「女王様とお呼び!」

「あたしじゃ……ダメかな……」
 普通、女の子にこんな風に伏目がちにつぶやかれたら、男だったら誰でもその言葉を否定して抱きしめてしまいたい衝動にかられるものだ。
 しかし、つぶやいたきり黙ってこちらの反応をうかがっている知美に対して哲夫は飲みかけていたお茶のカップをテーブルに戻しつつ冷静に言ったのだった。
「そりゃあ、ダメだろ」
「ええ〜〜っっ、何でよっ!」
「いや、何でも何も……」
 先程のしおらしい態度は幻だったかのように大声をあげる知美に哲夫は言葉を濁しながら周囲を見回した。ここは知美と哲夫の通う大学の学食だ。昼食には遅い時間帯とはいえ、あちこちで駄弁っている他の学生の視線が痛い。
 とりあえず愛想笑いを浮かべて何でもないと周囲の人々にアピールした哲夫は知美に言った。
「いきなり『ブルースの女王になろうと思うんだけど、どう?』って聞かれて他にどう答えろっていうんだよ?」
「どうって、『応援するよ、君ならきっとできる』とか『女王にふさわしいのは君だけだと前から思ってたんだ』とかいくらでもあるじゃない」
「僕はそんなこと思ってない」
「言葉のあやよ! 私が言ってるのは何でそんなにネガティブシンキングなのかってことよ」
 知美は憮然とした態度で哲夫をにらみつけた。
 ――どう考えても自分は正論を言ってるのに、なんでこっちが悪者みたいになってるんだ?
 哲夫は大きくため息を一つつき、まっすぐに知美の目を見た。
「じゃあ逆に聞くけど、ブルースの女王になれるって思う根拠はあるのか?」 
「当たり前じゃない。私が何の根拠もなしにそんなこと言いだすと思ってるの」
 自信満々の知美に哲夫は「思ってる」とうなずきたい衝動にかられたが、それを我慢して無言で続きを待った。すると知美はしょうがないわねと言わんばかりに肩をおおげさにすくめ、物分かりの悪い人に教えるように哲夫に説明を始めた。
「いい、ブルースの女王って言えば淡谷のりこよね」
「うん? そうなんじゃないかな」
「でも何年か前に死んじゃったよね」
「――よく覚えてないけど、そんなこと聞いたような気もするね」
「ほらね」
「?」
 哲夫がさっぱり理解できないという様子なのを完全に無視して知美は続けた。
「わからないの? 今の時点で女王の座は空位になってるのよ。だったら私が女王になってもおかしくないでしょ」
 ――ものすごくおかしい。というか根本的に全く根拠になってない。
 哲夫はツッコミを入れるべきかどうか迷ったが、諦めて別の質問をすることにした。いつも唐突に妙なことを言い出す知美に論理的なツッコミを入れてもどうせ無駄なのだ。
「――百歩譲って女王になってもおかしくないとして、だけど。そもそも『ブルース』って何なのかはわかってるのか?」
「うっ」
 この質問に知美は言葉をつまらせ、あらぬ方向に視線を泳がせた。やはり何も考えていなかったらしい。
「そ、そりゃあアレよ。リズム&ブルースとか言うぐらいだし、ブルースってのはリズムの無い音楽よ。決まってるじゃない」  
「リズムの無い音楽なんてないよ」
「じゃ、じゃあ、あんたはブルースが何か知ってるっていうの?」
 半ば逆ギレ状態の知美に哲夫は苦笑しつつ諭すように言った。
「ブルースっていうのは元々がアメリカの黒人の人達が始めた民族音楽のことだろ。でも、日本の場合は哀しい感じの歌謡曲のことを指すことが多いみたいだし、それが転じてなんとなく哀しいとか淋しいとかやりきれないとか、とにかくそんな感じの雰囲気そのものをブルースっていうこともあるね。よく『○○ブルース』とかそういうタイトルの歌とか文章とかあるけど、たいていは本来の意味じゃなくて後の方の意味で使ってるんじゃないかな」
「…………」
 知美はむっとした様子で黙りこんだ。さすがに反論もないようだ。
「どう、まだ説明いる?」
 哲夫がからかい気味に言葉をかけると知美は静かに口を開いた。
「わかったわ」
「じゃあブルースの女王になるなんて馬鹿なことは――」
 もう言わないよな、と哲夫が続けようとしたが、その言葉は知美の放った予想外の台詞によってかき消されることになった。
「あんたがブルースについて詳しいことはわかったわ。どう、その知識を生かして私の片腕にならない? 私が女王になったあかつきには『ブルースの大臣』にしてあげてもいいわよ」
 ――何なんだその「ブルースの大臣」って。っていうか
「ロイヤルファミリーにはしてくれないんだ」
「ん、何か言った?」
「い、いや、何でもないよ」
 つい口からこぼれてしまった言葉を哲夫は慌ててごまかした。
「ん〜、あやしいわね〜」
「何でもないって! それよりそろそろ4限目の教室に移動しないとマズくないか?」
 哲夫は壁にかかっている時計に目を向けて、不審そうに半目になってにらんでくる知美の注意をそらした。都合のいいことにちょうどそろそろ3限目の講義が終わって教室が空くころだ。
「あ、ホントだ。そろそろ行こっか」
 知美は鞄を肩にかけ、空の食器の乗ったトレイを手に立ちあがった。哲夫も同じく立ちあがって自分のトレイを手にする。
 二人で食器の返却口にトレイを運ぶ途中、先を歩いていた知美が不意に振り向いて言った。
「あ、さっきの話に戻るけど、私はブルースの女王になるからね。あんたもちゃんと片腕として手伝うのよ」
「はいはい」
 哲夫は適当に調子を合わせて答えた。今はこんなことを言っているが、どうせ明日になればまた言うことが変わっているに決まっているのだ。
「それより早く教室に行こう。早くいかないといい席なくなっちゃうよ」
「それじゃ、私先に行って席とっとくから、ジュース買ってきてね」
 言って知美はトレイを返却口に置くやいなやさっさと食堂の出口に小走りに駆け出す。
「って、お金は?」
 突然遠ざかる知美の背中にトレイを持ったままの哲夫は慌てて呼びかけた。
 すると知美はくるりと振り返って笑って言った。
「席とっといたげるんだから、それでチャラよ!」
 そして再び向きを変え、哲夫に反論する間を与えずにさっと食堂の外へ出ていった。
 知美を見送った哲夫は軽くため息をつくと、トレイを返却口に置き、ゆっくりと食堂の外に設置してある自動販売機に向かう。
 自動販売機にコインを投入し、知美が好きなジュースのボタンを押す。ゴトンと音がして缶が取りだし口に落ちたのを確認して哲夫は身をかがめる。そしてジュースを手にした哲夫はふと思った。
 ――なんだって僕はあんな無茶苦茶な子を好きになっちゃったんだろうな。別に向こうがこっちを好きだっていうわけでもないのに。でも好きになっちゃったもんは好きになちゃったんだからしょうがないか。
 そこまで考えた哲夫はブルースに向いているのはどうやら知美ではなく自分の方のらしいということに気がついて思わず苦笑した。

 つまりはこれが、僕の「片思いブルース」 
 
<終幕>

あとがき

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