統計結果概要
(1)  この50年間で、『』を加えて実に延べ〈 59,411番〉の演能があった事で、平成15年の現在まででは、『6万』を超えている事は言うまでもありません。最近では年間 1,400番を超え、この統計の最初の数年間のちょうど2倍に増大しています。年度や期間(10年ごとの)における能楽師の数や演能場所の数などの増減との、相関性・非相関性などについては、別途検討の余地があると思っています。この50年間の観世流〈演能総回数(暦年別・期間別)〉は次表の通りです。
 最初のA期を〈100〉とすると、最近のE期は〈177.2〉という伸び(指数)になっています。

  暦年別・期間別 演能総回数
 
A 期 B 期 C 期 D 期 E 期
昭和25〜34年 昭和35〜44年 昭和45〜54年 昭和55〜平成1年 平成2〜11年
暦年 回数 暦年 回数 暦年 回数 暦年 回数 暦年 回数
昭和25 603 昭和35 946 昭和45 1,195 昭和55 1,285 平成 2 1,438
  26 615   36 955   46 1,196   56 1,279    3 1,433
  27 753   37 936   47 1,137   57 1,275    4 1,530
  28 734   38 1,002   48 1,199   58 1,311    5 1,584
  29 826   39 1,093   49 1,231   59 1,262    6 1,652
  30 921   40 1,050   50 1,259   60 1,339    7 1,474
  31 872   41 1,127   51 1,254   61 1,297    8 1,496
  32 1,017   42 1,091   52 1,262   62 1,381    9 1,479
  33 1,070   43 1,159   53 1,289   63 1,356   10 1,453
  34 1,021   44 1,143   54 1,335 平成 1 1,392   11 1,404
合計 8,432 合計 10,502 合計 12,357 合計 13,177 合計 14,943
指数 100 指数 124.5 指数 146.5 指数 156.3 指数 177.2
   各年の演能回数には『』を含める 合計 59,411

(2)  A期の10年間は戦後の混乱期から経済成長期に向かった時期で、観世元正宗家が成人を迎えたのを機に、後見役の観世銕之丞華雪師が昭和26年に『求塚』を復曲上演し(これは本統計に加えています)、昭和29年に梅若六郎家一門が梅若流より観世流に復帰し、次第に演能数が増加してきて、昭和31年の夏に発表された『経済白書』の有名な文句〈もはや“戦後”ではない〉に連動する如く、翌昭和32年には、ついに演能回数 1,000番の大台を記録した“激動の10年”でもありました。

(3)  B期の昭和36〜38年頃は、世阿弥生誕600年記念ということで、『観世』誌も〈世阿弥研究シリーズ〉などを企画し、学者の論文や楽師・研究者の座談会などで〈世阿弥〉が盛んに論じられた頃で、昭和38年には〈演能総数・千番〉を突破し、東京オリンピックの昭和39年以降は〈『』を除く一般曲の年間 1,000番以上の演能〉が定着する事となります(第6表の合計欄参照)。

(4)  C期の昭和47〜48年頃は〈田中内閣〜列島改造〉で景気が頂点に達して一転、オイルショックから不況時代に突入した時期ですが、演能は粛々と行われ、次のD期にかけて年間 1,200〜1,300番行われ、薪能もますます各地に広まってきた時期でありましょう。

(5)  その「薪能」ですが、これもこの統計に加えたことは前記の通りですが、本当はこれを別統計にした方がよかったかも知れません…。 というのは「薪能」では演能曲目が或る〈かたより〉を持っているのではないかとの危惧があるのですが、それも〈能楽発展〉のためには大いにいい事だと考えれば、 これも統計に加えてよかったか、と考えています。

(6)  それが、E期になって最近の数年間は平成6年の〈1,652回〉をピークに、その翌年が阪神大震災、そしてその翌年には少し盛り返したものの、その後は下降線をたどって直近の平成11年が〈1,404回〉と、E期の最低をマークしたのはどういうわけか…。なにか思い当たるフシが、ありましょうか…。経済不況? 愛好者の減少? 指導的能楽師の引退・逝去? 新作・試演の増加? マンネリ? 否!?…
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