「Under the Cherry」
ざくり。ざくり。
昼下がりの校庭で一人の青年が汗まみれになりながらシャベルで土を掘り返している。
その姿は春休みを迎えたこの小学校にはおよそ似つかわしいものでなく、遊びに来ていた生徒たちの何人かも遠巻きにその様子を観察している。しかし青年はそんなことを意に介する様子もなく一心不乱に桜の木の下を掘り続ける。
「君、そこで何をしているんだ!!」
一転、緊迫した声が周囲に響き渡った。手を止めた青年が声の方へ顔を上げると、一人の初老の男が子供達に先導されてこちらへ走ってきていた。おそらくはこの学校の教師であろうその男は白髪混じりの髪を振りみだし、息をせききらしながらも速度を緩めることなく近づいてくる。
そして男は青年の近くまでたどり着くと、子供達を背にかばいながら青年に問いかけた。
「君は――いったい――ここで――何をやっているのかね」
息も絶え絶えになりながらも厳しい視線で睨みつけてくる男の顔を青年はしばらくまぶしそうに見つめ、おもむろに頭を下げた。
「お久しぶりです、前田先生」
「?」
「お忘れですか? 僕です。寺本です」
その時、歯を見せて笑う青年の顔に懐かしい顔が重なり合った。前田はかつての教え子に驚きの声をあげた。
「おお、寺本君か。卒業以来だな。ずいぶん久しぶりじゃないか」
「ええ、10年になります」
前田は寺本の姿をじっくりと上から下まで眺めた。
「あのいたずら坊主がずいぶんと立派になったもんだ。すっかり見違えたよ」
記憶の中の少年は真っ黒に日焼けしたとにかく元気な子供だったが、目の前にいるのはやせすぎではないにせよスマートなシルエットの落ちついた印象の若者だ。唯一昔と変わらないのは白い歯が印象的な人懐こい笑顔だけといってよいだろう。
寺本は前田の言葉に照れて頭を掻いた。
「やめてくださいよ、僕なんてまだまだです。それより先生もお変わりなさそうでなによりです」
「いやいや、私もすっかり白髪が増えたし、歳をとってしまったよ。それに今じゃがらにもなく教頭なんてことをやらされて毎日てんてこまいだよ」
はっはっはと笑いながら答えた前田は寺本の手にしたものに目を止め、不意に真顔になって問いかけた。
「それで君はさっきから何をやっていたんだ?」
寺本は前田の視線の先にあるスコップを、これですかというように少し持ち上げて見せた。
「ご覧の通り――穴を掘っていました」
「そんな事はわかっとる。聞いているのは何のためにそんなことをしているのかということだ」
「冗談ですよ、冗談。そう、僕が掘っているのは――」
寺本はそこで言葉を切ると見事に咲き誇っている桜の木を見上げた。
「僕が掘っているのは、そうですね。約束を果たすため、というところでしょうか」
「約束?」
怪訝そうに問い返す前田に寺本は言った。
「その辺の事情はおいおい話しますので――どうでしょう、このままここを掘ってもよろしいでしょうか?」
真剣な表情で見つめてくる寺本に前田は戸惑った。普通に考えれば、卒業生とはいえ部外者である人間に勝手に校庭を掘り返す許可を与えるわけにはいかないだろう。だが、その許可を与えることの出来る立場に自分がいることもまた事実なのだ。
「それは大事な約束なのだね?」
「ええ、そうです」
寺本は即答した。その表情に迷いは見られない。前田はにっこりと微笑んだ。
「わかった。存分に掘りたまえ。私の責任で許可しよう。そのかわり、責任者として私もここで作業を見学させてもらうよ」
「ありがとうございます!」
寺本は言って深々と頭を下げた。前田はその大げさな礼にひらひらと手を振って答えた。
「いいから、いいから。それより大事な約束なのだろう? 早く続きを始めたまえ」
「はいっ」
寺本は再びスコップを構え、中断された作業を再開した。
スコップの先端を地面に軽く当てた後、スコップの後部に足をかけ、体重をかけて一気に奥までつきたてる。そして土を掬い上げて邪魔にならないように横に積み上げる。単純な作業が黙々と繰り返される。
新しい展開がないことに飽きた子供達が自分達の遊びに散っていった頃、ふと思いだしたように前田が口を開いた。
「そう言えばまだ聞いていなかったな。その約束というのはどういう約束なのかね?」
寺本は穴掘りを続けながら、前田に逆に問い返した。
「先生は――修治を――浦野のことを覚えていますか?」
「? あ、ああ、覚えているとも」
前田は突然の問いに戸惑いながらも答えた。
「浦野君は君と仲がよかったな。よく二人でいるのを見かけたよ。君は運動の得意な子だったが、あの子は勉強の得意な子だった」
「ええ、よく正反対なのにねって言われましたよ」
寺本は苦笑した。
「でも、僕達は友達でした。お互いにないものを持っていたからとか、波長があったからとか、今から考えれば理由はあったんでしょうが――その時はただ理由もなく、友達でした。友達っていうのはそういうものですからね」
「その浦野君がどうかしたのかね?」
前田はどうして寺本が突然そんな話をしだしたのかがわからなかったので寺本に問いかけた。すると寺本は淡々と言った。
「あいつ、死んだんです。3年前に」
声も無く驚く前田に寺本は続けた。
「昔から線の細い奴だったんですけどね。白血病で3年前に死にました」
「そうか……まだ若かったのにかわいそうにな」
寺本はちらと前田の方へ一瞬視線を送ったが、またすぐに足元に目を向けて作業を続けた。
「その浦野と約束したんですよ、10年前に。あの時僕達は別々の中学に行くことが決まってて、それで友情の証にタイムカプセルをこの桜の木の下に埋めたんですよ。10年後の今日、二人で取りに来ようって」
「それでか……」
前田の声のトーンが下がったのを感じて寺本は明るく笑った。
「やだなあ、暗くならないで下さいよ。あいつが死んだのは誰のせいでもないんだし、そういう運命だったんですよ。僕にしたってどこらへんに埋めたかはっきり覚えてないから掘りだすのに時間がかかってしまってるし、そんな全然大したことじゃないんですよ」
そして寺本はことさらに明るく前田に問いかけた。
「そうだ、先生はどうして桜がきれいに咲くのかご存知ですか?」
「桜がどうしてきれいに咲くのかだって?」
問い返す前田に寺本は言った。
「"桜の樹の下には屍体が埋まっている"」
「梶井基次郎だね」
前田は即座に思い当たった。これは有名な小説の一節だ。
「タイムカプセルを埋める時に言ったんですよ、浦野が」
「なるほど、あの子ならそういうことを言いそうだな」
確かに浦野少年は読書が好きでいろいろなことをよく知っていた。桜の木の下を掘る時に連想してもおかしくはない。
前田が浦野少年のことを思いだしていると、それを打ちきるように寺本が言った。
「でも、その時あいつは自分はこの桜がきれいに咲く理由は違うと思うって、そう言ったんです」
「どういうことだい?」
「僕もその時同じ様に聞いたんですけど、笑って教えてくれませんでした。でも、今の僕にはどうしてこの桜がきれいに咲くのか、その理由がわかるような気がします」
「ほう、それはどういう理由なんだ?」
「それはですね――」
その時、寺本の手に土でも木でもない、別の何かにスコップが当たる手応えが伝わってきた。
「ちょ、ちょっと待ってください」
慌てて寺本はその手応えの周囲を大急ぎで、しかし慎重に掘り進める。そして出てきたのは何重にもしてあったと思われるビニール袋のカバーの残骸にくるまれた金属製のクッキーの缶だった。
「寺本君、それが……」
「ええ、間違いありません。僕達の埋めたタイムカプセルです!」
土まみれで汚れるのも構わずに缶を抱きしめた寺本の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
しばらくして、広げた穴に土を戻してしっかりと踏み固め終えた寺本は前田に深く頭を下げた。
「先生、どうもありがとうございました。おかげでタイムカプセルも見つけることができました」
「いや、私は何もしていないよ。全ては君の努力と友情のなせるわざだよ。それより――」
前田は寺本の手にしている缶に目をやって、
「その缶の中には何が入っているんだい?」
寺本は苦笑いを浮かべて言った。
「実は僕も覚えてないんですよ」
「だったら――」
ここで開けてみせてくれないか、という言葉を前田が言う前に寺本は続けて言った。
「でも、大事なのは"何が入っているか"じゃないんですよ、きっと。とりあえず僕はあいつのお墓の前で一緒に開けるつもりですけど、例え入っていたのがつまらないものでも、それはそれでいいんじゃないでしょうか」
「そうか、そうかもしれんな。いや、下らないことを聞いて悪かった」
その言葉を境に沈黙が訪れた。そして寺本は足元に置いていたスコップを拾い上げ、改めて前田に礼を言った。
「どうもお世話になりました。また墓参りが終わったらお電話しますので、缶の中身はその時にお教えしますよ」
缶を小脇に抱え、スコップを手に立ち去ろうとする寺本の後ろ姿に前田は呼びかけた。
「寺本君」
「なんですか?」
足を止め、振りかえった寺本に前田は言いにくそうに問いかけた。
「いや、大したことじゃあないんだが……君はそのタイムカプセルを掘り当てる前、どうして桜がきれいに咲くのかということで何か言おうとしてただろう? 何と言おうとしていたのか気になってね」
「ああ、そのことですか」
寺本は桜の木を見上げ、照れくさそうに笑った。
「この桜がきれいに咲くその訳は――」
「その訳は?」
「きっと――みんなの思い出がつまっているからなんですよ」
寺本が告げたその時、突然強い風が吹いた。
舞い散る花びらの向こうで、浦野が"正解だよ"と笑った気がした。
<終>
あとがき
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