコンピューターの故障なんだよ。それじゃあもう一度円周率を計算しなおすようにプログラムしておいてくれたまえ」
 そう言って中川主任は部屋を出ようとした。
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてコンピューターの故障だって分かるんですか? ひょっとしたら本当に割り切れているかもしれないじゃないですか」
「その心配は無いよ。なにせ計算をやり直すのはこれで28回目だからね」
「それってどういうことですか? 何で故障したコンピューターを直さないんですか?」
 詰め寄る佐藤氏に中川主任は大きくため息をついた。
「佐藤君、君は少しばかし物事を『察する』ということを覚えた方がいいんじゃないかね」
「?」
「最近の技術の進歩は目覚しいものがある。一昔前のスパコンの性能を持ったパソコンが各家庭にあるぐらいだからね」
「それがどうかしたんですか」
「まだ分からんのかね。円周率が割り切れることなんてとっくに分かっているのだよ」
 その衝撃的な告白に佐藤氏は驚愕した。
「そ、それじゃあ一刻も早く発表しないと!! こうしている間にも他の国に先に発表されてしまうかもしれないじゃないですか!!」
 それを聞いた中川主任は突然笑い出した。
「はっはっは、他の国も円周率が割り切れることぐらいとっくに分かってるさ」
「で、でも、分かっているのにどうして発表しないんですか?」
 笑っていた中川主任はふいに真剣な表情で佐藤氏に語りかけた。
「いいかね。もし円周率が割り切れてしまうことが分かったらその分の研究費用が下りなくなってしまうだろう。首になる職員も出るかもしれない。それに小数点以下何兆桁もの正確な数字など誰も必要とはしていない。だから円周率が割り切れる結果が出てもそれは『コンピューターの故障』なのだよ」
「それで―――いいんですか?」
 中川主任は佐藤氏の肩に手を置いて言った。
「君も大人なら分かるだろう。それで皆が幸せになれるんだ、それでいいじゃないか」
 そして佐藤氏を一人残して中川主任は部屋を出て行ってしまった。

 翌日、新聞主要各紙の一面は「円周率割り切れる!!」という記事で埋め尽くされていた。
 どうやら佐藤氏は割り切ることができなかったようだ。円周率だけに。

<END>

あとがき

感想を書いてやっても良い

ホーム